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K君のおかあさまへ7完)ひきこもりと勉強

 ご無沙汰しております。お元気でお過ごしでしょうか?
 さて、K君のおかあさまに差し上げるお手紙も、7通目となりました。少しでも、不登校・ひきこもりをしているK君の気持ちとか、置かれた立場とか、そういうのが、なんとなくイメージできるようになって、少しでもK君と関わるおかあさまも楽になってくださればいいな…と思っております。でも、まあ、わたしごときの経験値では到底お役に立てていないかもしれませんね。力不足で、すみません。
 でも、まあ、気を取り直して、それでもちょっとでも参考になる可能性があるなら、筆を止めるわけにはいきません。
 ということで、今回は、きっと多くのおかあさま・おとうさま方が、まず第一に心配するであろう、「不登校って…そんな…。学校は…勉強はどうするんだ!?」ということについて、お話していきたいと思います。

 そうですね、ご両親にとっては、それがいちばんの心配のタネですよね。分かります。いや、そうじゃないご家庭もあるかもしれませんね。でも、いちばんではなくとも、子どもが長く休むと、「学校の勉強が遅れちゃう…」と、だんだん心配になってくるのではないでしょうか。ひょっとしたら、K君本人も、気に病んでいるかもしれませんね。「ねえ、少しは勉強しなさいよ」とか言おうものなら、めちゃくちゃ子どもが怒って、反発するとしたら、子ども自身も、勉強していないことが気になっている証拠です。
 でも、たぶん、いちばん気になっているであろう、勉強のことを、なんでわざわざ7回目のお手紙で取り上げるのかというと、やはり優先順位の問題です。要するにですね…一応、不登校を経験したわたしの感覚からすると、いちばん大事なのは、子どもの「生存権」です。むずかしい言葉を使ってすみません…、つまり、あったかいふとんでゆっくり休めて、心が安らぐ居場所として、ちゃんと家庭が機能することです。そして、家庭が居場所となるには、家庭内の人間関係を良好にすることが、なにより大切です。あと、気が急くあまり、悪質な不登校・ひきこもり支援団体に引っかかってしまわないように、そのことについてもお手紙を送りました。ついでに、効果的な体調のケアの仕方がわかったほうが、回復が早かろう、と…。
 つまり、わたしにとっては、K君を一刻も早く社会に、学校に戻すことよりも、K君の生命を守り、尊厳を回復し、傷をいやすことの方が優先なのです。だから、勉強という、社会に参加するための準備、というのでしょうか、そういうものは、後回しにしてきたわけです。
 もしも、「一刻も早く学校に戻ってほしい、勉強をさせたい…!」と焦っていらっしゃるのだとすれば、ぜひ、一度立ち止まっていただいて、お送りした手紙を、はじめから読んで頂きたいです。または、興味のあるところだけでもいいので、ぜひ読んでみてください。

 前置きが長くなりました。
 さて、本題ですが…、そうですね、一応、もうすでにK君の体調はけっこう安定していることを前提に、お話ししますね。
 学校に行きなさい、とか、勉強しなさい、とか言わなかったら、そこそこ元気そうにしている…けど、このまま学校いかないつもりなの? 将来どうするの? …みたいな感じ、でしょうか。
 そうですね、今の学校が通いにくいのであれば、転校すればいいのか、普通科か、それとも商業とか工業などの科にするか、全日制か定時制か、フリースクールにでも通わせるか(でも、お金がかかる…)、学習支援センターに通わせるか(公の機関なので、安い)…。それとも、今のまま様子見を続けていたら、現在の学校にまた通うようになるかな? などなど。考えは尽きないと思います。

 でも、いちばん大事なのは、これは子どもの人生の話だということです。ええと、そうですね、おかあさまが子どもの人生を心配する気持ちは、まあなんとなくは分かります。いろいろ、将来のことを考えると、一刻も早く、行動を始めた方がいいですもんね。しかし、子どもはずっと「現実逃避」をしていて…その姿をみると、ますます焦るし、腹が立つし…。
 放っておいても、子どもがいつまでたっても動き出さないから、大人がいろいろ調べて「お膳立て」をしてあげる、勉強しろという、生活リズムをコントロールする…。そう、そういう気持ちなんだと思います。多分、そういう教育が、日本の家庭では一般的なのではないでしょうか。

 いやいや、わかりますよ。その気持ちは。わたしも、非行少女たちを、再教育する施設で働いておりましたので、まあ、勉強したくない子どもたちに勉強を教えるのは、ずいぶん骨が折れました。子どものイライラをぶつけられるのは、しんどいですしね。

 でも、ですね。子どもが勉強をしなくて、いちばん困るのは、子どもなんです。だって、学校復帰を決意しても、休んでいた間の勉強が全く分からなかったら、授業でなにをやっているのかさっぱり分からなくて、つまらなくなって、また学校に行く気がなくなっちゃいますし…。転校するにしても、そうです。授業がわからない苦しさって、つらいと思います。無為な時間、自分にとって、なんの意味もないムダな時間を、じっと机に座って耐えるなんて、本当に、大人でもやってられませんよ。
 勉強がわからないと、試験を突破できませんから、高校入試や大学入試、高認試験(高等学校卒業程度認定試験…要するに、高校卒業資格がなくても、これに合格すれば、大学入試が受けられる、というやつですね)も苦しくなりますし。
 「勉強って、学校って、なんの意味があるの?」というと、まあ、ひとつには「真の学び」の効果…つまり、実際に子どもが賢くなったり、社会に出てから役に立つような知識やふるまい方が身に付くことですが…、まあ、これは、本当に効果あるの? と、疑問に思われるような内容の教育も、学校ではたくさんしていると思いますし、まあ、学校以外でも、身につけることができます。そして、もうひとつには、「学歴」としての効果ですね。まあ、学歴がなくても、中卒とかでも、自力でめちゃくちゃ努力をして、なんとかなっている人もいますが…手っ取り早く、社会的な信頼を得るには、学歴ほど便利なものはありません。
 前者だけをお求めでしたら、学校の…いわゆる、教科書的な知識ですね、そんなの、身につけなくていいから、社会で実際に役に立つ知識・技能を勉強なさったらいいと思います。そう、プログラミングとか…資格の勉強とかでしょうか。音楽をひたすらやってもいい、絵ばかり描いてもいい。販売のやり方とか、お金をもうけて生計を立てるやり方とか、そういうのは、いくらでも自分で調べられるし、誰かに聞いたり、協力してもらったりしてもいいではありませんか。人とかかわる能力の開発がしたかったら、なにも、学校に行かずとも、地域の集まりとか、趣味のサークルとか、そういうのでもいい。まあ、同年代の人たちが集まるのは、学校がいいんでしょうけど。あと、自分で本を読むのも学びになりますね。そういうのでいいと思います。
 でも、後者のほう…学歴も必要なのでしたら、学校でやるような勉強は、続ける必要があるでしょう。とりあえず、試験を突破できる学力をつけたいところです。いま通っている学校での授業についていく必要は、必ずしもありません。自分のペースで着実に、最終的に目指す試験を突破できるように、学習していったらいいのですから。

 「勉強しなさい」っていうのは、そこのところが、あいまいな言葉なんです。ただがむしゃらに、教科書を読んだり、友達に貸してもらったノートを眺めたりしても、それは意味のある勉強になりません。「なにを」「なんのために」勉強するのか、が大事なんです。

 勉強をしない子どもは、「勉強をしたくない」というよりは、「なにをすればいいか分からなくて、途方に暮れている」という状態のような気がします。大人に、「勉強しろ」と言われるのが嫌だから、教科書を眺めたり、借りたノートを書き写したり、「勉強しているように見える」姿をして、大人に叱られないようにする…とか、学校の勉強よりも、本を読んだり、ゲームで新しい世界を知る方が、よっぽど社会勉強になるよ、と感じているとか…。そういうことかもしれません。
 だから、とりあえず、「子どもが勉強をしなくて困っている」と考えることを、やめてみるのはいかがでしょうか。子どもは、勉強について、どう考えているんだろう、と想像してみる。

 子どもは、たぶん、普段の生活の中でも、なんらかの「学び」を得ていますので、そういう…新しい気づきとか、発見を、家族に話してくれるようになったら、だいぶん関係は良好ですね。いいかんじです。人と話すことで、ますます学びも深まりますし、そうやって、家庭内で教育する、というか、子どもの学びの環境、雰囲気を整える、というのは、いいことだと思います。
 それと並行して、教科書的な知識について、勉強をする必要があるか、ないかを、K君と相談してみたらいいのではないでしょうか。相談、というと、あれですね、まるでおかあさまのお悩みを、子どもに相談するみたいですね。あくまで、K君の勉強についてどうするか、悩むことができる第一人者はK君であって、K君以上に、おかあさまが悩んでしまうと、まるでK君がふがいないせいで、おかあさまを苦しめてしまっているみたいで、しんどくなるので、あんまりおかあさまは悩まないでいただけるとありがたいです(と、お願いして、悩まなくなったら、苦労はしないわけですが…)。

 おかあさまには、「勉強の指導」をしてほしいというより、「勉強の相談」に乗ってほしいのです。「この試験に合格するために、この課題をいつまでに終わらせなさい」と言ってほしいのではなく、「そうか、この試験に合格するのが目標なんだね、じゃあ、過去問とか、問題集とか、買いに行く?」「分かんないところがあったら、聞いてね」と言ってほしいのです。「勉強やるっていったのに、最近やってないじゃん!」ではなく、「勉強の調子どう? なんか分かんないところあった?」が、欲しい言葉なのです。

 子どもの勉強の面倒を、おかあさま一人で見る必要はないので(ちょっと負担が大きいと思います)、近くに知り合いの大学生でもいたら、家庭教師になってもらってもいいと思いますし、そういうサービスがあれば、いくらでも利用したらいいと思います。でも、それもやっぱり、子どもが必要とするかどうかですので、子どもの勉強のことを心配するあまり、あれもこれもとやりすぎになっていないか、ちょっと立ち止まって、呼吸を整えることも必要かと思います。

 いろいろと偉そうなことを申し上げて、すみません。でも、最終的には、なるようになります。よくも、わるくも。肝心なのは、自分の執着を断ち切ることなのかもしれません。
 教育の意図と、教育の作用は異なる、という言葉もございます。教育を設計する人…つまり、親とか教師とか、学校の仕組みを考える人とかですね、そういう人たちが、こういう効果をねらって、こういう教育をしました、と言ったところで、子どもに実際に身につくものは、ねらった通りとはいかない、ということです。
 だから、教育のことであまり気に病まず、大きく構えていたら大丈夫だと思います。優秀で頭のいい子に育つより、一風変わったやさしい子に育った方が、いいかもしれませんし。いろいろな執着を捨てた上で、ほんとうは、どんな子に育ってほしいのか、そのために、なにが必要か、ということが見えてくれば、次になにをするべきかがはっきり見えてくるかもしれません。(うーん、上手に伝えるのは、むずかしいのですが…。)


 それでは、今日はこのへんにしたいと思います。
 お手紙を送らせていただくのは、今日で一旦終わりにしようかと思います。もうすでに、大事なことはおおかたお伝えできたように感じています。K君やおかあさまの事情を詳しく知らないのに、一方的にお手紙を差し上げて、もしご迷惑でしたら、すみません。でも、少しでもなにか参考になったり、こころに残ることがありましたら、わたしにとって、とても幸せです。

 もし、またなにか質問などがありましたら、お気軽にメッセージをくださるとありがたいです。

 それでは、お体にお気をつけて。きっと、なんとかなります。
 いろんなことが、よい方向にうごいていきますように。

                            20XX年X月X日
                         やまのうえのきのこ


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