入学式や始業式で言われがちな「人の話はきちんと聞きましょう」を考える。
桜も満開。新学期のスタートですね。
さて入学式や始業式で子どもたちに対して学校生活のいろんな心構えが示されますが、その中のひとつに「人の話はきちんと聞きましょう」「先生の話はちゃんと聞きましょう」というものがあります。
これについて思うことがあるんです。
もちろんその訓示はそのとおりなのですが、でも「きちんと」とか「ちゃんと」ってかなり抽象的ですよね。
もし私がまったく文化の異なる国に初めて行って、いきなり「ちゃんとして」って言われたらかなり戸惑うと思います。「ちゃんと」って?「きちんと」って? 私はちゃんとしてるつもりなんだけど…と。
子どもにとって「学校」は初めての国を訪れるようなもの。
「ちゃんと」や「きちんと」という表現が何を意味するのかを理解するためには、求められているふるまいを具体的にイメージする必要があります。どういう所作のことかを知っていないと分かりません。
では「話をちゃんと聞きましょう」と言われた子どもたちは、それがどういうことなのかを具体的に頭の中に描けるでしょうか。
そのために必要なことは2つ。
①子ども自身が「ちゃんと話を聞いてもらった」経験がある
②「大人たちがちゃんと相手の話を聞いている」場面を見たことがある
の少なくともどちらかが必要です。
①はどうでしょう。これは「ちゃんと」の程度にもよりますが、私は子どもに限らず、大人も実はあまり経験していないのではないかと考えています。私自身を振り返っても、専門家にカウンセリングを受けた時とか親しい友人に聴いてもらったのがそれに該当するかなと思いますが、それってかなり人生後半の話です。
特に最近は、子どもが話しかけても目はスマホだったり、何かと忙しくて「ちょっと待って」になったり、うわの空だったりで、親も先生も周りの大人も「ちゃんと」子どもの話を聞けていないかも知れません。
つまり、子ども自身が「ちゃんと」話を聞いてもらった体験は、たぶん、ない。
②はどうでしょう。子どもが目にする周りの大人はお互いの話を「ちゃんと」聞けているか、ですね。これ、自信を持って「できてます!」と断言できる大人は少ないのではないかと思います。
別の場面を考えても(子どもがその大人の様子を見ることはないかも知れませんが)、たとえば大人は(私も含めて)研修中などで講師の話を「ちゃんと」聞いているでしょうか。スマホを気にしてないでしょうか。学校で言われる「ちゃんと聞く」が、背筋を伸ばして、先生のほうをむいて、ゴソゴソせず、集中して…ということを意味しているとするなら、そのお手本となる受講態度の大人っているんだろうか…とも感じます。
あるいはテレビで見る大人たちは、相手の話を「ちゃんと」聞くどころか、さえぎって自分の主張を披露します。子どもは、それがテレビという場のショーであることなどまだ理解できないでしょう。
つまり。私たち大人は「人の話をちゃんと聞く」ことを具体的に子どもに示していないにも関わらず、抽象的な表現でそれを求めているというかなり無理難題を押し付けているのではないか、と思うのです。
こうして考えると、「ちゃんと話を聞いてもらう」ことって実は体験する機会がないんじゃないの?と思います。
もしも、みんなが、子どもの頃に「ちゃんと話を聴いてもらう」ことを体験して大人になれば、もう少し住みやすい世の中になる気がします。
これは私の願望ですが、私は、学校で、ひとりずつ全員に1時間枠で、「とにかくあなたの話をちゃんと聴く」人として関わりたいと思います。カウンセリングとか悩み相談とかいじめ防止とか、ことさらそういう目的ではなくて、希望した人だけでもなくて、その子の好きなこととか、今日何があったとか、たわいもない話でもなんでもいいから、とにかく「ちゃんと話を聴いてもらえた」という体験を日常の中で感じる機会がすべての子どもたちにあってほしいと思っています。(そしてそれは独立系の社会福祉士が担えるのではないかとも考えています。)
本日は以上です。
今日も良い一日を!
*****柳田明子社会福祉士事務所〰聴く・伝える・ともに考える〰(2001年開業)〔(公社)日本社会福祉士会の独立型社会福祉士名簿に登録されています〕ブログ(2010年~)http://a-yanagida.asablo.jp/blog/*****
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