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フランクルのように

絶望的な状況でも尊厳を失わず生きられる

こんにちは。やなぎあこと申します。

2012年10月プロ心理カウンセラーとして活動をはじめました。面談や電話でのカウンセリング、ワークショップ講師や講演、心理学的コンテンツの執筆を中心に活動して参りました。

2019年末には所属団体の講演者コンテストで念願の年間1位をいただきました。

努力が実を結んでほっとしたのも束の間。さあこれからと思っていたのに、年が明けて2020年3月重い病気に罹りました。

ギランバレー症候群。毒性の強いバクテリアが体内に入り、免疫システム暴走(過剰防衛)により神経を攻撃し障害させる、自己免疫性疾患です。

神経障害で呼吸筋も低下し、酸素飽和度も90%をすぐ下回ってしまう状態でした。重症です。

罹患した多くの患者が元通り回復するようですが2割は予後不良、後遺症が残ります。急性期担当医に「先生私どこまで治るかな」と聞いたら「状態が状態だったからねえ」とおっしゃったので、当時の予後予測はあまりいいものではなかったと思います。

闘病は、寝たきりで生活動作全介助からスタート。1級の身体障害者になりました。

絶望しました。

手厚い医療体制のもと急性期を乗り切り、リハビリに励み続けました。本当に大変でしたが2021年8月3級へと回復しました。当時関わってくださっていた医療従事者に再会すると、みんな驚いてくれます。中には泣いて下さる方も。

エビデンスに基づく安全な医療と、カウンセリングなどで分かち合ってきた心理学の実践。ふたつの合わせ技一本で、身体回復と、障害受容が進んだと感じています。

私どものご提供するカウンセリングは「提案型」です。

対人関係をうまくやるコツのような、ノウハウを求められがちな面は否めないものの、どうしたら目の前の人のまるごとを、否定することなく愛せるかを知っていただく、とても包括的な他者との向き合い方をお伝えするのが「提案型」の最大の魅力であり、本質だと私は考えています。

条件付きではなく、全てを受け入れ愛する心を育む、と言い換えられるかも知れません。

どんな自分であっても否定せずに受け入れる心も同時に育みますが、言うは易しで、なかなか根気のいる道のりです。

しかし、結局私はこの考え方に救われました。

個人差あるものの、ギランバレー症候群は緩やかに回復が続くと考えられている病気です。しかし今も後遺症が残る予後不良群としては、常に身体的に損なわれた自分の状態と直面せざるを得ません。

それでも自己否定の罠に陥りにくくいられること、また仮に身体が不可逆的な状態に陥っても、カウンセリングで駆使している心理学をもとに、心が回復してきたプロセスを考えると、制限の中でも自分を開き、与え尽くす選択をしただろうと、今では考えています。

身体の状態どうあれ、病後は同じ生き方になったのではないか。

本当に幸運だったのは、カウンセリングという仕事を通じてこころの力をよく知っていたこと。ナチスの強制収容所から生還を果たした『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルが精神科医で心理学者だったことと似ているかもしれません。

だとしたら、フランクルのように生還後の人生を、人々を支え励まし生きていくことが、私の天命だと思い至りました。

絶望的な状況に陥っても、尊厳を失わず生きることはできる。

眠ったらもう二度と目覚めないかも知れない怖れにあっては、人との関わりを断ち、心を閉ざしてしまいたくなります。攻撃的な態度を取りたくもなるし、誰かのせいにしたい。

だけどそういった態度は、助けてくれようとする人たち、特に、大切な夫や、医師、メディカルスタッフの罪悪感を刺激する、まさに自分自身の攻撃性であるとこれまでのカウンセリング経験から理解していました。

大変な状態であることは間違いありません。
ひきこもり、DV、離婚、精神科への措置入院、自己破産、生活保護、自殺未遂など、なかなか波乱万丈な人生を歩んできましたが、どれをも上回る過酷な体験でした。

それでも、自ら尊厳を打ち捨てるようなことはしたくなかったのです。

何を選択するかで好転の可能性が変わる

心がけたこと。

心理学を学び続けたおかげで、起きていることが罰ではないことは理解していました。

どうしてこうなっちゃったのかと嘆くにしても、誰かを恨まない。自分も責めない。

直接的な八つ当たりだけでなく、攻撃性のいち形態と言われる心理的ひきこもりも選ばない。

その代わり、心を開き、目の前の存在に喜びを感じることに、コミットメントをする。

選択はできる。たとえ身体は動かなくても。

もちろん完璧にはできません。うまくいかないこともたくさんありました。3割バッターがいいとこでしょうか。でも3割打てれば充分とクライアントさんにもお伝えしてきました。誰だっては完璧ではないですからね。

もともとおせっかいおばさんの傾向が強い私で、誰かの役に立ちたい気持ちも強い方です。

しかしそもそも「人は愛したい生き物」で、愛せているときに心が充足します。

うまく愛せない、どうしてあげたらいいのかわからない時に人は苦しむ。お子さんをお持ちの方はよくお分かりと思いますし、あの人幸せになって欲しいけど自分は何の役にも立てないかなという気持ちは誰でも持つと思います。

表現手段は横に置くとしても、誰かの役に立ちたい気持ちは、犠牲などではなく、人間の全体的自尊心から立ち現れる健やかさだと私は理解しています。

それほどまでに「人は愛したい生き物」。
だから愛する選択が出来ると苦しみは終わってゆくのです。

返報性という言葉を思い出したのは入院して数日後でした。与えたものと同じものが返ってくる心理原則です。

誰からどこからかはコントロール出来ませんが、愛を与えれば、愛が返ります。必ずです。

目の前の人に、自分なりの愛を与えてみよう。どこまで闇を抜けていけるか、賭ける。
返報性を思い出した日に決めました。

リハビリ病院に転院前、夫に音声入力を手伝ってもらい、急性期担当医に書いた感謝の手紙には「生きたいという気持ちと、生きることの意味が葛藤して、苦しい気持ちにもよく陥りました」と記しています。

こんな自分なんて生きている意味があるのだろうかと、人生で一番思った時期でしたが、生きたいと思えば思うほど怖れを強く感じていました。

試されていたのだと思います。何を選択するかを。

どういう状況でも選択の力は残されているのが心

自意識過剰という表現があるように、自分のことばかりにフォーカスさせる心の働きが人間にはあります。自意識の正体は怖れですが、ゆえに幸せを感じさせない罠を張ることがあります。自意識はエゴとも言います。

こんな自分なんてという自己否定は、まさにエゴの張っている罠です。

特に入院した時期はちょうどコロナ禍が拡大して行った頃で、夫になかなか会えなかったため、医師やメディカルスタッフとの関わりを大切にしようと考えました。

でも、身体が動かず惨めさを感じるからですが、自分なりの愛を与えようとするとき、エゴの罠によく引っかかりました。

寝たきりだし、右顔面麻痺だし、構音障害で呂律回らないし、そもそも声出にくいし。

こんな私に言われても嬉しくないかな。患者が褒めるなんておこがましいかな。

笑顔を向けても痛々しいと思われるかな。

だけど、エゴではなく愛を選ぶ。

能動性を意識しました。
自分なんかって気持ちを横において、嬉しさや感謝、素敵なところを見つけて伝えて行きました。まあそれしか出来ません。動けませんから。

相手を好ましく思う気持ちを隠さず伝える。職業柄もあってもともと優しい言葉をかけてくれる人たちばかりですが、待つのではなく自分から。

少しずつ、顔を見るだけで嬉しさがこみ上げる人たちが増えて行きました。

はじめは、こんなに大変なのに与えるだなんて、犠牲もいいとこじゃないかと疑いましたがやっぱり違うのです。

やりたくないのに嫌々やれば犠牲ですが、例えば担当医に笑顔を向けると、やはり親しみが返ってくるのです。
メディカルスタッフのいいところや感謝を出来る限り伝えるようにしました。

嬉しいと言われるとこちらも嬉しいのです。
いつの間にか喜んでいる自分がいる。

喜びの中で、辛さは溶けて行きます。

好意は必ず返報します。辛い闘病生活のはずが、転院先ではしばらくホームシックを起してばかりだったくらいです。

フランクルは本当に何度も何度も生きることを選びましたが、特に急性期は彼をよく思い出しました。

ホロコーストによる死を待つばかりという極限状態にある、愛(この場合は神の愛と言えるでしょう)が具現化された何らかに気づき、筆記できるものなどないから、すべて記憶したようです。

強制収容所を出て、過酷な体験からの生還を分かち合い、人々の励ましとして生きるために。愛を与える姿勢であり続けた。

闇の底にいても、できることがある。

自分なりの愛を差し出すたび、何度も何度も生きることを選べたように思います。

問題の本質は愛からの分離

いかなる問題も、愛からの分離が生み出すといいます。

相手の存在に喜びを感じることで、身体麻痺という現実はまったく変わらなくても、心がとても軽くなり、少しずつ問題を問題と思いにくくなっていきました。

事実が変わらなくても問題が消える経験をしたわけです。
相手との間に喜びを感じられると、病気も障害も辛くなくなるのです。

人との関わりで感じられる喜びは「そのままのわたし」をまるごと肯定できる全体的自尊心を育むことから、障害受容とも密接に関係しているでしょう。

愛からの分離は孤独を生み、苦しみを深くします。

人間の感情は大きくわけて2種類あり、ひとつは怖れでひとつは愛です。でも最終的に残るのはひとつです。

どちらだと思いますかと問うたとき、一人残らず「愛」と答えられました。みなさんどこかでわかってらっしゃるのです。人間の本質は愛ということを。

完璧を目指さなくていい。でも、誰かの役に立ち、「わたしなりの愛」を与えていくことで、愛が返報し、場に喜びが生まれる。

自分はこの世に生き、誰かに求められるのだという全体的自尊心が回復し、愛ある世界を生きられるのです。

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持続可能なのは愛

愛。

とても抽象度の高い概念ですよね。
でも、人間である以上私たちみんなに愛があります。

プログラムがぱっと書ける、歌が上手い、味覚が鋭い、笑顔が素敵。日常に溶け込んでしまって気づきにくいようなこと。特別さはあまり関係ありません。

愛という抽象的なものが、ひとりひとりに具現化されたものがその人のいいところ、才能だったり、得意なことだったり、魅力だったりするのです。

愛を表現せず隠してしまうと、孤独の問題が起きやすくなります。

感じ方で表すと、誰も自分をわかってくれない、居場所がどこにもない、奇跡を待ち続けているけど何もおこらないといった感覚。

自分にいいところなんて何もないという自己否定や、自分を好きになれない自己嫌悪のように、個人にしか帰属しえないように見える問題すらも、メタレベルで見ると孤独からなる対人関係の問題です。

人の本質は愛です。愛したい生き物です。

だから本当は、周りの人はどういう形であれ力になりたいのですが、恐れから自分を隠すとどうやって力になれるか、わからないものなのです。距離が出来て、孤独を生み出すわけですね。

自分はだめだという自己否定や自己嫌悪は、それこそエゴの張る罠です。自意識にフォーカスしすぎていると感じる類のものです。他者が愛そうとしている視線に気づかなかったり、否定や嫌悪が強くて、褒められたり優しくされたりすると気分が悪くなり、結果的に他者からの愛を拒絶したり打ち捨てたりしてしまうのです。

愛を隠すために起きる苦しさから抜けるには、自分から愛を与えることがいちばんです。

ちなみに、私に愛なんかありません、と思うのもエゴの罠です。

エゴって巧妙です。自分の意識ですから。どうやったら自分を嫌いになれるか、傷つけられるか、否定できるか、前に進ませないか、よく知っています。

とはいえ、辛い状況では自意識にフォーカスしがちです。こういう時にひとりでなんとかしようとすると、エゴの罠から抜けにくいため、ぜひ援助者を求めてください。

なんで私ばっかり苦労しなきゃいけないんだ、と思わせる犠牲感の罠もやってきますが、それでもその人なりの愛を与えていくと、愛が返報して循環するので、徐々に楽になっていきます。

持続可能な選択は人生を大きく変える

犠牲と思わせるエゴの罠は怖れが土台にあります。
しかし実は、怖れは持続可能ではありません。

例えばSNSで、怖れに訴求する投稿ってありますよね。
びっくりするので、読み手は一時的には強く反応しますが、真新しいダイエットが次々と出て定着するものがないように、効果はそんなに長続きしないのです。

怖れを刺激すると集客効果が高く稼げるので、昔からよく使われる手法ですし、今もこの手の広告は溢れていますが、どうしても手を変え品を変えになるはずです。
怖れが持続可能ではないことを証明しています。

「持続可能な開発目標 」SDGs(Sustainable Development Goals)は現在、開発目標が採択された当時より、社会的に浸透してきている肌感覚があります。※SDGsとは?(外務省)

世界全体が、徐々に持続可能な創造をしようとする雰囲気を感じます。世界は、分離より、愛を選ぼうとしているのかも知れません。個人的な感覚ですが、コロナ禍で物理的な距離を選ばざるを得ない状況だからこそ、持続可能な対人関係の在り方を模索している人たちが目につきます。

SNSで表現や広報広告している人たちの中にも、怖れをあおるのではなくメディアを共感と信頼関係の構築に活用しているお手本がいますよね。Twitterだと、シャープさん、ヤンデル先生が人気でしょうか。

怖れを選ばないのは、自分にも他者へも攻撃性を排除することになりますが、ぱっと答えが出ないような選択を、試行錯誤しながら根気よく続けるしか道は開けないし、時間も粘る力も必要なので、ぱっと答え(本当にそれが適切かはかなり微妙ですが)を知りたい人には受けは悪いです。

でも逆にぱっと出る答えの中に、怖れを動機としたものが世界に溢れているのは事実だと私は実感します。

つまり、手を変え品を変えのダイエット広告と同じで、持続可能性がありません。

一時的な変化はあるでしょう。だけど、どんなにいいものであったとしても、怖れをターゲットにして作られたものは結局続かないことを、私も何度も経験しました。

中には、ぱっと伝わったり、すとんと腑に落ちたりするように作られているものもあります。だけどこれらは相当根気よく、またどうやったら人の役に立てるか、受け取る側の恩恵になるかを、かなり考えられて戦略的に作られたものであることが伝わることも多いです。

その粘りこそが愛なのですが。

こういったものは、一見「面白いこと」として表現されていることも多く、人の興味も引きますが、誰かを傷つけにくいつくり、つまり攻撃性が排されていることに気づかれることもあるかも知れませんね。

だからこそ「面白い」のですけど。

愛による変化は持続します。人生を大きく変えていきます。

持続可能なのは愛です。
特に、対人関係における喜びの感情は、終わることのない絆を生み出すことを病気によって実感しました。

離れても、会えなくなっても、ずっと支えられていると感じられ、暖かいものが永続的に胸に残ります。
ご縁の深い方は、再会する、またお世話になるという奇跡も体験しました。

私の仕事で目指すこと

喜びは、信頼関係を生み出します。

どんな人にも、どんな状況にも愛は存在します。カウンセラーとして、関わって下さる人の愛を見出す意欲を持ち続けています。障害を得て、想いはますます強くなりました。

愛を感じられると、こころが温かくなり、場に喜びが生まれます。

闘病生活でも、医師やメディカルスタッフの愛、コロナ禍で家族との面会も制限される中、夫の愛を感じられると、この先も生きていていいのだと、何度も思え、生きる喜びを感じられるようになりました。

相手との間に感じる喜びは、もうこれで死ぬのかもしれないという絶望を抜けて、自分が世界に存在することや、喜びとともに生きることへの、信頼を育んだように思います。

辛さに負けてしまうことが何度もあったことは正直に告白しますが、それでも病を得て、身体が全く動かない状況での愛する意欲は、私自身の愛をブラッシュアップしてくれました。
勿論、カウンセリングやワークショップ、心理学的コンテンツなど、自分が与えられる場に還元していきます。

問題を一番早抜けできるのは、なんといってもアカウンタビリティを持つことです。
もしそうならば、という仮定で全く構わないので「この状況を自分が選んでいるならば」と発想をすることです。

誤解を避けるために敢えて言いますが、例えば私が元夫からのDVに耐え忍んでいたころ、「この状況を自分で選んでいるならば」と発想してくださいと言われたら、カウンセラーには呪詛をてんこ盛りにしたメールを送ったでしょう。Twitter投稿で見かけたら炎上の一端をになったでしょう。

ところが、信頼関係が充分構築されたカウンセラーに同じことを言われたとき、まああいつの言うことなら聞いてやるか、と思えたんですね。

ですから、アカウンタビリティを持つには、信頼できる関係性に身を置けていることが前提条件だと私は考えます。

勿論、カウンセラーでなくて構いません。身の回りにある関係性の中で、誰かひとり、信頼できる人が居れば充分です。
誰も見当たらない場合は、私たちの出番です。

私自身も葛藤しながらではありますがアカウンタビリティを土台に、闘病生活に向き合って行きました。この発想を得なければ、ここまで回復出来たとも、復職できたとも思えません。それだけアカウンタビリティは、パワフルに現実を変えていきます。

アカウンタビリティは、こうなったのは自分のせいだという自責感情とは相関しません。起きていることに責任を持つという、一見メンタルマッチョな思想に感じますが、非常に成熟して精神性の高い態度であり、結果的に攻撃性を手放せるためにとても穏やかで、非暴力的な優しい考え方だと私は理解しています。

もちろんカウンセリングでもアカウンタビリティを通じてご提案いたします。
正直、成熟さが必要なので難しく感じられる場合も多いです。

しかし、信頼関係の中でなら、受け入れて頂けることもまた多いのは事実です。

仕事とは、自分の愛を与えていくことです。
私は、カウンセラーです。

フランクルに比べたら、まだまだ仕事は小さいですけど、ご縁を頂く方の、美しさや素晴らしさ、絶望の中であきらめず未来を信頼する勇気を、喜びを通して見続けて行きます。

noteでは、心理学的コンテンツを中心に執筆をいたします。

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2021年8月25日 やなぎあこ

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