そのこだわり、本当に必要?強すぎる執着は、人を迷わせる。
これまで、あらゆる “執着” に振り回されてきた。
それらはいつも僕の視界を狭め、くもらせ、
本来の目的を見失った。
強すぎる “執着” は、捨てていこう。
*
◯ “自分らしく” への強すぎる執着
僕ら若い世代にとって、もっとも大きなテーマ。
「自分らしさって、何だろう?」
進学や就職などといった転機において、
誰もが向き合ってきた難題だろう。
1つの芯、1つの軸を探して奔走してた。
どこかに答えが書いてあるんじゃないか。
どこかに答えを教えてくれる人がいるんじゃないか。
そうやって、本を読みあさったり人に聞いてみたりもした。
そうやって、必死になって見つけたその時の答えは
いつの間にか僕の手の中から消えていた。
そっか。
“らしさ” は常に変化し、更新されるんだ。
今と1年前のそれは、全く違うものだった。
“らしさ” って、きっと無意識で、自然なもの。
わざわざ言葉にしようとしなくても、もうすでに伝わってる。
◯ 勝ち負けへの強すぎる執着
「勝ち組・負け組」「リア充・非リア充」
こういった言葉が使われ始めたのは、いつからだろう。
はじめは、遊びやゲームで争っていた勝ち負けが
いつしか人生にも置き換えられるようになった。
それらは、心の中で両者を大きく隔てて
劣等感や執着心を生む。
しかし、勝ちへの執着や負けへの恐れのあまり、
自分の在り方を見失ってはいけない。
勝利だけが目的になってしまうと、力みが出るし、
損得勘定にとらわれてしまう。
無駄や遊びを楽しめる余白・余裕があってこそ、
“人間っぽさ” “個性” がにじみ出るんだ。
だから、おもしろいんだ。
◯ 自己成長への強すぎる執着
働き方や価値観が多様化してきて、個人としての成長が重要視されてきた。
「もっと賢く。」「もっと上手く。」
未来と現状への漠然とした危機感・不安が、僕らを駆り立てる。
でも、その成長自体にとらわれてはいけない。
あくまでも、より良い人生を歩むための自己成長。
現実や自分自身を見失ってしまったり
周囲の仲間の存在を忘れてしまったりしては
何のための自己成長だろう。
*
強すぎる執着は、いつしか本来の目的を忘れさせる。
その人らしさをも奪いかねない。
いらないものは捨てていこう。
いつも、そう言い聞かせています。
− end −
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
僕は、いま囲炉裏を持って全国を歩き回るための準備をしています。
s
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行脚への準備金や行脚中の宿代・生活費などに充てさせていただきます !
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口座番号 81436201
名義 ヤマザキタカヒロ
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