哀れなテロルの最期。
現在7月8日22時。元総理の安倍さんが撃たれた。
以下私の推理を書きたいと思う。
逮捕された人物をテレビで見る限り、瞬きの回数や、手足の動作のスピードから見ると、人を撃つ前の人間の仕草とは思えない。
ある意味、腹が座っているか普通のことを行う前の態度である。
真実はどうなのか現時点で分からないが、彼には友も師も、そして信じるものもいなかった。哀れな男。
以下、理由を述べる。
テロル。
つまりテロリストと言えば、古くは山口二矢、記憶に残るのは金丸信を撃った右翼を思い出す。
私はテロというものが嫌いで、笑われるのを覚悟でこれを一言で表現すると、卑怯者だ。
私は過去、反社会勢力や警察に呼び出されたり、一人で怒鳴り込んだ経験がある。
いつも1人で「柳原でございます」と正面切って行っていた。
21歳の頃、某警察署の一階ロビーで、権力を傘にきた警察20人と口論になり、取り囲まれ、1人の刑事を殴ってしまった事がある。
警察の、多勢に無勢な制圧が卑怯だと思い、ついカッとなり手が出てしまうという、愚かな男だった。
「言葉で相手と話し合う能力と学のない人間」。
この時の私を馬鹿と言う。
自分で自分を顧みて思うのだから、間違いはあるまい。
そんな愚かな私でさえ、テロや組合等の集団の行動が嫌いだった。
不意打ちで武器を用いるテロル、集団で関係のない人をも巻き込み、自分達の利益のみの賃金闘争を行う組合のデモ。
小さな頃からこういうのが嫌いだったが、ボクシングのお陰で人を殴る奴は、言葉で物事を解決出来ないバカと知る。
こういった事を経験し叱られ、注意され、顧みる為に勉強した。
警察を殴るガキが、今や従業員やボクシングジムの生徒に、ボランティアをさせる指導者となった。
人は変われる。
そのチャンスを放棄し、哀れで庇いようのない大人になり、結末はこうなった。
次に、この男は冒頭で書いた様、人を撃つ前の緊張感すら見られぬ事から友もいない寂しい、何らかの精神が病んだ男だと思う。
普通41年も生きてれば、人様から叱られ注意され、恋をし、喧嘩もし、時に本を読み反省した事くらいある筈である。
この男はそういう機会から逃げ、結果、手前勝手な思考になった。
だから子供でも分かる事の善悪をも、どこかで失った。
次にこれが一番言いたいのだが、人は武器を持つと使いたくなる。頭が悪く、人間の弱い人間は尚更である。
悪事というのは誰でも大なり小なり、1度や2度は起こす。
悪事はバレるのが早ければ早い方がいい。
人間は魔が刺すことがある。一度バレず二度バレず、更に続くと人は悪事に麻痺する。悪い事を悪いと思わなくなる。
だから、銃を自分で作れる時代が悪い、とか本質を見ない思考が蔓延る。
そこに思考がいくと、飛行機は落ちる可能性があり、道を歩くと車に轢かれる可能性がある、こう言う思考になり何も出来なくなる。
思考を戻し、駄目なものは駄目だという、当たり前で大切な事を、教えさせる事が先である事を知る事である。
このテロルをきちんと育てられなかった、親がまず悪い。
道徳を教えず、時々の耳目を引く犯罪のみを語り、視聴率オンリーのマスコミ、SNSでの議論、揚げ足ばかりを取る風潮は尚、悪い。
それより親の愛情や、このテロルもどきに叱る人も友になる人もいなかった原因を、探求する事の方が大切だと思う。
だから私はそうならない事を念頭に、教育というものに目覚め、突き詰め行うようになった。
こういう時だけ、暴力に屈しない、と騒ぐ事は誰でも出来る。
知行合一という言葉を、テロルがあった時だけテロルのみを語る知識人は、よく考えた方がいいのではないか。
テロルはつまり暴力である。この男は学を放棄し、師も友も持たず、正しい道を教えられなかった者の成れの果てである。
結果、この男は銃を作るとか下らぬ趣味にのめり込み、何が何だか分からなくなった。
今回の男は、この様な負の要因が、生を受け41年目にして全て生熟し、その末に起きた悲惨な人生の結末である。
当たり前の教育、普遍の原理原則を学び、又はそれを教える社会の必要性を、もっと考える人が増えるといいな。
心からそう思う。
少なくとも自衛隊にいたこの哀れな男は、21歳の時は私より優秀で、普通の人であったと思う。
考える事を放棄すると、どれだけマスコミが騒ごうとそれは、暫くすれば、その場限りの対応を考える。
私より優秀だったと思慮される男も、そして世の中ももっと根本的な事を、地道に当たり前に勉強し、行う方がいい。
私はそういう基本的な人としての基礎を、子供や若者に教え込む事が、少しでも世の中を良い方にする術だと信じる。
こう言う時だけ残念だ、テロは許さない、と言う。否定はしない。
しかし、である。
「こう言う時だけ」では何も変わらない。
「人を傷つけるのは嫌だ!何故恨みのないベトナム人を俺が殺さなければならないんだ!」
そう言って非国民扱いされ、のちに神に最も近づいた、モハメドアリの知行合一な生き様は一貫して変わらなかった。
それが正義で当たり前のことだったから、彼は今も白人のアメリカンからでさえ、畏敬の念で称えられる。
テロルの最たる戦争を拒否したアリ。
彼の生き様は宗教や国を超え、なんと言おうと正義であった。
こんな歴史を、教育を、いつまでも青少年に行う事が、大人の義務に決まっている。
人が人を一方的な想いで、反論の場も与えず殺す事は、あってはならぬ。人間はそこまで偉くはない。
戦争を語る前に、我々で出来る事をした上で戦争が悪いと言える。モハメドアリの様に。
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