池袋でつかまえて
日が昇ったのかもしれない。
月夜では生き延びられても、鬼は光に還ってゆく。
だけど本当は。人を愛して生きたかったよね。
病前と比べて本、漫画、アニメ、ドラマ、歌などのコンテンツによく触れるようになった。特に本は、自分でも驚くくらいの読書量になっている。
1日中座位もしくは立位のままでいることはまだ出来ない。晩御飯を終える頃にはもう座位もきつい。
血液を心臓から上に上げるとか、そもそも体調を維持安定させるとかは、身体に結構負荷がかかることらしい。
自律神経に後遺症が強く残るので、さまざまな工夫がいる。
横になって休まないと、血圧やら心拍やらのあれこれで、頭がぼんやりしたり息が苦しくなったり、吐き気が出てきたり、脱力して転倒したり。
特に、気温差に適応できにくいらしく、急激に体調が悪くなることが多い。動けなくなる前に、先回りして自律神経を休ませる時間が必要なのだ。
横になって過ごす時間がうんと増えたが、何もしないのも暇だ。
本を読むとか動画を視るのは横になったまま出来る。Kindleを導入した。
軽くて大変いい。
以前、読了できなかった分厚い本をkindleに入れて、粛々と読んでいる。
大変嬉しい。
読書やコンテンツ鑑賞も仕事の一部だと思っている。仕事も生き方もより豊かにするとわかっているから、読むし視るし聴く。
世界が広がる。
以前はこんなに感受できなかった。
嫌いではないけど、ごく一部以外は浅くしか触れられないというか。
以前、ある臨床心理士さんに言われたことがある。
本を読むっていうのは、自分の心に直面することだから、あなたにとっては怖いことかもしれないね。
確かに、とその時は腑に落ちた。
今も、実感する。
怖いことではなく、興味深いこととして。
誰かに向かい合っている感覚だ。カウンセリングでお話を聞くときの真剣さと、あまり変わらないように思う。
誰かが表現した心と向き合って、自分の心に統合されていくわけだから、そりゃあ世界が広がるよね、と思う。
制限が取り払われて、自由を感じる。
以前よりずっと不自由な身体なのに、不思議なものだ。
身体が動かない経験で深く理解したのは心の力だ。
人間の本質は、身体ではなく心というのは本当で、身体は、細胞壁に象徴的なように制限があるが、心にはない。
無限なのだ。
心が病むから肉体も病むあるいは逆もあるだろう。
体の治癒が心も癒す。
心の治癒で体が癒えることもある。
こないだ神経内科の主治医が、身体表現性という、心の不具合が身体に表れる症状を教えてくれた。
原因と考えられる心理を解消する(徐反応)と、たとえば身体の痛みが解消することもある。
だけど、身体が回復しないから心が健やかでいられないということもない。
四肢麻痺で寝たきりのまま、主治医と関わり笑うようになり希望を感じたことは大きな経験だった。
いわば、身体という制限を、心が超える。
本質的な自由だ。
心には制限がない。
どこまでも感じられる。
病気になってから、つくづく実感する。
心への信頼が高まったのだろう。
だからなのか、病前と比べて、感じられる領域が段違いに広がった。
特に愛が「ある」ことを、これまでよりずっと確信するようになった。
本やコンテンツを深く感受できるようになったのは、このためだろう。
元々、感受性は強いほうだし、ちょっと先の未来を感じ取ったり、言葉では表せないような感情を掬い上げたりする能力は高い。
だけど、これまでとは比べものにならないほど、愛へのアンテナが研ぎ澄まされているし、感じる領域も深く広くなっているのがわかる。
だから心がキャッチしたものには、これまでより注意を払うようにしてる。
最近、池袋の話を、個人的に非常によく聞く。
まとまりはなく断片化されてはいるけど、何度も繰り返し聞く。
が、今ひとつ気乗りしない場所なのだ。
元夫が以前住んでいたのが池袋だったこともあるだろう。元彼が池袋経由で訪ねる練馬の人だったこともあるだろう。
でも、たぶんポイントはそこじゃない。
池袋最大のランドマーク、60階建ての高層ビルが、なんか、ちょっと、苦手なのだ。
しかし、心が池袋をキャッチしている以上、池袋は知ったほうがいいし、知らずに邪険に扱うのも、池袋に失礼なので、少し考えてみた。
すぐに気がついた。
苦手に思うのは、戦後、死刑囚を多く含む戦犯達が収容された、巣鴨プリズンの印象だな、と。
死刑執行もされた刑務所の跡地に、ランドマークタワーは建っている。
よくよく考えてみると池袋に限らず、刑場があったところは苦手なのだ。
とはいえ。
だいぶ心のマニアな私としては、見たくないものに隠れた恩恵は外せない。
もちろん愛が「ある」ことも感受している。
人やコンテンツに向かい合う感覚は、土地に対しても変わらない。
償いの場所に、自分の心理的な汚名を着せておくのも好きじゃない。
さっさと溶かした方が受け取れるものが多いし。
全き心は無罪で、心の本質は愛。
本来、誰もが赦されている。
光に還せる想いだって、あろうものでしょう。
そんなこんなで「プリズンの満月」を手に取った。
想像した以上に、いい本だなと感じている。
巣鴨プリズンやサンシャインシティへの冤罪も晴れ、誤解も溶けた。
池袋と仲直りである。
小説に、刑務所への慰問の話が出てくる。
生きる可能性が僅かに出た時、本を求める話が出てくる。
人はいつだってこうして贖われ、赦されてきたのだ感じる。
本も、歌も、踊りも、笑いも、格闘も。
さまざまなコンテンツの本質は、心を慰めることにあるのだろう。
才能は神の領域。
神楽がそうであるように、神への感謝として奉納されるものだ。
闇にある魂も、リスペクトされ、慰め、鎮められ、感謝されると、光に還って行けるのだろう。
余談だが。
毎年靖国神社にプロレスが奉納されている。
神恩感謝と鎮魂のためと理解している。
授かった才能は表現して欲しいとつくづく思う。
慰められ、鎮められ、光となれる心があるからだ。
さて仲直りしたとはいえ。
池袋が腑に落ち切らない。
ちょうどトンガでの大津波があった頃、急速に現実的な変化が起きていると思う出来事が続いた。
私の場合、どちらかというと、ネガティブな出来事として表出する。
一過性なのでこだわり過ぎないように心がけるけど、何が起きているのだろう? と興味を持ち続けるようにしている。
しかしそれにしても。
流れが早すぎて、アジャストしきらんなあと思っていた。エゴの罠を慎重に排除する形でなんとかついて行った。
ああ、これは命そのものや生きる力に関する流れだと感じるようになった。
カウンセリングでも。
セクシュアリティが隠れたテーマになることが多かった。
で、先週のアメブロ担当回を書いた。
「それでも僕は君を選んだ」
こどもを持たなかったことのお話。
しばらくして、はっと気づいた。
池袋は。
すぐ近くに、雑司ヶ谷の鬼子母神様がおいでじゃないか。
善神になる前の鬼子母神は、たくさんの子供がいたけど、人の子を奪って食べてしまうまさに鬼神だった。
だけど、お釈迦様に自分の子供を隠されて、奪われることの悲しみを知り、諭され、帰依する。
例えば婚活をしたいとか、付き合っている人と結婚したいとか、再婚したいとか、離婚をしたけどもう一度恋がしたいとかのご相談には、結構な割合でセット商品になっている想いがある。
こどもを産めるかどうかぎりぎりだと思うので、と本当によく伺う。
産む産まないは問題の中心ではない。
だけど、ひどく罪悪感を覚える話題なのは身をもって体験した。
自分はこどもに取ってのよろこびではないという誤解が隠れている。
本当は、こどもを深く愛したいという心の叫びに他ならないのだけど。
ひどい罪悪感の下に、深い慈悲のような愛がある。
帰依した鬼子母神そのものだろう。
どんなに道行きが辛い子でも見捨てず護り続ける。
しかし、慈悲は神様だけの仕事じゃない。
人は神の姿に似せて創られ。
人の心には必ず、神と同じ心が宿っているからだ。
でも人はなかなか真実を受け入れない。
自分を鬼だとも、勘違いする。
エゴは誘惑する。
真実を思い出さなくていいように。
愛を攻撃と、真実を偽りと誤解させるために、怒りを使う。人を凶暴化させるし抵抗する。
鬼は、本当の自分じゃない。
禰豆子は想いの力で鬼になり切らなかったし、鬼たちも、光に還る前に、悲しみと絶望の懺悔をする。
無惨様ですら。
「そうありたかった希望の自分」を隠した姿が、鬼なのだ。
お話をよく伺う30代から40代を中心とした女性が、真実の恋愛や結婚を求めるとき、切っても切れないこどもの話だけど。
アンタッチャブルな方が多いくらい、隠れた自己嫌悪の象徴になる。
「そうありたかった希望の自分」。
時として現れる。良い自分ではないという誤解とともに、ゴーストのように。
はっきりと訂正しておきたいのだけど、自己嫌悪の攻撃的で強いエネルギーを、疑い、拒絶、抵抗の凶暴さを、セクシュアルエネルギーと思っている人が多い。
違います。
非常に繊細で優しいのがセクシュアルエネルギー。
慈悲のような。
だけど、脆くも貧しくもない。
生きるよろこびや、情熱を産み出す。
セクシュアルエネルギーに抗わなければ、流れが早く、良いこともすぐ現実化しやすい。
溢れ、満ち足りて、豊か。
私は悪い女。嫌な女。
自分をせめて嫌いたくなる気持ちはわかるけど。
真実を、受け入れる勇気を持ってほしいと思う。
どんなに自己嫌悪にまみれても、パートナーになるような人は必ず、心を見てる。
30代や40代のパートナーになるような人って。
心を求めてますよ、流石に。
実は、自己嫌悪を見続けたり自分の気持ちばかり意識しても、孤独は深まるばかりで終わりもない。
それこそがエゴの張る罠だから。
真実を受け入れないでいいように必死になる。
受け入れられたら、エゴは消えてしまうから。
だから、自分ではなく相手を見る勇気が重要だ。
エゴははじめ、あなたを愛そうとする人を間違った形で見せる。
自己嫌悪が投影されて、すごく嫌なやつに見える。
でも、ここで引っかからないでほしい。
エゴが騒げば騒ぐほど、急速に愛が入ってこようとしている証拠だから。
ここまで頑張ってこれたのだから、暴れなくて大丈夫。もう動かなくていい。
最後の一歩は、神様の方からやってくるという。
自分ではなく人が見るあなたの美しさを信頼することで、人生は展開してゆく。
惑わされて凶暴化せず、抵抗をやめて、ただあるだけでいい。
ありのままは、美しいから。
セックスは、劣等感も自信のなさも全てありのままをさらけ出す。全て見られるって本当に怖いから、暴れたくもなる。
自分がどうであれ、完璧な自信を持っている人っていない。
だけど、恐れながらも抗わず、相手を信頼して委ねると、劣等感や自信のなさは全て、美しさとして感じる。信じ難いとは思うけど。
弱い部分を見せてもらえた信頼が伝わり、人はよろこびを感じるから。
大切な人に身体を委ねるのは、いちばん繊細な心を捧げているのと同じ。
強くするのでも痛くするのでも、機械的にも雑にも扱うのでもなく、薄いガラス細工にそっと触れるか触れないかくらいの繊細さで、愛おしむ。
優しく触れて、慈しむ。
セックスはコミュニケーションという本当の意味。
ふたりを隔てるものが何もなくなる。
弱さを受け入れ合って深く愛を感じられる。
ふたりが「ひとつ」になる感覚がやってきて、他にはない圧倒的なよろこびを覚えたり、情熱的に愛し合えたりする。
身体にまつわる劣等感だけが自己嫌悪じゃない。
自分の脆さや至らなさ、不出来な感覚。
隠していること、ついている嘘。
勇気はいるけど、相手に見せられたら。
白状してしまえたら。
正直者は救われる。
心は深く安らぐ。
信頼にも変化する。
いちばん繊細で隠されてきたことが明らかになるとき、どんなに不都合なことでも、人は耳を傾ける。
大切なことがもたらされると、わかるから。
重要な職務の候補だった人が選考から外れるエピソードが「プリズンの満月」に出てくる。
夫婦関係がよくなかったのが理由。
何気ない記述。
だからこそ、他人を誠実に向き合えるかどうかを人はよく見ているし、ふたりが誠実に向き合っているかどうかを、無意識のうちに人は、夫婦関係に見ていることがよくわかる。
一番近い赤の他人をどう愛していけるか。
パートナーシップという深く恩恵をもたらす課題。
パートナーシップがうまくいくと、そのほかの関係も整っていくし、成功し、幸せになってゆく。
鬼子母神。
夫に喧嘩をふっかけてばかりいたとき、意識が自分の怒りではなく、ふと夫に向いたことがあった。
本当に悲しい目をしていたから。
自分はこんなにも彼を傷つけていたのかと、ようやく気づいた瞬間だった。
私を愛そうとしていたことがわからなかった。
愛を誤解していた。
うまく愛せる自信はない。
だけどわかった。
もうこれはしちゃだめだということだけは。
あのとき神様が諭してくれたような気がする。
本当は、人を愛して生きたいのでしょう。
だからもう。
喪ってはいけないよと。
近代建築好きだけど、まだ訪れてない池袋の名所。
重要文化財、自由学園明日館。
身体がもう少し回復したら夫と行こう。
光が差し込む、ホールが見たい。
もちろんそのあとは。
鬼子母神様にお参りしよう。
☆
参考文献
吉村昭(1998年)『プリズンの満月』新潮社。
参考資料
『鬼子母神へようこそ』「由来と歴史」(2002年)KISHIMOJIN OFFICIAL SITE、https://www.kishimojin.jp/history/index.html(参照日:2022年2月10日)
※雑司ヶ谷の鬼子母神、読みは「きしもじん」で「鬼」からツノを取った異字が使用されている。詳細はサイトを参照されたい。
『重要文化財 自由学園明日館』「建築」自由学園、https://jiyu.jp/architecture/(参照日:2022年2月10日)
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