2018.08.07 汗だくになりながらようやく

夕方、M銀行の前の広場で“マチ針を刺したいほど青くて綺麗なビー玉アイズの子猫が半歩ごとに飼い主を振り返って媚びるように鳴くので全然前に進めない”という悶絶動画を視聴していたら、ふいにニュッと手が伸びてきて、ガシッと肩を掴まれた。

何ヤツ!敵か!と顔を上げるとそこには、飼い主を求めて泣きそうになっている青い瞳が並んでいた。
どうやら異国から来た青年のようである。

薄汚れたバックパックを背負い、歴史の古そうな二つ折り革財布を握りしめている。
最近耳垢の溜まり方が異常な私は、耳の穴をかっぽじるとごっそり垢が出てくるので、そこは気持ちだけでもかっぽじって青年の言葉に耳を傾けた。

フランスから来たアリは手持ちのドルを円に換えたくてM銀行に来たが、窓口はもう閉まっており(時刻は19時)、ATMでも換えられないから困っている、どうしたらいいか、ということだった(多分)。

まず、私は行員ではない。
次に、ATMでもない。
よってM銀行およびATMへの苦情は全く受け付けておらず、今はただ子猫の動画に鼻の下を伸ばしていたいのであった。

だが遠くから見ても分かる暇そうな佇まいと、近くにきて見たらもっと分かる無害さと色気のなさで、言葉は通じずとも嗅覚で私を人畜無害な糞暇人間と判断し、声をかけてきたのだろう。

今は忙しいという言い訳は通用しないし、そもそもそんな英語が浮かばない。
もしやビージーを使えばいいのでは…?と思い出した時には、すっかり“異国からはるばるやってきた青年の身の上話を黙って聞く人のよさそうな日本人”を好演してしまっていた。

アリは英語はもちろん、母国語であるフランス語、スペイン語、アラビア語を話せるマルチリンガルの24歳で、今回はアメリカを経由して来日、日本には仕事を探しに来たという。

おい!なんで仕事しに来てて日本語話せんねん!なめとんのか!

とドつきたくなったが、基本的に“ドつく”という歪曲した愛情表現は国際問題に発展しかねないのでぐっと堪えた。
とにかく、今はアリのドルを円に換えることが先決だ。
19時以降も空いていてなるべく近くの両替屋さん(正式名知らず)をスマホで検索する。

汗だくになりながらようやく1件見つけるとアリにスマホを見せ、「ディス イズ ピーエムナイン、オープン」と幼児並みの英語で伝えた。

おぉ~!イエーイ!ラッキーちょ~ツイてんじゃん俺~!
的なことを言っていた、ように思う。
ありがとよかったまじ感謝~!
といって抱擁もされた、ように思う。
どさくさに紛れた久しぶりの異性の肌に軽くよろめく。
でもこれだと場所分かんないや、ごめん、案内して?
アリは屈託のない笑顔をこちらに向け、さぁ!と手を伸ばしてくる。

さぁじゃねぇし!帰りてぇし!

結局振りほどけないまま、歩いて5分の両替屋さんに連れていくことになった。

英語が話せていれば口で説明も出来たし、もっと楽しく気の利いた会話も出来ただろうなぁと思うと、毎度のことながら英語の話せない(というより話す努力をしない)自分に辟易する。
しかしその辟易が1週間も持たないから英語は上達もせず、綺麗なままの単語帳がブックオフへと流されるのだ。

両替屋さんにはたくさんの外国人がいて、みんなイキイキと今を楽しみ、明日はどんな未来が待っているのだろうかとワクワクしているように見えた。
そういえば私も、卒業旅行で1度だけ行った海外の両替屋さんで、同じように感じ、振る舞い、未来を描いていたことを思い出す。
3泊4日の旅行中、私の発した英語は「ウェア イズ ザ レスト ルーム?」の一言だったが。

君のおかげで幸せな1日になったよ!また会おうね!ありがとう!

アリの今は限りなく煌めいていて、明日という日は今日に負けないくらい眩しい1日になるだろう。
シーユーアゲン、シーユーアゲン、アリ。

さぁ、新しい単語帳、買わなくちゃ。

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