あの春に

初夏とはいえ東京のコンクリートジャングルは蒸す。昼間に蓄えた熱を発するアスファルトからは、未だに陽炎が漂っているようだ。ワイシャツにしみ込んだ昼間の汗が、精液みたいにべた付いて不快な東京の夜。重い体を引きずるようにして、ようやく私は帰路についた。

ほんのり冷たい金属製の扉を開けて、真っ暗な室内には入る。

「ただいま」私はそう、誰も居ない真っ暗な8畳に呟いた。

「中学同窓会のお知らせ」

そう書かれたハガキが届いたのは一週間前の事。「参加・不参加」に〇をつけて投函するだけの行為を私は未だ先延ばしにしている。
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同窓に何か確執があるわけでは無いが、特段思い入れがあるわけでも無い。未だに年賀状を送り合う程度の友人は居るが、所詮10年前の人脈なんぞその程度である。

私の手を止めているのは、思春期ど真ん中だった過去との対面である。思春期というものは誠不思議なもので、終わってみれば過去の話だ。

少なくとも「青春」なんて表現からは程遠い学生生活だと思っていた。恋が無かったとは言わないが、ついぞ恋人は出来なかったし、クラスでは日陰者と呼ばれる立場だったのに。

よく自分の10年前を振り返って、灰色の青春なんて呼びたくなる衝動にかられたけれど、今思い返せばあの滅茶苦茶な日々は間違いなく青い春だった。大人になろうと精一杯背伸びして振舞えど、感情は子供のままで追い付いてこない。自分の中がぐちゃぐちゃになって、感情は波のようにとめどなく押し寄せるのに、言葉は、体は別の方向へと向かっていく。自分が爆発して、四散してしまうんじゃないかというようなそんな心の嵐。

今考えると下らない話を真剣に考えていたし、死にたいほどに悩んでいた。今日が永遠に続いてほしいと思っていたし、早く大人になりたいとも思っていた。

「青春」、たぶんこの定義は後からしかできないのだろう。だが少なくともあの日々は、間違いなく澄み渡るように青い春だった。

なによりも下らなく、なによりも滅茶苦茶で、それでいて眩いほどに輝く青年時代だったのだろう。

果たして今自分が無味無臭に過ごす日々と、あの頃の日々とどちらが真の世界の姿だったのかという問いには答えれれない。あの日々を見つめなおす行為は大人になってしまった自分にとってひどく気恥ずかしいのだ。

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今一度はがきを眺めてみる。

主催として連なっている名前にはなんとなく見覚えがあるが、顔はふんわりとしか浮かんでこない。まぁどうせ10年ぶりなのだ、全員お互いの顔なんておぼろげにしか覚えていないだろうし、月日は残酷なほどに人を変えてしまう。クラスの人気者も日陰者も、月日は等しく青かった日々を押し流していってしまうのだろう。

10年、長い長い時間だったようにも思えるし、一瞬の出来事だったようにも思える。時間の流れを確かめに拝みに行くのは面白いかもしれない。それに、あの春を確かめに行くのも悪くない。勢いに任せて「参加」に〇をつけた。

ほんのり湿った初夏の夜風が頬を撫でる。今年も暑い夏が近づいている

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