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20年の時を経て、届いたもの(おじいちゃんからの贈り物)

飛行機の窓の外には、空と海の境界が溶け合って見えない水平線が広がっていた。私は読み終えた本を膝に抱え、その景色を眺めながら、ぼんやりと感慨に耽っていた。
この本をやっと読めた喜びと同時に、もうおじいちゃんと話せない寂しさが心をよぎった。彼は私が大学院を卒業するより少し前に亡くなってしまった。

小学校5年生の頃、おじいちゃんが、私が本好きだと聞いて、喜んでプレゼントしてくれたその本は、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」。昔は高校で英語の先生をしていたおじいちゃん。私にとっての彼は、いつもメッセージつきの図書カードを送ってくれる、遠くの田舎に住む優しいおじいちゃんだった。中学生の頃、私は英語が苦手だったので、頼れるものはなんでも頼ろうという神頼み状態(おじいちゃん頼みとも言う)で、定期試験前には遠方に住むおじいちゃんにFAXや電話でいっぱい教えてもらった。彼は海外に一度も行ったことがなく、電話越しに解説するおじいちゃんの英語は、ばっちり100%のカタカナ英語だった。

今、私には人生の夏休みとも呼べる時間ができて、おじいちゃんが20年前にプレゼントしてくれた小説を、やっと読み終えた。この本を小学5年生の私にプレゼントしたなんて、おじいちゃんらしいな、と思う。

この本の主人公は、村で一番の神童と呼ばれた男の子。受験勉強に明け暮れた彼が、子どもらしい時期を奪われ、トップの成績で神学校に入学し、そこから悪友の影響で学業で落ちぶれ、最後には・・・。

私は中学受験はしなかったけれど、大学受験のストレスとプレッシャーで頭痛を抱えながら勉強した経験があったので主人公の体験に共感した。そしてこの本のタイトルの意味を小説の中で知ったとき、心を揺さぶられた。

おじいちゃんはこの本を私にプレゼントしたとき、どんな気持ちだったのだろう。

小学5年生の私にはあまりにも早すぎて、ドイツ語から翻訳されたこの本が難しく、じつはこの本が、人生で初めての読書挫折体験となった。
日本語だからといって、何でも読めるわけではない。勉強しないと読めない日本語があることを学んだ瞬間だ。おかげで国語の授業は現代文であってもとても身が入った。その時には読めなかった本だけれど、この本のおかげで今の私があると感謝している。

そして私はいま30を過ぎて、英語を使って海外とやりとりするタフな仕事と、妊娠適齢期のプライベートなプレッシャーでバーンアウトして休職している。このタイミングでこの本を読んだ(しかも日本語として読めるようになっていた)ことは、私にとってはとても大きな意味を持っている。

私はいま、頑張り過ぎて失っていた自分の無邪気な心をまた思い出そうと、毎日を穏やかに、自分の心に話しかけながら過ごしている。彼が私に与えてくれたこの小さな贈り物が、20年を経て、私の人生にもたらしてくれた豊かな読書体験に、どう感謝したらいいのだろう。

そして、私は飛行機の窓の外に目を向け、空と海が溶け合って一体となった景色を、ぼーっと見つめながら、少し泣きたいような気持ちで、ひとり静かに微笑んだ。ありがとう、おじいちゃん。あの本、やっと読めたよ。


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