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この世で一番不幸なことは、悪口すら言われなくなる事

諫言という言葉がある。「良い言葉ほど苦い」と、かの安岡正篤先生も言っているが、けだし名言である。

所で昨日、写真にある当YANAGIHARAジム、U-15全日本チャンピオンのユウヤが、パンチだけを習いに来るキックボクサーの塩崎に、スパーリングで面白いように遊ばれた。

毎日私の指導を受けるユウヤが、週一度しか来れない塩崎に面白いように差をつけられたのは、当然と言えよう。

甘い気持ちで、今後ただ漠然とプロで試合を行おう、という思考のユウヤ。

これに対し、既にプロのキックボクサーで、ジャックジムという、自身が所属するジムでトレーナーとしてストイックに生き、試合もこなす塩崎とでは、格闘技にかける姿勢が違う。

大体若い子は、目つきに出るのでわかりやすい

更に、塩崎は月に数回しか私の指導を受けれないので、来た時は120パーセント集中して私の指導を受け、聞く、覚える。

昨日はいつの間にか、軌道がブレていた右ストレートの、理由を教えてくれ、と言ってきた。

僅か4ラウンド。つまり12分で塩崎は、凄く強くて綺麗な右のパンチを打てるようになった。

ユウヤはスパー後、暫く練習をせず、大袈裟に首を押さえてサボっていた。

他の真面目に練習を行う者ばかりの我がジムにとり、邪魔な奴だ、と思ったので帰らそうと思ったが、新トレーナーの中野に任せ、私は何も言う気が起きなかった。

いつでも私の指導を受ける事の出来るユウヤは、日本チャンピオンになり、お坊ちゃんのようなボクシングになった。何故か?

こうしろと指導した事を真面目に実践し、日本チャンピオンになったのに、最近は返事は素直で、緊張感はない弱い時に戻った。

私がプロボクサーになって下さい、と頼んだのではない。

これは私の口癖なので、やる気も闘志もない者は、いつでも去っていい。だから昨日は一言も話をしなかった。言ってもダメなやつは殴ってもダメだ。

さて、前置きが長くなったが、ユウヤの様にまだ若い時はいいが、歳を取るほど素直さが無くなる。私はよく従業員や同級生を叱る。殆どは「ありがとう」と言う。

しかし、肝心なことを言う前に「ありがとう」「分かってる」という者は実は聞いていない。ここで更に叱り、どういう態度に出るかをまず見る。

次に彼らの行動を見ていくが、99%は変わらない。

何故か?

理由は簡単、その意味を深く掘り下げて勉強しないこと。これが一つ。

二つ目は、どうせまた叱ってくれるという甘え、からくる。

私はある事を治す時、敢えてこういう所で「これをやる!」「これは今日限りでやめる」と書く。

また、大勢の人の前で決め事を口に出す。中学生の頃からの癖だが、ここまで自分を追い込む。

仮に、私が自分の言った事を破り、誰かにバレた場合、私の尊厳とアイデンティティが崩壊する、そう思うとそれは私に取り、愛する北九州を出て、10年は他所の土地に逃げなければならない事を意味する。

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私はストイック過ぎる所があるので、ここまで考える事は良くないが、これでも人間は不完全であるので、人に聞いたり教えられたりする事を好む。

先日、ビルを三棟所有する後輩に「僕は柳原さんが、今のビルを建ち上げたらキャッシュフローを見て、二棟目はできたら五年は我慢してほしいですねえ」と言われた。

ふと彼の顔を見ると、にこりと照れ笑いした。持つべきものは友である。賢い人はこういう遠回しの言い方をする。

彼は私より後輩だが、三棟目のビルを建てた時失敗し、数億の損失を出した。そこから這い上がってきた男だ。自分と同じ過ちをするな、という諫言だと思う。

之を師、とすれば諫言を聞き入れず、同じ過ちを犯し、今では這い上がれなくなった人も、私は実際見てきた。

諫言というのは相手が自分に取り、大事な人だから言うし、言われるものである。しかし聞き入れない人は無視するしかない。

人は皆、自分の人生を生きるのに精一杯なのだ。これ以上他人に構ってられぬ、と思うのは至極当然である。

もはや人間、諫言どころか悪口すら言われなくなると、これは再起不能と言える。これを反面教師と言う。

さあ、これからも諫言を聞き、自分の経験則を若手に教えていこう。我が振りも治そう。

それでも聞かないものは、どうすればいいのか。これから勉強していこうと思う。

しかし。

同じ事を何度も言わせると、オレも最後は堪忍袋の緒を・・・
緩めちゃうよ(笑)。


お後がよろしいようで。



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