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明治15年から140年。手で熱を感じ、かつお節をつくり続ける、「カネサ鰹節商店」。


駿河湾のうつくしい海

20代では訪れたことのない土地へいく、冒険のようなひと時を求めていた。世界遺産という言葉につられ、壮大な場所を求めた。それが少しずつ、誰と旅をするのか、何を体験するのか。そんなことを大事に思うようになってきた。ふと振り返ると、思い出すのは地元の人との何気ない会話だったりする。

旅で訪れる場所は、そう何度も訪れることはできない。けれど、そんな短い時間の中でこそ、土地の文化や風土を体験したいと思うようになった。それが私の30代の旅。

今回紹介するのは「カネサ鰹節商店」。西伊豆に根付く、風土と文化を感じさせる場所だったのでぜひ紹介したい。

青い海と山に囲まれる伊豆半島。

田子の漁港

伊豆半島の中で西伊豆エリアは、バスか自動車でしか行くことができない。電車が通っているのは下田まで。そんな少し不便な西伊豆の田子という町に「カネサ鰹節商店」がある。今回は伊豆半島を自転車で一周している途中に訪問してきた。正直言うと、国道から少し外れるので「坂道を降りてまた登るのやだな、やっぱりいくのやめよっかななんて思いながらも足を運んだ。笑

国道から外れ、自転車で5分くらい、ぐるぐる坂を下る。すると、「カネサ鰹節商店」の暖簾が見えてくる。

4代目としゃべって知るカツオ節の話

カネサ鰹節商店の販売スペースと工場

私にとって、カツオ節というのはとても身近なもの。小さな頃から削って、食べてきた。醤油をつけてごはんにかけたり、そのまま醤油をつけてなめてたり、当たり前のように台所にあったという認識だ。

伊豆半島から帰ってきて「今度はカツオ節を作る過程を実際にみてみたい!」なんて思うくらいだから、きっとDNAレベルでカツオ節の味が刻みこまれているのではないかと思う。

店内の棚に並ぶのはカツオ節を食べやすくしたお菓子や調味料

しかし、慣れ親しんだものであるから、だけではない。店主さんが熱心にカツオ節について話しをして聞かせてくれたから、思い出に残っているのだ。

・今、カツオは伊豆ではとれない。他の土地で取れたものを静岡の焼津まで持ってきて冷凍する。それをトラックで伊豆まで運んできて解凍するという話。

・カツオ節を作る工程が大変で、昔はたくさんあったカツオ節商店も近隣では4,5件になってしまった話。

・面白半分でカツオ節のスープを煮詰めて豚骨スープみたいになるのかななんて実験してたら、それが現代にはここでしか残っていない調理法で、奈良の有名大学の先生たちが見にきた話。

・奈良時代からどうやら鰹節のもとになるものがあったそう。王様への貢物としてカツオ節のようなものが使われいたようだ。

名物の潮鰹!

色々な話を店主してくれた時間がとても楽しかった。初めにお店に入ったときは店内に誰もいなくて、おばあさんがレジの裏にいたくらいだった。たまたま外に出て、カツオ節屋と自転車の全景を写真に収め、またもどって、「お土産に何を買おうか」と迷っていたら声をかけてくれたのだ。

ラッキーだったのだと思う。

130℃の中で命を削って作るカツオ節

昔ながらの本がれ節

カネサ鰹節商店の創業は、なんと明治15年。「手火山式焙乾製法」で鰹節(田子節)を作っている。この焙煎製法は「手」で熱をはかり、火を調節することから「手火山式」の名前がついたそう。

カツオ節にあたる温度は、なんと最高130℃を超えるそう。職人は鰹節が焦げない様に、つきっきりで温度を調整する。

ぎりぎりの高温で表面を燻し乾かす事で、カツオの旨味を凝縮させていく。カツオ節を最も美味しくする焙乾方法の1つと言われているが、効率が悪く最も危険な焙乾方法とも言われる。この方法で本枯れの鰹節を作っているのは、日本でも4~5店舗程しか無いと言われ幻の製法だ。

焙乾はカツオの大きさにより10~15回行い、作業日数は1ケ月を要するという。手間をかけて、焙乾する事で、美味しい鰹節になるのだ。

実際にカツオ節を作る様子らしい

伊豆半島という土地は山と海に囲まれ、電車がないため少しアクセスがわるい。だからこそ手付かずの自然が残る、海も山もきれいだ。バスや車でわざわざこれる場所ってのがいい。海は青くとてもきれい。

伊豆半島で海と山の自然に触れて、「カツオ節」をお土産に買ってかえったら、きっとまた遊びに着たくなる、そんな場所!

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