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テレビと新聞とプロボクシングから視る教育と人の判断と価値。

4月2日に行われたプロボクシングYANAGIHARAホールディングス杯 IN北九州 VOL,12

今回の興行は何個かのドラマがあった。

ある日ジムに電話があり「当方山口県からです。ボクシングは見た
事あるんですが、生ではないんです。チケットはどうすれば買える
のでしょうか?」。

こういう問い合わせは結構あるが、この電話の主は何かが違った。

話が弾むと共に、儒学を勉強してる方かと感じさせる方だった。

「もしかしたら急用が入るかもしれないが、入らなければ観に行き
たい」。

そう仰るので「その時は届けます」。

最後はそう言って電話を切り、話し終えた。

試合、約1週間前。ジムの電話が鳴った途端、何故か「あの人だ」
と思うと、案の定そうだった。

やはり私は間違いなくチャクラが7つ開いてる。

そうと思うと同時に、初恋が実った様「ヤッホーイ!」と叫んだ。

相手の方の住所とチケット枚数を聞き、従業員にチケットを即1枚
送るよう指示した。

さて。某日新聞社の方が、優矢の写真入り記事を書いてくれたが、
正直心の中では「負けるのに申し訳ない」と思った。

あれもこれもとこなしてしまう、器用なのか欲張りなのか分からん
私だが、優矢が追い込んで練習をしてない事が気がかりだった。

こういう時は負ける。

そう思い、取材に来られた新聞社の記者の方へ申し訳なく感じた。

西日本新聞

試合は、至極当然の様に負けた。

だからと言って優矢を見放したり、悪く言ってるのではない。

勿論これからも見放したりはしない。ただただ、お客様に申し訳な
かった。

こいつは素直で嘘を言わない。

しかしドジなので2年程前、私の家で5日程部屋住みをさせ、朝は
走らせ、掃除と読書、感想文を書かせたことがある。

まだまだ自分で殻を破れないが、辞めない限り勿論面倒を見る。

早熟とか、若き天才という言葉があるが、これを正しく理解して使
ってる人は少ない。

人間には、優しいとか粘り強いとか素直だとか、生まれついての徳
性がある。

木で言うと幹の部分。つまり一番大切な所である。

生まれついて勉強ができるとか、運動神経がいいとか、そういう物
はあるに越したことはないが、木の枝や葉と同じく、いつか折れる
し散る。重要な物ではない。

そんなものは、後で付いてくるし、幹がしっかりしてるとまた生え
てくる。

しかし幹が無くなったり腐ると、二度と葉も枝も生えてはこない。

当然人間にも当て嵌まる。

こう言う事を知らぬ大人が子を甘やかせ、また妄信し、例えばスポ
ーツ万能だからと「辛抱」とか「継続」という人としての徳性を見
損ねる。

結果うちの子はスポーツ選手に、だの、頭が良いから末は博士に、
等と言うと、とんでも無い成人が時に出来る。

社員に給与を払ってる経営者は、特にこういう所には敏感で、給料
を払ってると、どう接しようがダメなのがいる。

身銭を切ってお金を払う者しか分からない事はある。

こういうのはガキの時、甘やかせたりほったらかしたり、教育に興
味のない親が産んだ、経営者からすると泥棒である。

何やかやと手を焼かせながらも、一つの事を継続させ、次の世界へ
行く子は、よほど師匠が悪いかその子の徳性が腐らぬ限りきちんと
育つ。

勉強が出来るだの、スポーツ万能だの、そんなものは子供のうちは
関係ない。あるにこしたことはない、単なる枝葉に過ぎぬ。

ある意味、私の両親が放ったらかしだったので、まともな人間にな
るのまで、私は普通の人の2倍を要した。

ここで話は一旦変わる。
いや、変わるがまた戻る。

実は興行の数週間前、テレビ局の友人にジムのメインの濱村悠太郎
を取材してくれないか、と依頼した。

理由は今、追い込んでない優矢に新聞が入り、追い込む悠太郎に入
らないのは不公平だから。

が、インフルエンザという菌のお陰で、カメラマンがダウンした。

試合2日前「申し訳ない、マンパワー不足です。」という電話があ
った。

悠太郎も優矢も小学生からうちにいて、大なり小なり梃子摺らせ、
今がある。

2人の共通点は素直さと継続してる、という所。


ボクシングモバイルより

私の辞書に無理と不可能と途中でやめる、という文字はないので、
継続と辛抱を真似してほしいが、ここで話を戻す。

冒頭ご紹介した方は、興行終わりに私に話しかけてくれ、名刺を出
した。

他県だがTBS系のテレビ局の方だったが、私達はまるで数十年来の
友人の様に話し込んだ。

そして別れたが翌週、私とスタッフと、優矢宛にと手書きの手紙を
書いてくれた。

優矢が何と書いたか知らぬが、翌日直ぐ優矢から返信の手紙が来た
そうで、この方から又お礼のメールが来た。

私はすかさず電話をし、またもや数十年来の友人の如く、一時間ほ
ど話し込んだ。

私が55歳だというと、大変慄き「42、3歳かと思っていた」と言
われ、つい喜んだが書いていて「もしや会話のレベルが低くてそう
思われたのか?」と思わん事もないが、兎に角話し込んだ。

「優矢君のお母さんの誕生日に負けたけど、勇敢だった」とお褒
めの言葉を頂いたので、それは違う、と私は言った。

やはり勝負は勝たないと意味がないのか?と、いうこの方の問いに
私は「そうではない、こいつは自分を徹底して追い込まなかったか
ら負けるべくして負けた。そこがお客様に申し訳ない」。

そう答えた。

そうして話す事、1時間。最後に彼はこう言った。

「柳原さんの美学やお客様、選手への想いが分かり、マスコミの人
間として得る物がある。柳原さんやYANAGIHARAジムの話を朝
礼で社員にした」。

そう前置きし、こう続けた。

「それでも柳原という人がいたから、優矢君がいる。産まれて初め
てのボクシング観戦がこんなに楽しめたのは、柳原さんが優矢君を
育て彼がいるから、この歳で帰りの汽車の中でも余韻に浸れた」。

私はまだまだ足りていない、と思うと共に悔しさを感じた。

もっと私が選手にベストを尽くせたら、少なくとも優矢の試合の余
韻を、もっとこの方に与えられたのに、と。

プロボクシングは人に勇気を与える。

決してお笑いではなく、また勝てばいいという物でもないが、入会
した時の優矢が、私と歳の変わらぬテレビ局の方を感動させる様に
なった。面白い試合だったと言わしめた。

さあ、これからは悠太郎が名古屋に乗り込み、全日本新人王として
来年の4月はもっと感動させる試合をさせねばならぬ。

闘志無き者は去れ。
継続出来ぬ物は去れ。
利己的な者は去れ。

悠太郎は中学2年でJr.全日本チャンピオンになり、同じく優矢も中
学2年でプロの全国チャンピオンとなり、デビュー戦で負けた。

しかし、である。

2人の徳性は消えちゃいない。

昨年対抗戦で負けた悠太郎は、今回100点の出来だった。

それは徳性が進化し、だからこそ綺麗な枝や葉が、咲き出し始めた
からだと思う。

優矢も、他の選手も諦めず素直で継続すれば必ずそうなる。

あとはトップである私が無駄な者、無駄な仕事をどんどん削ぎ落と
し、私欲を無くしもっとベストを尽くし続ける事だと思う。

どうベストを尽くすかは難しい。

しかし選手や若い子はそんな事は考えず、言われた事をやり、自分
でも考え、頭じゃなく感じながらどんどん前に進ませる。

人間はやる事が多いからこそ、考える事が多いからこそ、体はきつ
いが精神は、更に選手達へ注いでいこうと思うのだろう。

あと少し。
あと少し。

これを死ぬまで続けるため、人間は生まれてきた。

人生は難しくなければならん。
心よりそう思う。

来年はせめて、遠くから来たこのテレビ局の方へもっともっと余韻
に浸って頂きたい。

切にそう思う。

宜しければサポートお願い致します。正しい教育活動に使います。今後とも宜しくお願い致します。