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読書の何が好きなんだろう?

友人Bとの会話

 ありがたいことに、私には趣味が合致するわけではないが感覚はバッチリ合う友人Bが居る。
 彼女はゴリゴリの文学少女で、学生時代はバンドサークルに所属し作詞作曲ボーカルにドラムを担当する多才な人でもあった。彼女のバンドが演奏を始めると、観客が食い入るように音楽に引き込まれ、彼女たちの旋律と言葉に大勢の人が涙を流した。PAは、ボーカルの音量を上げなくていいほど声量があるのはこのサークル内ではBだけだと褒めた。
 そして私の中で、私が知る一番美しい歌を紡いだのは友人Bだ。

 さてさて。
 本好きな私たちが食事なんかをすると、自然な流れで最近読んだお気に入りの本の話になる。
 そんな中でふと、彼女が言った。
「わたしは普通の人の頭の中を言語化した文章を読むのが好き。別にド派手な展開とか解決すべき問題なんかなくていい」

 実はかつて私はBに以下の拙作を読んでもらったことがある(それだけ私は彼女を信頼している)。

 彼女の趣味には全く合わない異世界ファンタジーだったにも関わらず、Bは私が書いたからという理由だけで最後までじっくり読んでくれた。
 その時もらった感想でも、Bは言っていた。
「普段感じている感覚を言語化されてるのがとてもよかった」
 それは、拙作の中で“人の重心の変化”について触れた部分だった。当時からBは一貫して、“無意識の感覚が言語化された文章”を読むが好きだった。(Bは太宰治の「女生徒」が大好きだ。)


読書の好きなところに気付くきっかけになった本

 では、私は読書の何が好きなんだろう? 理由はいくつかあるけれど、私が最近自覚したのは、“想像力を好きなだけ好きなように膨らませることが出来る”ところだ。
 それに気付くきっかけになったのは、最近読んだ二冊の本。

一冊目:ジョン・スコルジー著『怪獣保護協会』

 コロナ禍で職をなくした主人公が、ひょんなことから怪獣を保護する団体に参加するSFだ。私は本作をゲラ読みする機会に恵まれ、製本される前に(日本版の表紙絵も知らない状態で)拝読した。

 この本の面白い・変わっているところは、実は視覚情報が多くない点だ。物語の主要な要素であるにも関わらず、主人公や怪獣の見た目がはっきりと明記されていない。だから読み手は好き勝手に想像して、自分だけの物語の景色を思い描ける。

 私の感覚的に、SFって結構視覚情報を詰め込むジャンルだと思っていた。『月世界へ行く』なんて何ページにも渡って月面の景色を表現しているし、そもそもSFでは登場人物の見た目が作品の世界観を“現実世界とは違うもの”たらしめていることが多い。

 だけど、『怪獣保護協会』はそれらとは一線を画している。世界観の理解に必要な情報は出す一方、想像力で補えるところにまで情報を詰め込まない。実は英語版の表紙には怪獣の姿さえ描かれておらず(ペーパーバック版には怪獣が描かれている)、日本版の表紙イラストを担当された開田裕治氏はTwitter(X)で作者にこうコメントしている。

「小説では怪獣がどのようなものか描写されていなかったので、私が怪獣らしいと思う怪獣を描きました」
(元は英文、和訳は矢向による意訳。)

 実際、表紙の怪獣は私の頭の中にいた怪獣とはまるで違った。でも、それでいいんだと思う。きっと作者が思い描いた怪獣は、彼の中にしか存在しない。そして私の怪獣は、私だけが知っていればそれでいい。この事実がとても嬉しく、とても心地よかった。

二冊目:川野芽生著『奇病庭園』

 かつて人々が失くした角を、翼を、鉤爪を、鱗を、再び取り戻した人たちが現れ……という何とも形容し難い世界観。私は『無垢なる花たちのためのユートピア』からの川野作品の大ファンで、現代の日本文学に彼女の言葉があって本当に良かったと心の底から思っている。

 川野作品ほど、頭の中で世界を思い描きながら読むのが楽しく感じる本はなかなかない。と言うか、想像力を最大限に膨らませ、感覚を研ぎ澄ませてもなお、彼女が紡ぐ言葉の全てを受け取れた気がしない。

 川野作品は、極めて精巧に世界観を言葉で表現する。だけどそれは決して説明的な言葉ではない。圧倒的な幻想、自分の手さえ隠れてしまうほど深い霧の中に似て淡い。鈍く輝く宝石のようでグロテスク、そしてロマンチックであり残酷。

 歌人である著者が紡ぐ言葉は、たった一文でも唯ならぬ気配が漂っている。さらっと読み飛ばせなくてじっと見つめていると、引き摺り込まれそうになって「危ない!」となる。だから毎回私は立ち止まって、頭の中に描いた景色をじっと眺める。次の瞬間その景色が崩れ去ってしまっても、欠片を手に取る作業さえ心地いい。

 SFともファンタジーとも言える作品、フェミニズム・ジェンダーが内包する静かな血飛沫にも似た言葉にならない苦しみを表現した作品、読み手によってはただ“不気味”と目を背けてしまうかもしれない幻想文学……。彼女の作品は、手放しに大勢の人が好んで読むものではないかもしれないけれど。想像力を最大限に膨らませ、どんな景色を見ても許される読書が好きな私には、「この話、永遠に終わらなければいいのに」と思えるほど、彼女が織る物語が愛おしい。


再び、友人Bとの会話

 そんな話を友人B にしたところ、彼女は不思議そうな顔をして「その本、わたしでも読めるのかなぁ?」と言った。彼女はSFもファンタジーもほぼ読んで来なかった。私が好きな海外文学、ミステリや推理小説も読まない。趣味はまるで合わない。本好きというところは同じなのに。
 今度Bに川野作品のどれかを貸す約束をしつつ、私たちはどうして本を読むのか、読書の何が好きなのか話し続けた。お互いの好みは違うけれど、お互いが言っていることは何となくわかる気がした。

 そして私たちは、確かに思った。
「こんな話出来る相手、だいぶ減っちゃったね」
 大人になっても読書を好きでいるには、ほんの少しだけ苦労する。
 だけど、だから、私たちは本を読む。Bは日々の何気ない感覚を表現してくれる言葉を求めて。私は途方もない世界を好きに想像する自由を求めて。

 あなたは読書が好きだろうか? それなら、読書の何が好きなんだろう? 本を読みながら、どんな時に「読書が好きだ」と思うだろう?
 あなただけの理由が、心の中で大事に長く長くあたたかくあり続けるといいなと思う。



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© 2023 Aki Yamukai

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