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そのこだわり、本当に必要?強すぎる執着は、人を迷わせる。


これまで、あらゆる “執着” に振り回されてきた。

それらはいつも僕の視界を狭め、くもらせ、
本来の目的を見失った。


強すぎる “執着” は、捨てていこう。



◯ “自分らしく” への強すぎる執着

僕ら若い世代にとって、もっとも大きなテーマ。

「自分らしさって、何だろう?」


進学や就職などといった転機において、
誰もが向き合ってきた難題だろう。


1つの芯、1つの軸を探して奔走してた。

どこかに答えが書いてあるんじゃないか。
どこかに答えを教えてくれる人がいるんじゃないか。

そうやって、本を読みあさったり人に聞いてみたりもした。



そうやって、必死になって見つけたその時の答えは
いつの間にか僕の手の中から消えていた。


そっか。

“らしさ” は常に変化し、更新されるんだ。

今と1年前のそれは、全く違うものだった。



“らしさ” って、きっと無意識で、自然なもの。

わざわざ言葉にしようとしなくても、もうすでに伝わってる。



◯ 勝ち負けへの強すぎる執着

「勝ち組・負け組」「リア充・非リア充」

こういった言葉が使われ始めたのは、いつからだろう。


はじめは、遊びやゲームで争っていた勝ち負けが
いつしか人生にも置き換えられるようになった。

それらは、心の中で両者を大きく隔てて
劣等感や執着心を生む。



しかし、勝ちへの執着や負けへの恐れのあまり、
自分の在り方を見失ってはいけない。

勝利だけが目的になってしまうと、力みが出るし、
損得勘定にとらわれてしまう。


無駄や遊びを楽しめる余白・余裕があってこそ、

“人間っぽさ”  “個性” がにじみ出るんだ。


だから、おもしろいんだ。



◯ 自己成長への強すぎる執着

働き方や価値観が多様化してきて、個人としての成長が重要視されてきた。


「もっと賢く。」「もっと上手く。」


未来と現状への漠然とした危機感・不安が、僕らを駆り立てる。



でも、その成長自体にとらわれてはいけない。
あくまでも、より良い人生を歩むための自己成長。


現実や自分自身を見失ってしまったり
周囲の仲間の存在を忘れてしまったりしては
何のための自己成長だろう。



強すぎる執着は、いつしか本来の目的を忘れさせる。

その人らしさをも奪いかねない。


いらないものは捨てていこう。


いつも、そう言い聞かせています。



− end −


最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

僕は、いま囲炉裏を持って全国を歩き回るための準備をしています。

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