人だかりのどこかに
年寄りです、年寄りが居ます、冥土の土産に見せてやってください。
おばあちゃんと一緒に私を花火大会に連れて行ってくれた叔父が、人だかりの後ろから大声で叫びます。
私たちは最前列に押し出されてゆきました。
そらだせだせやあ、そらだせだせやあ。
三河地域には、手筒花火を出す文化があります。
縄が巻かれずっしりとした筒は、小さい子くらいの大きさ。
しっかりと脇に抱えて天に向けます。
そらだせだせやあ、そらだせだせやあ。
導線に火をつけると花火が勢いよく噴き出します。
出し手は火花をかぶりながら、筒花火をしっかりと抱えます。
底がボンと音を立てて抜けるまで。
花火を焚き上げた筒は持ち帰られて、家の守り神になります。
そらだせだせやあ、そらだせだせやあ。
手筒花火の燃え盛る炎に照らし出されながら、おばあちゃんは、手をひらひらさせて踊っていました。
満足げに。
私たちの心の奥はひとつにつながっていて、絶えず交流がなされ影響しあっているといいます。
集合的無意識という領域の話です。
肉体には限りがありますが、心には制限がありません。
生きている人もでも亡くなった人でも、無意識での交流は変わりません。
想いは、現実の源になっています。
面白いもので、カウンセリングでプロセスのお供をしていると、その人がご縁を感じるご先祖様の話が、ぽろっと出てくることがあります。
重要な転換期に。
私の言葉で表現するなら、呼ばれている方向への暗喩的なメッセージです。
ちょっとロマンティックにすぎるかな。
でも、あながち間違っていないと思います。
もっと身近な言い方だと「ご先祖様が導いてくれている」感じですね。
無意識的な交流があるご先祖様は、とても愛されていた人でしょう。
実感はなくても、大切に思われていることもよくあります。
一方で、面識がなかったり、遠縁だったり(4代くらい前とその傍流まででしょうか)する場合もあります。
ご先祖様の天命を受け継ぐ才能を、なぜかその人が授かっていることが多いように思います。
後継者がその人以外、家系に誰もいない。
だけど、才能が顕わされる約束がなされているもの。
重要な転換期に現れるご先祖様を調べてみると、メッセージが読み取れるように思います。
ルーツが、呼んでくれているんですよね。
特に、才能に関して、強力な援助を受け取れる印象です。
ある種の衝動を持って表現される、内的なアート。
この世に表現されなければならないものとしてあるように感じます。
世界に顕われる約束がなされているもの。
重要な転換期。
いくつもありますが、夫の出会いは私の人生を変えていきました。
なかなか言葉にはなりにくいのですが。
夫以外の人だったら今の仕事にはついていないでしょう。
彼と分かち合うものはとても豊かで、カウンセリングを含めて全て私の表現の土台になっています。
出会う前の年末、私は一人暮らしの部屋でとても寂しく過ごしていました。
心を癒すことも、自分が変わってゆくことも、人を愛することも、一生懸命頑張ったつもりだけど、今年もパートナーには出会えなかったな、とひどく落ち込んでいました。
年末っていうのが、ひりひり辛いんですよね。
否が応でも、家族を想い起こすイベントばかりだから。
それでもできることはすべてやった感じがするのです。
言い方を変えれば、もう手がない。
あとは、神に祈るくらいしかないと思っていました。
当時は神様というのもよくわからないし、ぴんときていません。
だから私をいちばん可愛がってくれた、父方のおばあちゃんに祈りました。
どうか真実のパートナーを送ってください。
おばあちゃんは、聴いてくれていたのでしょう。
年が明けて、渋々ながらも、勉強していたカウンセラー養成スクールの「ヒーリングワーク」に出向きました。
会場で、パッと目についた人がいました。
数ヶ月前に見かけたとき。
ちょっとしんどそうだな、感情を扱う場所は好きじゃないかもな。
だけど、つながりを感じられるようになると何かが変わる。
また来れるといいな、と思っていた人。
あっ、よかった。
なんだか嬉しくて、なぜか私はノリノリでした。
思わず話しかけてしまったのです。
だけど今考えれば、嬉しかったのはおそらく。
出会えたからです。
僕は、どもりがあるのでうまく喋れなくてごめんなさい。
しまった、圧が強かったかな。
でも、話してくれている。
それよかこの人、初対面ごとにこうやって謝ってるの?
どもるから?
なんだか悲しくなりました。
だけど一生懸命話してくれる姿を見て思ったのです。
この人が好きだなと。
急速に仲良くなって、2週間後にはお付き合いが始まりました。
パートナーが出来たのは、7年ぶりくらいだったでしょうか。
遠距離だったので、電話でコミュニケーションをするのですが、ある日。
子供の頃の話をしていました。
夏休みの思い出です。
都会から海沿いの従兄の家に遊びに行き。
まだ存命だった父方のおばあちゃんが、食べに連れて行ってくれたかき氷。
店先で、夏だけ出しているような。
すると、電話越しの彼の雰囲気が妙なのです。
えーっと、出身はどこだったんだっけ。
出身は東京だけど、父方は、静岡だよ、西の方だけど。
うん、駅でいうと、どこかなあ。
不思議に思いました。
海沿いの小さな駅で、特に有名でもないので、なんでそんなことを聞くのだろうと疑問に思いながらも答えました。
あらいまち。
あらいまち?!
私を可愛がってくれたおばあちゃんが生まれ、父や叔父叔母たちも暮らした、遠州灘に面した小さな町です。
私の精神的な支えとなり、父親代わりになってくれた従兄の家や、祖父母が眠るお墓があります。
故郷を持たない私ですが、なぜかずっと帰りたいと思っていたくらいの、故郷と思える場所です。
それにしても彼の驚愕ぶりが謎です。
出会いは東京でした。
勤務先も住まいも今と変わらず当時も群馬でした。てっきり群馬の人だと思っていたのです。
にもかかわらず。
多分、そのかき氷、僕も食べたことがある。
はっっっ?! なんで?!
僕、静岡なんだよね。母の実家は、新居町。
はっっっっ?!
それにね。
うん。
母の旧姓は白井さんなんだよね。
はっっっっっっっっっっっっっっっっ?!
驚くのも当然でして。
お付き合いしていた頃私は。
白井さんだったのです。
父方姓です。
持ち上がったのはまさかの親戚疑惑です。
彼の母は、新居町出身の白井さん。
私の父も、新居町出身の白井さん。
流石に、私は父に、彼はお母さんに連絡を取り色々と調べてもらいました。
結果、地域に多い姓で親戚ではなさそうだと落ち着いたものの。
最終的に、義母と私の父は同じ小学校の卒業生だと判明しました。
披露宴での招待客に、両家やたらと白井さんがいます。
担当の人が「えーっとこれは…」と戸惑っていたのを思い出します。
あらゆる変化は無意識領域からまず起きて、徐々に意識レベルまで影響を受けながら現実が変わります。
急に何か起きたように見えても、やはり無意識的にはすでに何か起きていたのです。
変化のエネルギーがついに表面化すると。
人生の転換期になるのでしょう。
まるで想像がつかなかった人生を送ることになるかも知れません。
全く違う生き方を選ばざるを得ないようになることもあります。
なかなか勇気のいる選択になったり、大きな手放しが起きたりもします。
授かっている才能に背を向けず。
引き受けて生きるのは。
決して楽なことではありません。
だけど真実なら、どこかで望んでいた。
生きるよろこびを感じられるからです。
天命と真実のパートナーは同時にやってくるといいます。
苦労もよろこびも、分かち合って生きる。
辛いことは半分に。
よろこびは何倍にもなって。
ルーツが呼んでくれているのでしょう。
真実を生きられるように。
ご先祖様が導いてくれているのでしょう。
よろこびを生きられるように。
大切な人とともに。
無意識には神の領域があると考えられています。
夏のお祭りや花火。
この世とあの世の境目がとても身近になるように思います。
お盆にはきゅうりやなすの馬に乗って、ご先祖様たちも帰ってきます。
同じときを過ごします。
そらだせだせやあ、そらだせだせやあ。
「お母ちゃん、私は死ぬなら故郷で死にたい」
悪化する戦況を感じた娘に言われて、決めたようです。
誰にとっても、死が間近にあった時代でした。
おばあちゃんは当時の住まいの広島から、終戦の数ヶ月前に、故郷へ戻りました。
船乗りだったおじいちゃん。
軍港である呉を離れなかったのでしょう。
あのときおばあちゃんが広島に留まったら。
今、私はこの世にいません。
おばあちゃんたちが住んでいたのは広島市内。
爆心地に程近かった場所だからです。
向こうからぼろぼろの兵隊さんが来るやあ。
おじいちゃんは帰ってきました。
おばあちゃんのもとに。
戦後産まれの叔父は。
愛し合うふたりの象徴のようです。
年寄りです、年寄りが居ます、冥土の土産に見せてやってください。
私たちは最前列に押し出されてゆきました。
無意識は、神なるものの意識とともにあります。
手筒花火の燃え盛る炎に照らし出されながら、おばあちゃんは、手をひらひらさせて踊っていました。
満足げに。
そらだせだせやあ、そらだせだせやあ。
どんなに苦しいことがあっても。
世界を愛し、生きるよろこび。
ああそうか。
あれはおばあちゃんの神楽だったのか。
天命と真実のパートナーは同時にやってくるといいます。
あんたは先生になりん。
子どもの頃何度もおばあちゃんに言われました。
どうやって生きたらいいか迷いの中ばかりでしたが、ずっと心に残っていました。
たまに「あこ先生」と呼んでくださる方がいると思い出すのです。
自分に起きる不思議なことは信じにくい方です。
でも、真実のパートナーに関してだけは、おばあちゃんが縁を結んでくれたと確信しています。
決して切れない絆を。
子どもを持てなかったことも。
病気で障害者になったことも。
辛いことは半分になって。
くだらないことで笑い合う日々。
いろんなものを一緒に見る日々。
豪華じゃなくても美味しいものを食べる毎日。
行きたいところに行く。
疲れて自力で歩けなくなったら車椅子を押してもらいます。
いつだって一緒だから。
よろこびは何倍にもなって。
おばあちゃんは、氷を食べる、ではなく「のむ」と言っていました。
少し暗い店先に、もちろん手動のかき氷機。
宇治金時くらい奮発してくれたように思います。
多分、そのかき氷、僕も食べたことがある。
まだ出会っていない。
だけど。
どんなに苦しいことがあっても。
ともに世界を愛し、よろこびを生きるあなたは。
人だかりのどこかに。
夏の夜。
この世とあの世の境目に。
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