統一教会のテロに警戒を
はじめに
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年早々、非常に重い話をします。
第一章 カルトの崩壊過程
カルトの教祖はカリスマ性がある。
ただしそのカリスマ性は、大部分が、人為的な演出によって作り出された幻想である。
そして教祖は個人崇拝の対象となっている。
その為、教祖が死去すると、求心力を失ったカルトは路線対立や権力闘争から内部分裂が起き、マインドコントロールが解ける信者が大勢出て急速に勢力が縮小していく。
また、政治対する影響力やマスコミに対する影響力も低下する事から、教祖がどのような人物だったのか、醜悪なスキャンダルに関する報道が、教祖の死後、行われる。
カルトの教祖は大抵、信者達には清貧を強いながら、自身は強欲で金に汚く、異性関係もだらしがない。信者を愛人として何人も抱えていたり、信者達から搾取した金で大豪邸や別荘を大量に購入していたり、高級車を何十台も所有していたりと、酷い有様である。
マスコミはそういった教祖の闇の部分に光を当てる。
それに合わせてカルトの異常性もどんどん報道される。今まで隠されてきた教団の闇の部分が暴露されるのだ。
するとマインドコントロールが解けて脱会する者が激増し、加速度的に教団勢力が衰退する事となる。
第二章 先鋭化する狂信者達
教祖の実態を知った世間の人達は、何て俗物なんだ、酷い奴だと嫌悪感をあらわにする。
そして教団の異常性を認識した事で、とんでもないカルト集団がいたものだと、教団と信者達を警戒するようになり、教団との接点があるのであれば、その接点を切ろうとするし、信者達に対しては、勧誘されるのではないかと警戒するようになり、距離を置き始める。
無論、全く逆に、知り合いや友達に信者がいたら、「あんた、あんなカルト教団にいるのはやめなさい」と説得し、脱会するまで粘り強く説得する人達も現れる。
そういった教団の外に善良な友人や知人がいて、説得してくれるような人は、元からマインドコントロールのかかりが弱かったり、かなり解けているようなケースも多い為、説得に応じて教団を去る事になる。
するとどうなるか……。
教団・信者達と、世間との対立は激しくなる。
そして信者達のマインドコントロールが解けて、続々と教団を去る者達が出た結果、残るのは、教団外に友人や知人がいないか、殆どおらず、人間関係が信者間で完結している閉ざされた信者達(実質的に社会から孤立していた人達)、マインドコントロールのかかり方が尋常でなく強い為、周囲からの説得に聞く耳を持たずに残る信者達だけとなる。
このような信者達だけになったら、一体、何が起きるだろう。
集団極性化である。
第三章 ダブルバインドで更に悪化
カルトの信者達は、マインドコントロールが解けそうになると自発的に心理的な抑制を作動させて、解けないように無意識に自衛する。
これをダブルバインドという。
カルトは大抵、自分達を正義の教団と位置づけ、絶対に間違いを起こさない無謬性を持っていると考える為、世間と教団が対立した場合には、間違っているのは世間であり、教団ではないと考える。
また、世間から猛烈に批判され、非難され、信者達が大量脱会し、教団が社会の様々なシーンで拒絶され、社会的に孤立して行くと、カルトの信者達は「私たちが正しいから迫害されているのだ」と考える。
これは典型的なダブルバインドである。
集団極性化は「より安全性の高い無難な意思決定になるコーシャス・シフト」もあるとされるが、このダブルバインド作用、並びに、マインドコントロールされた信者に特有の教団と自己を一体化する精神状態によって、信者達の取る選択肢は「1人で意思決定を行う時よりも、集団で行う時の方がリスクの高いものとなるリスキー・シフト」一択になる。
第四章 カルトの特徴は権力への執着
フランスのセクトの基準は下記の通り。
精神的不安定化
法外な金銭要求
元の生活からの意図的な引き離し
身体の完全性への加害
児童の加入強要
何らかの反社会的な言質
公序への侵害
多大な司法的闘争
通常の経済流通経路からの逸脱
公権力への浸透の企て
中でも重要なのが「公権力への浸透の企て」である。
これは統一教会よりも創価学会を例に取った方が理解し易いので説明するが、池田大作は非常に権力欲の強い人物で、日本の国王になる事を志向していたとされている。
その為、「水滸伝」や「三国志」、ヒトラーの「第三帝国」を公明党の議員や青年部幹部に学習させ、ありとあらゆる権謀術数を会得させようとしたり、水滸会遺戒置文二十六箇条という日本支配の為の秘密文書を作成して、その中で総理大臣の位置付け、総理大臣ポスト奪取構想、官庁浸透の必要性や政治家対策を説き、警察権力への浸透方法として、警部や警部補などの現場の指揮者を学会員で占めていく構想が語るなど、おおよそ宗教団体とは言い難い異様な権力欲を見せている。
また、総体革命と呼ばれる、政界、官界、言論界、教育界、法曹界、医療界などの各界に、敬虔な信仰を持った多数の学会員を投入し、各界を横断した影響力を確保する事で日本を支配しようとする浸透戦略を提唱し、これらを実際に実行、そうして現代のような、日本が創価学会の間接支配下にあるような、異常な状況を作り出すに至ったという経緯がある。
カルトは、どこも教祖を国王とする宗教国家の建国を目指している。
集団自殺で終わるような教団を除けば、権力を掌握するか、倒す必要がある為、強い権力志向を持っているのである。
統一教会も同教を国教とした宗教国家の建設を志向しているとされる。
第五章 クーデターの一環としてのテロ
オウム真理教による地下鉄サリン事件は、ただのテロ事件ではない。
実はオウム真理教も教祖・麻原彰晃(松本智津夫)を国王とするオウム王国の建設を目指していて、クーデターを起こす計画を立てていた。
その前段階として、テロ事件を起こす事で社会を混乱させて、その気に乗じてクーデターを成就させるつもりだったとされる。
つまり、地下鉄サリン事件の正体は、単なるテロでなく、クーデターの一環として行われたのである。
カルトは、クーデターや暴力革命を起こしてでも、権力を奪いに行こうとする性質を持つと考えてよい。
引用には「議論がある」というが、このような事になっている理由は明らかである。
当時、日本国政府は、先進国である日本でクーデター未遂、革命未遂が起きたなどという話になると恥であると考えて、オウム真理教による地下鉄サリン事件は、クーデター計画や暴力革命の一環として行われたものである事を否定し、あくまでもテロ事件と位置付けた。
これが議論を余地を生んだ原因である。
ウィキペディアに上述のような項目がある現在では、とても信じられないかも知れないが、その為、オウム真理教がクーデター計画や暴力革命計画を立てている事や、その前段階として、社会を混乱させる目的で地下鉄サリン事件が起きた事実に関しては、長い間、新聞紙やテレビで報道される事はなかった。
この事実を知っているのは、教団関係者やオウム真理教事件に関与したジャーナリストら、及び、オウム真理教について記したジャーナリストやルポライターらの書籍をわざわざ購読した限られた人々だけだったのである。
※ちなみに赤報隊事件で犯行直後「とういつきょうかいのわるぐちをいうやつはみなごろしだ」という脅迫文と空の薬莢が朝日新聞に送り付けられた件も、長い間、テレビも新聞も報じていなかった。この件を取り上げた書籍にその脅迫文の写真が掲載され、一部の人達に知られるようになった後、ツイッターにその写真が載ったページをアップロードした人が出た事で、とうとう隠しきれなくなり、多くの人達に知られるようになったという経緯がある。ネット登場以前の時代には、この種の情報隠しはよくある事だった。
第六章 狂信的カルト信者はテロリストと同じ
カルトは目的達成の為なら手段を選ばない。
違法行為も、倫理や道徳に悖る行為も、卑劣な行為も公然と行う。
これに関してはカルトの嫌がらせを直接知っている人、被害に遭った経験がある人があれば、御存知であろう。
被害者の職場や自宅のある地域でデマや中傷を拡散させて、職場や地域社会での人間関係を完全に破壊し、職を奪った上で他地方に転居せざるを得ない状況に追い詰める。
執拗に嫌がらせを働いて、執拗な付き纏いも働き、自宅にいようか外にいようが心が休まらない状況を作り出し、精神的苦痛から自殺するよう仕向ける。
転居したとしても、その地域のカルト教団支部に情報が引き継がれていれば、嫌がらせが継続される為、求職妨害、嫌がらせとストーカー、デマと中傷を拡散する攻撃までされて、経済的に困窮する事になる。
カルトは敵対者が社会の信を得て自分達に牙を剥く事を恐れる為、敵対者に認定したら最後、死ぬまで執拗に攻撃し、社会的な信用が集まらないよう、中傷攻撃して、その人物の社会的信用が地の底に落ちた状態から上昇して来ないように小細工する。
これがカルトの実態である。
また、カルトは、人命の尊さ、人生の大切さを唱えながら、敵対者であったり、目的達成の為に邪魔となる人間であれば、平気で殺す。
統一教会であれば、犯人は未逮捕であるが、明らかに彼らの仕業であると考えられる副島事件(副島氏は幸運にも一命を取り留めた為、殺人未遂事件である)、赤報隊事件。
創価学会であれば、警察は自殺と結論付けているが、学会員以外は誰も信じていない朝木明代市議の転落死事件。日蓮正宗の僧侶や法華講(同宗信徒団体)幹部らの交通死亡事故として処理された事故群。反学会の活動をしていた亀井静香氏ら四名の暗殺を暴力団に依頼した問題。学会員による傷害事件は男子部300名が寺に乗り込んで僧侶と信徒らを集団リンチした福岡県開信寺事件をはじめ無数にあり、その他、表面化していない暗殺事件も多数あると考えられる。
とにかく平気で人を傷つけたり殺したりする。
カルトの信者達にとって、カルトからの指示は絶対であり、逆らう事は出来ないとされる。また、カルトの為であれば、犯罪であろうが、道徳やモラルに悖る行為であろうが、卑劣な事、陰湿な事であろうが、実行しても構わないと考えている。
マインドコントロールが強くかかっているカルト信者と、立場的に同調圧力に抗えない状況にあるカルトの信者は、テロリストと同じである。
第七章 前例
オウム真理教がクーデター計画や武力革命の一環として地下鉄サリン事件を起こした事は既に触れた。
創価学会にも前例がある。
1971(昭和46)年、青年部最高幹部らがクーデター計画を話し合っている。学会の人材をひそかに送りこんで、自衛隊と放送局、電波を全部抑え、クーデターを決行すると言う内容だったと言われている。
この件に詳しい人達によると、警察を攪乱する方法まで練っていたそうで、内容は相当具体的であり、本気で計画を実行に移そうと考えていた気配が窺えるものだった、との事だ。
暴露した矢野絢也氏は、立場もあるからなのだろうが、『「冗談半分だったが、「いざとなったら、こういうことも本気で考えなければならない」という話がかわされていた事も事実だ」と、ある古参の元議員が雑誌の座談会で暴露していた』と著書で語っている。
しかし、実際には、決して冗談と言える内容ではなかったという事だ。
問題は、何故、こんな話し合いをしたのか、という事だ。
理由は年表を見ればわかる。
3年前の1968年の参院選で新宿替え玉事件を起こし、25名が逮捕される大事件を起こしている。更に言論出版妨害事件の表面化で創価学会の異常な体質が改めて浮き彫りとなり、1970年に池田大作が公式謝罪に追い込まれている。
折伏大行進以降、定期的に事件を起こしては逮捕者を出し、非難を浴びる事を繰り返していた為、世間の創価学会に対する警戒感は極めて高くなっていた。
今後、創価学会がどうなっていくのか、不透明感が非常に高まっていた時期だったという事である。
つまり、創価学会の青年部の最高幹部らは、このまま創価学会が消えてなくなってしまうのだとしたら、起死回生の一手として、クーデターを起こす事で権力を掌握し、創価学会(厳密には日蓮正宗)の国教化を図る事によって、創価学会という団体の継続を図ろうとした、という事である。
教団がなくなるくらいなら、クーデターや武力革命を起こしてでも、権力を手に入れ、カルトを国教とするカルト国家を建国する事でカルト教団を継続させようとする。
カルトの信者達がこのような思考をするという事は押さえるべきである。
第八章 カルト信者の心理
信者がどんどん減る。
残った信者達は強くマインドコントロールされた狂信者ばかり。
世間は教団を攻めに攻め、批判と非難の嵐となっている。
どこに行っても教団批判の声がして、教団が何かしようとしても、全て拒まれる、関わり合いのあった団体や組織からは切られる、白眼視される。
信者達はその状況を「私達が正しいから社会から迫害されているのだ」と認識する。
そして「悪いのは社会である」と認識する。
社会から孤立し、孤立が進行すればする程、社会に対する恨みつらみは深まっていき、信者達がどんどん脱会して人数が減っていく事によって、集団極性化現象が起きて、教団は過激化、急進化が更に昂進。
最後には「腐った国家と社会を正し、我々が正しく神聖な国家を作る」等という妄想(誇大妄想)に囚われて、正常な判断力と理性を失った狂信者達が、本気でクーデター計画や武装闘争計画を立案し、その前段階として、それら計画を成就させる目的で、大規模テロ事件を起こす。
カルトが崩壊していく過程というのは、大抵、こんなところだ。
大した規模でない段階で崩壊すれば、大それた事件を起こすには至らず、自然に消えていくのだろうが、統一教会や創価学会のような、信者数が数十万人、数百万人という大所帯で、しかも信者達にマインドコントロールをガッチリかけているような悪質性の高いカルトになると、すんなりと崩壊してくれないのは当たり前なのだ。
また、このような考え方に至るのは、仕方のない面もある。
カルトの信者達は、壷や仏像を買ったり、高価な墓苑や仏壇を買ったり、お布施するなどして、カルトに何千万も注ぎ込み、青春時代の貴重な時間を全てカルトの活動に注ぎ込み、人生の大部分をカルトの為に費やしてきた。
実際、創価学会では、60過ぎや70過ぎで信心歴数十年でマインドコントロールが解けて脱会した人が、自分が騙されてきた事に気付かされ、全てが無駄だったと悟った時、その事実を受け容れられず、発狂したり、廃人みたいな状況になってしまったというケースもある。
生でカルトの信者を見た事がある人なら理解できる話だが、信者達にとっては、教団は、自分そのものだ。度を越して子を溺愛する親が子と自分を同一視するように、信者達は、教団と自分を同一視する。
学会員が、創価学会を批判されると、突如として見た事もないような恐ろしい形相になり、狂ったように反論し、怒鳴ったりするのも、創価学会と自分を同一視している事が原因。
つまり、その人にとっては、自分の事を批判されたのと同じという事だ。
この観点からの方が、カルトがテロやクーデター、暴力革命を起こす動機を理解し易いかも知れない。
カルトが潰れるという事は、カルトがこの世から消えるという事だ。
言い換えれば死ぬという事である。
カルトと自分を同一視する強いマインドコントロールされた信者にとっては、カルトの死は、自分の死そのもの。
自分が殺されそうになれば、誰しもが、相手に反撃を試みる。
信者達は自己とカルトを同一視するので、カルトが攻撃されると、自己防衛する時と同じ感覚で、相手に反撃する。
カルトの死=自分の死なのだから、国家がカルトを殺しに来れば、自己防衛する時と同じ感覚で、国家に反撃する。
つまり……。
殺されるくらいなら、自分(=カルト教団)を殺そうとする国家を殺す。
これが高度にマインドコントロールされたカルトの信者達の思考であり、信者達からすれば、テロやクーデター、暴力革命を起こすのは、他人に殺されそうになった人が、正当防衛で反撃しているのと同じなのである。
第九章 完全に潰す必要性
ここまでお読み頂いた方の中には、こう思われた方もいるはずだ。
カルトを潰すのは危険ではないのか。
危険である。
マインドコントロールによって、自己と教団を同一視する狂信的な信者達は、カルトの為なら何でもやる。
また、そんな鉄砲玉を多数抱えたカルトの幹部らは、自身も入信し、マインドコントロールされた経験がある信者からの叩き上げでない場合、大抵、極悪人か、そういった人達を利用して悪さを働こうとしている犯罪者である。
信者からの叩き上げの場合であっても、マインドコントロールが効いたままであれば、目的の為に手段を選ばないので、危険性に変わりはない。
しかし、そうして「カルトは危険だから」と言って、法規制せず、積極的に潰す事もせずに放置すれば、現在の統一教会や創価学会のような大問題を社会が抱える事になる。
反撃される危険性を承知の上で、被害を最小限に止める目的で、国家は積極的に、カルトを潰す必要があるという事である。
解散を命じて宗教法人格を奪った後は、任意団体に移行したカルトを監視する事になるが、徹底的に公安警察が監視すれば、カルトによるテロは防げるはずだ。
エシュロンは極めて評判の悪いシステムであるが、テロを防ぐ上では非常に有効な手段である(※エシュロンは携帯電話の通話内容からeメールの内容まで、全ての情報を監視対象とし、キーワードを設定すると、その全てを記録する。まるでSF映画のような話だが、これは実際に可能な事で、だからこそ人権侵害だとして国際的な問題になった)。
カルトによるテロは許さないという方針の元、国家が徹底してシギントとヒューミントを公安警察に実行させて、テロを抑止する行動を講ずれば、100%とは言えないまでも、カルトによるテロの大部分は防げる。
少なくとも、大勢人が死ぬような危険なテロは、全て防げるだろう。
最後に
統一教会の解散に反対する署名にたった2万3000筆しか集まらず、リアル活動家数6万~10万と言われていた人達はどこに行ったんだと話題になった。
実働活動家数と署名者数のズレに関する可能性は幾つか考えられる。
1 署名する事で活動家が氏名を国家に掌握される事を恐れて拒否した
2 戦術的に犯罪等に使用可能な活動家の氏名を隠す為に署名させなかった
3 名が公になると困る、各界で立場のある信者が大勢いた
簡単に考えただけでこんな感じだが、1や2に関しては、そのような目的で隠す信者の数としては多すぎるし(4万人~8万人近いズレがある為)、3に関しては、そこまでの人数になるとは到底思えない(その種の理由で署名しなかったものは精々数千名単位だろう)。
1~3の理由に拠る未署名者を合計しても、その総数が4万人~8万人に達するとは到底考えられない。
そのように考えてくると、安倍元総理狙撃事件以降、統一教会の活動家が一気に減ったと考えるのが妥当である。
事実、一般信者レベルでは、脱会者が大勢出ているという。
カルト教団が崩壊する事自体は喜ばしいが、この崩壊の仕方は、想定された創価学会の崩壊過程と極めて似ている事に気付き、嫌なものを感じた。
この記事の中で使用されているカルトの崩壊過程というのは、池田氏の死後に創価学会が辿るであろうとされるものであり、それを統一教会に置き換えただけである。
信者が激減し、活動家レベルの高マインドコントロール下にあった筈の狂信者達まで激減しているとなると、教団に残った、少数となった狂信的な活動家らに、集団極性化現象が生じ、より過激化、急進化、先鋭化が進み、間違っているのは社会であり、我々ではない、間違った社会を倒し、国家も倒して我々が正しい世の中に作り替えるのだ、等という妄想に囚われて、本格的にテロやクーデター、暴力革命を起こす為の準備活動に入ったとしても、おかしくない流れになっている。
つまり、統一教会は、今まさに監視レベルを最高レベルに高める必要のある危険な状態に突入し始めているという事だ。
こうした事実に気付いた時、崩壊現象が進んでいる事と、とてもじゃないが、素直に喜べない事に気付いた。
政治家の人達は、オウム裁判でマインドコントロールを否定した裁判官たちに関しても言えるが、カルトやマインドコントロールというものを甘く見過ぎている。
市井の人々とは立場が違うから、真正のカルトの狂信者達をじかに見る機会がない為、実感が湧かないのだろうが、狂信者達は教団と自身を同一化しており、教団の為なら何でもする危険な状況にあり、また、先述の通りで、殺されそうになった人が正当防衛で相手に反撃するように、追い詰められたカルトの信者達は、死ぬくらいなら殺そうとしてくる国を潰すという感覚で、クーデターや武力革命で国を殺しに来る。
その事が理解できないから、反セクト法制定を渋るような事をしたのだろうと思う。
今後、統一教会は暴発する危険性があるので、ご注意を、と警告を発し、この記事を締める事にする。