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異常な大人達と不公平な世の中。

下記は安倍元総理を撃った男の事を、私が、事件発生日に書いたものである。

https://note.com/yanagihara_gym/n/n8c95ac3ebe31

これを書いた時、親に責任があると書いた。
それは間違いではなかった。

しかし、その後の事態を想像することは出来なかった。

殺人犯はいかなる理由があれど、ヒトゴロシ、である。
誰が何と言おうと、ヒトゴロシは、ヒトゴロシである。

そのヒトゴロシに、100万円以上の現金が差し入れられ、洋服などが多くの者から差し入れされ、原型嘆願書までが届き「ヒトゴロシこそが被害者だ」という愚かな方もいるそうだ。

最早、違和感を通り過ぎ、世の中がここまで一億総リテラシーのない世界になってる事を憂う。

ある記事に心理学とやらの先生が、こう述べている、
以下抜粋する、

東京未来大こども心理学部長の出口保行教授(犯罪心理学)は「容疑者に対する情状的な問題と、今回の事件の悪質性を混同して考えてはならない」と指摘。「家庭環境などに同情する意味での支援はあり得る」と前置きした上で、「そのことが、この犯罪を起こしていいと正当化することにつながってはならない」と強調した。

「家庭環境などに同情する意味での支援はあり得る」

この言葉を読み、やはり学校のお勉強だけの犯罪心理学者は、こんなものかと思うと泣けてくる。

犯罪心理学者に、コメントを求めるマスコミもどうかと思うが。

「なぜ人を殺してはいけないんですか?」

子供や偏差値の高い学生に、意外とこの手の質問が多い。
この質問に、まともに答えれた人はいない。

私の答えは一つ。

「理屈を言うな!駄目なものは駄目だ!」。

肘をついて食事をするな。
玄関の靴は揃えろ。
挨拶をしなさい、

うちではそう教える。
授業にも法律にも、行儀の悪い事をしてはいけない、とは書いていない。

書いていないが、上記の躾は正しい。
そう。駄目なものは、理屈じゃなく駄目なのだ。

大人が、子供や青年にヒトゴロシはダメだ、と言えば、その大人と子供に信頼関係がある限り、彼等は言う事を聞く。

しかし、ヒトゴロシに同情する程、暇でお節介な人に、子供は付いて来ないだろう。

自分の足下は大丈夫なのだろうか、とさえ思う。

次に。
「家庭環境に同情の余地」とも言っている。

本気でそれが正しいと思うなら、殆どの暴力団に入る者は、これに当てはまるが、その矛盾をどう説明するのだろうか。

もう一つある。
家庭環境に同情のよりがある子が、まともな生活をしたら、何か褒章があるのか。

何故、総理を撃ったテロはここまで庇われ、暴力団は駄目なのか。

こう言った矛盾を「不公平」と言う。



差し入れをした者の誰でもいい。
論理的に分かるよう、整合性が取れる説明をしてほしい。

こんな不公平な事が罷り通れば、犯罪者は家庭が悲惨であればあるほど、可哀想だから仕方ない、と言う論法になりかねない。

差し入れた人らは、何か勘違いしてないだろうか。

本当は、マスコミの意見に流される、短絡的で愚かな自分の考えに、流されてると気付けないのだろうか。

そして実はこれが真実だと思うが、自分より彼が不幸だと勝手に思い、差し入れをする自分に、優越感を持ってないか?

統一教会は検察と裁判所などの司法が裁くだろう。
しかし、テロリストに同情し差し入れをした者は、偉くもなく正しくもない。
只々、自分が善行を行ったと思い込みたいだけだと思う。

人間はおかしいと思う事には、頭と体を使うべきだ。

容疑者は母親を説得し、同時にこう言う事への対応をどうすればいいか。
あらゆる努力をして、解決策を持ちめるべきであった。

父親が自殺したら。
母親が騙されたら。

人を殺しても可哀想、と考える世の中に、いつから日本はなったのだろう。

環境も命も自分で動かし、変える。
それが運命である。

その為には普遍の努力が必要とされる。

自分がやるべき事を放棄して犯行を犯し、宿命のせいにできるのなら、家庭環境が彼より悲惨だった、私の多くの友達はどう思うだろう。

私の友達は悲惨な家庭環境の中、死に物狂いで生き、更生し、今は幸せな家庭を持つ。

いちいち書かないが、父が自殺し、母が数億円騙された事より不幸な友が、私の周りだけで何人いるだろう。

家庭環境などに同情する意味での支援はあり得る」
と言うのは間違っている。

家庭環境などには同情するが、支援の対象にはならない」
が、正しい。

こんな中学生でも分かりそうな事を、褒め称える世の中だと、教育の根本が変わる。

そうなった時、自分より不幸だという上から目線の、軽い気持ちで寄付した者達は、どう思うのだろう。

環境が可哀想だと同情する事は、宜しい。

しかし賛同し、差し入れまでし、彼こそが被害者だと言う。
こういう人は、即ちろくな苦労も努力もしていない事に、間違いはあるまい。

少なくともテロにお金をあげる、と言う行為は、乞食を見下ろし、お金を恵む事より良くない事だと思う。

本来マスコミ、そして心理学者は「こう言う行為はいけませんよ、矜持を持ちなさい」。

そう教えるべきだ。

彼ら彼女らに「テロに屈しない」などと言う権利は、もうない。

環境が悪い人は、ヒトゴロシをしても可哀想だ。
そんな不公平な思考が蔓延る世の中が、あって良いはずはない。

「環境も未来も寿命も、自分で変えれるんだよ」。


そう教える事が、美しい国、日本だと思う。






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