悲しんでいる人・困っている人を助けるために。①ーー問題解決とコミュニケーション

悲しんでいる人・困っている人を助けるーー

 この目標を杭打った経緯は置いておき、実際今の私がどのようなプロセスで、これを実現させようと考えているか書き留めたい。今回はその前準備となる抽象的な部分について記述する。

概要

 世界では戦争や飢餓、日本では行き場を失ってしまった人たち、法的トラブルに困る人たち、どうすれば良いのか日々頭を悩ませている人が多数いる。これらをカバーする抽象的な解決方法として、私はコミュニケーションの重要性と、それによる情報のシェアを取り上げ、最終的に教育という結論まで至った。そして、これを広範囲に適用するために、IT技術を用いる。ただ、これは正解ではなく、随時見直していく必要がある。

はじめに

 世の中には悲しんでいる人・困っている人が多数いる。正確な統計をとったわけではない。しかし、各種の統計を集めてみれば、それは明らかだろう。一つ一つの問題に対し、政府やその他企業の事業により助けられている人は一定数いる。しかし、その法令や事業のターゲットから外されてしまった人はどうだろうか?

 ここでまず私は問題を抽象化し、適用範囲の広い問題解決方法を提示する。これによって種々の問題解決をする際に具体に落とし込むことで、解決に至るフローを形成することができる。そして、より多くの人が救われる、そんな世界ができることを願って、この文章を書く。

問題解決の概略

 問題解決のプロセスは[G.ポリア, いかにして問題を解くか, 1975]を参考にしている。この著書では数学を通して問題解決の手法を身につけることができる。ぜひ御一読願いたい。
 この著書によると次のように問題解決は行われると主張している。


問題を理解する 未知のものは何か、与えられているデータは何か、条件の各部を分離し書きあらわせ。
計画をたてる 与えられた問題が解けなかったら、既に解いたことのある易しくて似た問題を思い出せ。条件の一部を残し他を捨てれば未知のものが見えてくる。
計画を実行する 解答の計画を実行するときに、各段階を検討せよ。その段階が正しいことをはっきりとみとめられるか。
ふり返ってみる 得られた答えを検討する。結果をちがった仕方で導くことができるか。他の問題にその結果や方法を応用することが出来るか。
G.ポリア, いかにして問題を解くか, 1975

完結に書くと、
(問題発見) → 問題調査 → 解決計画 → 実行 → 振り返り
となる。カッコ内は私が付け足したものであり、基本的にこのようなPDCAサイクルで問題解決は行われる。

問題発見

 問題を発見することが一番難しい。まず、単純になにを問題として把握するかが難しく、その「問題」はどの価値観から見て問題なのか、その「問題」のどの部分を今から解決しようとするのか。
 問題を定義する部分においては、大いに問題に関わる人の価値観や、自分の価値観、その他客観的なデータが必要になる。それらを混ぜて解決した先に
well-being、つまりより良い世界が待っているかどうかを考えながら、問題は策定しなければならない。

問題調査

 何が問題かを決定した後は、

・その問題がどうして問題なのか?
・実際に求められている根本的な問題とは何なのか?
・自分の既知の方法論や、抽象化された方法論のうち使えるものはあるのか?
 (なければ当然、文献なりを使って調べる必要がある。)
・この問題を他者はどうとらえているのか?

など、多岐にわたって問題を分析する必要がある。この問題調査を怠ると、のちに問題解決の計画を建てる際、整合性がとれなかったり、well-beingな解決にならないーーつまり、解決できないなどの事象が起こってしまう。

 あなたが問題だと思っていても、他者が問題だと思っていないことは沢山ある。その問題を客観的に見て問題解決し、他者がwell-beingになるような事象こそが問題である。

解決計画

 問題をしっかり把握し、それらが「なぜ問題であるか?」を箇条書きにした後、それを考慮に入れながら、ブレインストーミングを行うのが私は最適であると考える。
 ただ、このブレインストーミングに漏れはあってはならない。専門的な知識を要する場合は、直ちにそれを習得し、反映させなければならない。しかし、その専門的な分野のすべてを知っている必要はない。ある程度知っておけば、頭の中で引っかかりが生じて、自然と疑問が湧き、深堀りすることになるだろう。浅く広く知識体系を持つことが重要だと私は考える。
 このブレインストーミングをもとに半構造な問題解決プロセスを組み立てる。抜け目はないか?本当にこれで問題解決ができるのか?これは実行しながらでも考えなくてはならない。
 更に考えなければいけないのは、計画の隠れた失敗性や、大きな外部因子や、意見の相違などによった、失敗についてである。その想定される失敗が問題解決において

・どの程度の重要度の失敗なのか(重要度, severity)
・どの程度の確率、頻度で起こりうるのか(頻度, frequency)

は、必ず調査しておかなければならず、それを察知する仕組み、伝達する仕組み、それに対する解決策も立てておく必要がある。この領域は私が大学で学んできたものであり、興味のある方は「HAZOP」「FMEA」などで検索していただけると体系化された危機管理方法が分かる。 

解決実行

 問題解決プロセスを実際に実行し、問題が解決されているかどうかを常に考える。ときにはアジャイル的に軌道修正を加えながら計画を見直す必要があるだろう。この中で最も重要なのが問題解決のプロセスを行う途中で、他者の意見を蔑ろにしないことである。あくまで問題解決は問題を持った他者をwell-beingな状態に持っていく方法であることを忘れないで欲しい。もし、認識がずれてしまった場合は立ち止まることも重要だろう。

振り返り

 問題解決を通して、

・そもそも問題は解決されたか?
・解決して他者はwell-beingな状態になったか?
・この問題解決方法を抽象化し、他の問題解決に活かせないか?

などを考える。薄い文になってしまうが、この行程は怠ってはならず、重要である。

コミュニケーションの重要性

 さて、これまで述べてきた問題解決についてまとめると「問題解決とは他者をwell-beingな状態にもっていくこと」であると関連付けられる。 そのためには、他者、相手の思考・環境・価値観を把握する必要がある。
 コミュニケーションは概略して言うと、バックグラウンド・環境(外乱を含む)・思考を、表示意思(表現しようとする意思)に直して表現ーー例えば、テキストやボイス、ノンバーバルランゲージなどーーすることによって行われる。(この部分は民法の考え方を参考にしている。)この表現を私たちが受け取り、それを解釈する。この作業を根気強く繰り返して、ようやく擬似的な相手の価値観が見えてくる。擬似的と書いたのは、完全に理解するのは難しいと思っているからである。
 価値観を把握するだけでは意味がない。相手の価値観に合わせるのか、自分の価値と相手の価値観の共通集合を取るのか、相手の価値観と自分の価値観をつきあわせて抑揚させ、より広く価値観を取るのか、最悪自分の価値観を押し付けるのか、これらの選択によって、解決方法ーーつまり相手がwell-beingになるのかが変わってくる。どの方法が最も最適解なのは、その場その場で変わってくる。そのためにコミュニケーションは続けていかなければならない。

問題解決の広範囲化ーーIT技術を用いる

 ここまで問題解決方法と、それにはコミュニケーションが必要不可欠であることを述べてきた。しかしこれらは1 to 1 では容易に行えるが1 to Massではなかなか難しい。これを行うために、IT技術、特にインターネットをベースとした統計の取得、及び分析や、多くの人が使いやすく、便利であるプロダクトを作り出す必要がある。Massを扱うため、統計学が基本となり、おおよそ95%の人が問題を解決するように設計をしなければならない。分析を抽象化し、個人ではなく、団体にフィットした結論を出していかなければならない。

問題解決の先へ

 頭より、1 to 1 や 1 to Mass の話をしてきたが、自分自身の問題を自分のみで解決することが、最もよりwell-beingであると私は考えている。なぜそうなるかというと、自分が自分自身をよく理解しているからである。完璧なコミュニケーションが行われているのと同じ状態で、よりよい問題解決がなされると思うからである。しかし、自分のみで問題解決をするのは容易くない。私はそのようなプロセスを自分で組みたてることのできる人材を多く生み出すプロダクトや教育があってほしいと願っている。

最後に

問題解決のプロセスと、その本来の目的であるwell-being、また、コミュニケーションの重要性について書いた。各所論理的に飛躍のある部分や、全体的に抽象の話であり具体との乖離はあるが、詳細に書くと冗長な文章と化してしまうので、それはまた別のnoteで書くとする。世の中の問題がおよそすべて解決され、また、世の中の人が自分自身で問題解決の方法を身につけ、悲しんでいる人・困っている人が一人でも少なくなるような社会の仕組みを作っていきたい。



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