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ヤンキーたちは絶滅したのだろうか——失われた地元を求めて(1)

播州弁というものを喋っていたはずなのだが、大学に入って忘れてしまった。

大学で出会った友人たちからことあるごとに怖い怖いと言われ続けたからだ。相手のことを「自分」と言い、語尾が「とんけ」だったような気がするのだが、もはや二十年以上前までしか使用していない言語体系なので忘れてしまった。

「自分最近大学行っとんけ?」…みたいな?

いや、さすがにこんなキツい喋りかたしてなかったと思うんだけどもはやわからない。いま文字面を見るとただの田舎者にしか思えないのだが、とにかく友人たちから「怒ってる?」などと言われたのだった。

そう言われるたびに修正し続けた結果、いまや関西のイントネーションで書き言葉みたいに喋る変な人になってしまっているかもしれない。大学というものは、一面では地方文化を混淆して個性を均し、白濁するマヨネーズにして排出するミキサー的空間なのだ。

言い忘れていたが、ぼくは兵庫県の姫路市出身である。

かつて関西圏でヤンキーや暴走族やヤクザの巣窟のように言われていた地方都市のひとつ、姫路である。そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。いまは世界遺産姫路城を擁する国際観光都市のフリをしているようだ。京都や大阪からJR東海道線の西行き新快速で寝過ごしたら到着してしまう関西の果てである。

待ちあわせの定番だったサーティワン前(姫路駅の姫路城側ど真ん中という最高の場所に、なぜか姫路市民はアイスクリーム屋を置いた)と言えば、吸い殻と空き缶とヤンキーがそこらじゅうに転がっていた殺伐とした荒野——姫路。

姫路とは、ぼくにとって、中学や高校に入学したらその日のうちに先輩集団にからまれ、街を歩こうものならヤンキーたちにからまれ、自転車に乗ったらバイクに2ケツ中の暴走族にからまれ、電車に乗ったらオラついたやつらにからまれ、友人と喋っていてふと気づいたらなぜか暴走族が周囲を旋回している——これらはすべて事実なのだが——、そんな場所だった。

いや、姫路にだってほっこりする話もある。たとえばなぜかぼくを慕っていた後輩がシンナーに手を出すのをたしなめるはめになったり、駅前で暴走族からチームに入るよう熱烈に勧誘されたり、謎のおっさんから葉っぱや薬を売りつけられそうになったり、酔っ払った渡世の方から突然の金一封をもらったりする——これらもすべて事実なのだが——、そんな場所だった。

それが姫路だ。

「ちゃうちゃう、そんな世紀末救世主伝説みたいな街と違うて」。という声が兵庫県南西部出身あるいは在住の方々からあがりそうなのだが、少なくともぼくにとっては、ときにそういう街だった。たぶん野生動物が同じ種にたいしてこそガチの白兵戦を挑むように、ぼくは彼らと同じ世界線を生きる生き物として認識されていたのだろう。

急いでつけ加えなければならないが、ぼくはヤンキーでも暴走族でも渡世の者でもなかった。しかしよくよく考えれば、学校を休んで昼から街に出たり、家に帰らず夜な夜な友人たちと喋ったりしていたので、その時点で一般的な青少年とは生息圏や活動時間がズレている。そうして知らず知らずに荒ぶる猛者たちのテリトリに接近していたのだ。

ともあれ、そんな街から京都の大学にやって来たぼくは、大学でももちろんまずは先輩にからまれるものと信じていた。それはぼくにとっては客観的な世界の法則だった。そうでない4月などかつて存在したことがなかったのだから。

臨戦態勢で入学したぼくは、そもそも京都の地ではそれらしき存在がほとんど目につかないという事実に衝撃を覚え、なにより大学という場のなにごともなさに壮大なだまし討ちでも計画されているのかと不安を感じたのだった。

アメリカ映画に登場する帰還兵のように、平和な世界に馴染もうとしてぎこちなく微笑みながら、たまに戦地がフラッシュバックしてひとり狼狽する——ぼくは、そんな青年だったのかもしれない。

数年前、仕事の用でふらっと帰ったことがある。

高校卒業後、父の転勤で実家は借家になり、祖父母も引っ越し、姫路に帰る機会はなくなっていた。同窓会の案内も母が捨ててしまっていたし、友達づきあいもほとんどなくなっていた。

電車のアナウンスは姫路と告げているのに、そこが姫路であることに気づくのにずいぶん時間がかかった。電車のホームが高架化されていたことが大きいのだが、駅から出ても、記憶のなかのマッドマックス姫路とは無縁の空間がひろがっていたからだ。

姫路駅前は浄化されていた——なんということだ。街の雰囲気そのものが、明らかに漂白されていた。

「ゆかたまつり」で暴走族に占拠されていた駅前はスタバやイオンの親戚のような空間に変貌していた。昭和的店舗を抱えていた仄暗い地下道にも、いまやコンビニのようにLEDが白熱し、陰影の階調を蒸発させている。

高校卒業後すぐに実家が失われたぼくにとって、「姫路的なもの」が浄化されたことは、姫路が二重に失われてしまったことを意味する。

そもそも「地元」や「故郷」みたいな感覚をほとんど持たないぼくにとって実家の喪失はたいして哀しいことではなかった。だが、「姫路的なもの」が失われてしまったことにについては言いようのない虚脱感がある。

彼らはいまどこにいるのだろう?

LEDの照り輝く世界では夜さえ真っ白に白熱し、暗がりから暗がりへと陰影のニュアンスを泳いでいた人々にあたえられる場所はもはやない。

いや、それでもどこかでしたたかに泳いでいるのだろう。ただ、いまのぼくには出会うことができなくなってしまった。

世界は異なる世界線の幾重もの積層であり、蛍光灯が明滅する暗がりへの共感も、薄皮一枚隔れば声すら届かない。

まったく違うことを考え、まったく違う条件のもとで生きていた。にもかかわらず、たまたま街で隣りあい、互いに気配を感じながら、すれ違っていた。ただそれだけのことが、薄皮のこちらとあちらを結びつけ、そのとき、ぼくは彼らと同じ世界線を生きる生き物として認識されていた。

あの失われた街で、かつてのぼくはどんな言葉を喋っていたのだろうか?

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