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大学の授業で気づいた多様性


#一人じゃ気づけなかったこと

大学の授業で、ホスピタリティ、おもてなし、サービスについて学ぶ機会があった。最近までパラリンピックを見ていたこともあり、頭に強く残っている。

障がい者という言葉を人が口にするとき、それはどこからどこまでの人を指しているのだろうか。目の見えない人?耳の聞こえない人?身体が不自由な人?心に病を患っている人?


ここで少し私の話をしたいと思う


私は高校3年生の時に関節リウマチになった。お年寄りがなるものと思い込んでいた私は驚いた。なぜ私がこの病気になったのか。この病気は体の関節で炎症が起こり、骨が変形していってしまう。病院で検査をしてこの病気だと確定した時、私は夜な夜なインターネットで関節リウマチについて調べては暗い気持ちに陥っていた。

治療が始まってからは、なかなか合う薬が見つからず辛い思いをした。元々薬を飲むことが苦手な私には苦しい試練だったと思う。しかし、痛みに負けて薬を飲めるようになった。それでも、このまま一生薬を飲み続けなければならないのか、それで関節が変形していくんだと悲観的になったときもあった。

薬を飲んでも良くならない血液検査の結果を受けて私は自己注射を始めることになった。そんなときにヘルプマークというものがあると知った。なんとなくテレビで見た程度だったが、調べてみると

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

ということがわかった。関節リウマチは原因不明だが指定難病ではないこともわかった。自己注射を始めるまでは体中が痛くて、生活するだけで精一杯だった。このときの私にとってヘルプマークという存在はありがたいものだったと思う。どうやったら入手できるのか考えている間に自己注射の成果が出て、なんと私の体から痛みが消えた。

たしかに数ヶ月前まで悲鳴を上げていた私の関節たちは、ペットボトルの蓋を軽々と開けられるまでに回復していた。痛くないところを探すのが大変なくらいに全身痛かったのが嘘みたいだった。

このときに改めて痛みのない生活に感謝が溢れて止まなかった。それと同時に、私と同じ病気の人はこんなにも辛い思いをしていたのかと気づいた。

ここで本題に戻る。私の体から痛みがさって一年ほど経って、私は大学の授業で新たに気づいた。その授業は、障害のある人へのサービスやホスピタリティ、おもてなしについて考えるものだった。

そのときに、障がい者から以下の文を言われた時どう対応するかという問いがあった。

「この対応は健常者にも同じことをするのか。周りと同じようにしてほしい。」

この文を見た時、私の中でなにか変わった気がした。

私は病気になるまで、周りの人が困っていたら助けたいという気持ちがあり、目の不自由な人を街で見かけた時に助けることがあるか声をかけたりしていた。しかし、障害や病気を持っている本人は周りの人と同じ対応をしてほしいと思っていることもあるのだと気づいた。

「困った時はお互い様」という言葉があるように、私も助け合いの心を持っていたいが、その時に相手の気持ちを考えずに助けるという善意の押し付けのようなことは避けたいと思った。

自分が病気になってから同じ病気を持つ人の大変さがわかった。自分が同じ体験をしてみないと相手の痛みや苦しみはわからないと思う。だからこそ、相手を尊重し理解することが大切なのだと思った。

もし私が同じ病気の人とのコミュニティに入らなかったら、大学であの授業を取らなければ、気づかなかったことだ。

これからもあらゆることに飛び込んで価値観を考え直したり、新たな考えを始めるスタートになればいいなと感じた。

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