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メディアの話その146 水星の魔女と日本漫画の文法と。

『メディア論』の授業で取り上げるため、現代のアニメ作品の数々を見ている。子供の頃より見ている。

よもやこんなにアニメを見る60歳手前になるとは思わなかったのだけど、ガンダムの「水星の魔女』という作品の1クールラスト12話の、結末の映像を見ていて、気づいたことがある。

あれ、これは「漫画」だ。

どういうことか。

ちょうどいいコンテンツがここにある。

オリジナルガンダムのキャラクターデザインを手がけた安彦良和さんの画風を模した、『水星の魔女」』漫画がツイッターにあった。現代のファンアート、恐ろしい腕前なんだけど、そしてまだ見たことない人は、ネタバレになるので、ネタバレがやな人は本編見てから、先を読んでほしいのだけど。

https://twitter.com/Jinou_rakugaki/status/1614529209556430851/photo/1

アニメ作品が、そのまま「漫画」になる、というこれは証拠だったりする。

わずか1分ほどの流れ。

このシーンでアニメ作品の、画面の構成と編集、登場人物の台詞。

全てが、アニメの映像を、漫画のコマと吹き出しとして切り取ってもそのまま「漫画作品」になる。

そんな構成であり、リズムであり、台詞回し、なのだ。それがこのファンアートが図らずも証明している。

実際に絵コンテ風に切り出すとこんな感じ。


絵が下手なのは勘弁いただきたい。ガンダム、描けませんw

で、気づいた。ディズニーを筆頭とするアメリカのアニメ作品と、日本のアニメ作品の決定的な違い。

それは、日本のアニメのほとんどが、昔はもちろん、現代でも「漫画」の文法と構成とリズムでできている、ということだ。

おそらく全く同じシーンがあったとして、アメリカのアニメの演出家は、この水星の魔女の作品演出と全く異なる演出をする。と思う。

今まで気づかなかった。これは、誰もが知っていることなのかな。私は初めて実感しました。で、その目線で見ると、日本のアニメ、ほとんど「漫画」です。

昔はもちろん、今でも。

リコリスリコイルのようなオリジナルアニメも、全部漫画の文法。さらに昨年の新作の「チェンソーマン」を見るとよくわかる。原作があるからもちろん、と思うかもしれないが、台詞回し、コマ割り、進行、漫画として一つ一つの絵が切り取れるし、編集もできるのだ。

https://www.amazon.co.jp/第10話-もっとボロボロ/dp/B0B6PR1X2V/ref=sr_1_5?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=33IU8RFWHLJ0C&keywords=チェンソーマン&qid=1673835830&sprefix=チェンソーマン%2Caps%2C147&sr=8-5

ここで、ディズニーやピクサーの作品を見る。

トイストーリーにしろ、ライオンキングにしろ、アメリカのアニメーションは「動き続ける」ことを見せる目的にしている。

https://www.disneyplus.com/ja-jp/movies/toy-story/1Ye1nzUgtF7d

だから、切れ目がない。

このため、静止画1枚を切り出すと途端に凡庸でつまらなくなる。

多動的に動き続ける。

すなわち、静止画ではできないことだけをひたすら続けているのがアメリカのアニメだ。

で、これは逆説的にいうと、アメリカのコミックの特徴でもある。

アメリカのコミックのコマ割りやリズムは、フィルムからコマを切り出したような感じで、日本の漫画の洗練されたコマ割り、台詞回し、進行と比較すると平凡で退屈になりがち、である(内容の問題ではなく、漫画の見せ方、として)。

手塚治虫さんらが、ディズニーアニメをリアルな映画を志向しつつも、できなかったが故に、静止画の連なりだけで、あたかも「動いている」かのごとき表現と編集と文法を日本の漫画にもたらした。

結果、動画以上に「動き回る」「物語る」日本の漫画の文法がおそらく確立した。

で、その手塚さんが虫プロでアニメを作り始めると、予算がないのでそんな漫画の演出手法が、動画のアニメに反映される。ほとんど動いてない紙芝居に近いのに、ちゃんと動いているかに見える。初期のアニメを見るとそれを思う。

で、映画→漫画→アニメ で作られた、漫画由来の映像表現の文法は、CGが出てきて、リッチな映像を作れるようになった今でも、日本のアニメの「文法」として機能している。

おそらく、手塚さんがやったチープなアニメ演出に反発して、「動かす」アニメとしての道を開拓したのが宮崎駿さんだと思うのだけど、その宮崎さんの演出も、ハリウッドのアニメに比べると、はるかに「漫画的」だ。

動かし方も、一見静止画に見えるランドスケープの後ろがわらわらと動く。千と千尋の神隠しのシーンが典型だけど、あれって、漫画的表現に、「動く=アニメーション」を徹底的に盛り込むことで、安心しながらみつつも、見るたびに発見がある、という、宮崎アニメの文法になっているのではないか、と。

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