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ヒポクラテスとしみじみする

諦めないでよかった。
きっとここから、人生がまた大きく変わっていく。

ずーっとわからなかったことが理解できるときって、目の前の人の言葉が「確かに私に語りかけられている」感覚がある。

なぜその人を通じてなのかは、意味があるけど「縁」としか言いようのないものであると同時に、登場人物としては最高の配役になっていて、それこそ神の授ける奇跡でしかなし得ない、完璧さすらも感じる。

人間には、とんと無理なのよね、こういうの。

病気という体験を総括したくて、ずっと考えたり資料や本を読み込んだりしている。
腑に落ちるのはまだ先だし、言語化は更に先だろう。

心理学を通じた見方も、概ね理解は出来た。
だけど、意図の深淵を知っていくには、まだ時間が要る。

noteは当初、復職前にTwitterでリハビリがてら連載した、急性期担当医との関わりから学べた心理学的な視点をまとめるために開設を考えていた。

カウンセリングサービス所属のプロ心理カウンセラーやなぎあこ公式noteなので、当然のことながら、事務所と調整して開設。

復帰後、さあ、まとめるか、と思って原稿の準備をしていたが、どうにもうまい方向性が見当たらない。

資料がなぜか物理的に読めなくなってしまったり、執筆に必要な時間が切り出せなかったりして、どういうわけか先に進まない。

これは、一旦寝かせたほうがいいやつだな、と考えて、その間に様々な資料や本を読み込んだり、依頼された仕事をしたりしていくうちに、あることに気づいた。

まとまらないのは、当然だ。
これ、まだ続きがあるんだ。

まだ、私が知っていないことがある。
特に「ああ、だからか」と、納得するようなこと。

確信した。

それでもとっても興味深いのは、少しずつ、私が経験してきた病気が、私に一体何をもたらしたかの全貌が見えはじめているということ。

本当に不思議なご縁だけど、きっともう会えないだろうと思っていたのに再会を果たし、なんかまだ縁が続くような気がすると思っていたらそうなり、今ではすっかり私の主治医になったS先生。

再会した時を含めて、既に3度、外来を受診し、また2ヶ月後に予約が入っている。

そうしたいと動いたというより、自分の意思とは別に、外堀から埋まっていく、という感じだ。

この感覚、わかる人にはわかりますよね。
そう、あれ。導かれている、というやつ。

読んでいる資料や本は、心理学だけではなく、現時点では医学書を含めて色々と多岐にわたる。

これ、ずっと知りたかった、わかりたかったやつだ…と感じるものが多い。
中には、読むのが本当に嬉しくて、涙が出てくる本もある。

心理学では病気を「自己攻撃性」と捉える。

罪悪感を自覚できず切り離し、他人に映し出して「投影」し攻撃する、という外向きではなく、罪悪感の「投影」が自分自身の肉体、という内向きに向かうと病気になる、と考えられている。

ただし、この見方は、心理学的な事実ではあるけど、かなり誤解や誤読、罪悪感(攻撃性)にまみれた方角への罠としての言説が蔓延していると私は考えているので、表現にはかなり慎重になっている。

病気は、深層心理の深い領域と関わりがあり、私の言葉で表現すると「聖」と「闇」の境界線を揺れ動く心性、と考えている。

急性期、生きるか死ぬかを彷徨ったときに入院していた病院を、命が生まれついえる場所「ニライカナイ」だと思ったことがある。

つまり、病気というのは、安易な言語化を嫌うような「聖なる領域」に捧げられている、祭壇への供物としての側面があるのだろうと思っている。

実際、病気の経験を乗り越え、あの出来事にはこういう意味があったのかと理解に至る時、祝福されるかのような恩恵が降り注ぎ、その人の本質的な才能がぱああああっと花開いていくようなことがある。

自分を責め苛むためにではなく、祭壇に捧げる準備がようやく出来たらしい。
言葉にならないような、えも言われぬ喜びを感じる。

捧げられたものを受け取るとき、私が神様なら号泣だ。
ようやく、触れさせてもらえ、贖われる。
待ちわびた瞬間。

思春期の頃からずーっと悩んできた体調不良がある。

本当にいくつもの、神様が仕組んだものだと思いたいくらい奇跡的で美しい偶然が重なり、私もS先生も全く意図しない形で、同じ事象を見ている。

「心因性じゃないと思うよ」と言われた時に、視界がぱああああっと晴れた。

気遣いや思い込みで言われているのでは決してなく、医学的な治療と考察から、心因性であることがきっぱりと「否定」されたことによるもの。

逆に、体調不良の原因が「確定」したことも表している。

でも「確定」したのだから、ようやくこれで実効する対策を考えていくことができるのだ。

何か大きな山を乗り越えていくとき、必ず援助の手がやってくる。
ひとりでは超えられないから。

四肢麻痺寝たきりから闘病スタート、障害者になって、一体この先どうなるのだろう…と、何度も何度も考えた。

障害等級3級まで回復した今でも。

まだ治ると思うよ、と言ってくれた。
根拠は1年半で復職に至っているから。

急性期の頃の話をS先生とした。

重症だったねえ…
うん、重症だったねえ…

お互いにそれ以外の言葉をしばらく発せなかった。

一緒に頑張ってくれた人なので、言外に、大変だったよね…と一緒に感じるしかない時間をしばらく過ごした。

言葉にされたことはなかったけど、予後予測は決して良くなかったであろうことは、わかってた。

呼吸以外はね、全部だめになっていたようなものだからさ、復職は厳しいかなと思ってたんだよね。
うん、そうだろうなと思ってた…

だけどここへ来て、ちょっと状況が変わった。

具体的なことは、今は知らない。

でも、神様が送り込んできたヒポクラテスと、外来診察室でぼそぼそ話すとき、ただ未来に光が溢れていることを感じる。

2ヶ月ごとに、外来で相談しながら、後遺症を含めた症状に向き合っていくことになった。

しみじみ思う。

ニライカナイで、S先生と私が触れていたのは、死ではなく命だったんだなあ、と。

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