「蔵元のことばかり」つづくこれからの話“澤の花”伴野貴之さんの場合。
本連載は、拙書の『いつも、日本酒のことばかり。』の特別企画としてはじまりました。新型コロナ感染症が世間に蔓延するなかで、蔵元さんたちがそれにどう向き合ってきたのか。蔵元さんたちの「今まで」と「これから」について書いていく記事です。
このたび登場するのは、長野県佐久市で“澤の花”をつくる、蔵元の伴野貴之さんです。
<伴野貴之さんプロフィール>
1979年生まれ。専務・杜氏
長野県佐久市にある1901年創業の伴野酒造の6代目。代々受け継いでいる銘柄”澤の花”は、「信州佐久の清流に咲く美しい花」が由来で、菖蒲の花がシンボルです。酒質の高さに定評があるのに、つくる本人はアルコールを受けつけない下戸という、日本酒業界では珍しい存在。一見、控えめな物腰でも、酒づくりのことを語り出すと止まらない。自分が考えるおいしい日本酒をつくるために、貪欲に理想を追い求めている。
はじめに
“澤の花”はものすごくシャイなお酒だと思う。このお酒は、小さい花のような可憐な香りがあってさらりと飲める冷酒タイプですが、華がないわけではないし、自己主張をしないお酒でもない。
でも、自分から前に出てくる気配みたいなものがあまりない。自信がないのではなく、あえて主役を避けているようにも感じられる。ひな壇で活躍する芸人のように、どことなく主役の後ろで控えているような存在です。
自信がないのではなく、と私が感じたように、澤の花はさらりと軽い飲み口なのに味の芯にブレがなく、どんな温度帯でもきちっとした酒質を保つことができる質の高いお酒です。
実は、軽快な冷酒タイプでこういう酒質のお酒はまだ少なく、綿密な酒質設計からよい設備、優れた技術など、つくり手がよっぽど神経質に、高度な酒づくりを自身に追求しなければ、こういうお酒にはなりません。(冷蔵庫で管理することを前提としてつくっている冷酒は基本的に温度変化に弱く味が崩れやすい)
なのに、主役になるのではなく控えている、というのが私のなかでじれったくもあり好きな部分でもありますが、蔵元の人柄もほとんど似たようなものです。寡黙ではありませんが、饒舌ではない。打ち解けるまでは時間がかかり(私がそうだった)自分の本音をストレートに話すのが苦手なように見受けられます。
「自粛期間にビールの勉強も兼ねてストレス発散するために毎日ビールを1缶飲んでいたら帯状発疹になってしまいました」と今回のインタビューで教えてくれたのですが、お酒をつくる仕事をしているのにからっきし下戸で、お酒の付き合いが苦手な蔵元の性質も、シャイな人柄に拍車をかけている気がします。
でも、時間をかけて話しているうちに、日本酒づくりへの思いはビビットに熱いことが伝わってくる。寝ても覚めても日本酒づくりのことを考えつづけ、蔵元のなかでふつふつと募らせた日本酒への思いは、会話のふしぶしにあらわれています。 山内聖子
とことん落ち込んだときに考えた自分なりの支援
うちは3月から売り上げが落ちはじめました。3月はいつも春酒を出すのですが、なんとか出荷しても売り上げは止まり、4月になるとさらに数字が悪化したので、こうなると春酒だけではなく、5月くらいから出荷する夏酒の売り上げも期待できないと思いました。
数字が落ちていくにつれ、やばいなって。今、売り上げが悪くてどうのこうのというよりも、こんな状況が続いたらうちの蔵は終わりじゃないかって一瞬、絶望したくらいです。
今年の冬の造りはどうしようとか、色々と考えたらきりがなくて楽観的にはまったくなれませんでした。そんな毎日を過ごしていたら、なんかすごく疲れちゃって。いつもはほとんど酒を飲まないのですが、自粛期間にビールの勉強も兼ねてストレス発散するために、毎日缶ビールを1本飲んでいたら帯状発疹になってしまい、もう散々でしたね。
そんなふうに、とことん落ち込んだときに想像したのは、僕だけじゃなく、取引先の人たちもきっとストレスを抱えて疲れているんじゃないかと思ったんです。
そこで、澤の花の酒粕のエキスでつくった入浴剤が蔵にあったので、ぜんぶの取引先の人たちや、地元の医療機関に無償で贈りました。お風呂に入って、ちょっとでもリラックスしてほしくて。うちの酒蔵としてできることはそれくらいしかないですから。
さらに、飲食店さんを応援するための支援酒“SUNRISE”もつくりました。いくつかの澤の花を自分がブレンドしたこの酒は、純米吟醸がベースなのですが純米大吟醸も数パーセント入っているので、澤の花としたら高スペックの酒です。でも、値段は一升瓶2500円とかなり低価格で販売しました。少しでも飲食店さんの売り上げの足しになればと思ったんです。
その代わり、家飲みとして需要がある四合瓶は1500円と少し割高です。今回はあくまでも飲食店さんのためにつくった酒なので…。
それにべたですが(笑)一升瓶を買ってくれた飲食店さんに対して感謝の気持ちを伝えたくて手紙を書き、それをお酒とともに渡してもらうよう取引先にお願いしました。もっと宣伝した方がいいのかもしれませんが、SNSで自分の思いを発信するのが苦手なこともあり、今回はまず、取引先の方々に自分の気持ちが伝わればそれでいいと思っていました。
出荷が止まったときに在庫をどうするのかを考える
コロナ禍で改めて実感したのですが、僕たちのような製造業は今回のようなことがあると在庫が増えて最悪、つくったものを廃棄しなくてはならない場合があるということです。日本酒は腐りませんが生物なので、飲み頃を過ぎた酒をお客さんに売ることはできないですし、出荷した酒がはけないと鮮度が落ちていくのでそれも怖い。
実は、先ほど話したSUNRISEには、今期に売るはずだったぶんの春酒と夏酒が入っています。飲食店さんのためにという思いと同時に、せっかくつくった酒を鮮度がよいうちに、おいしく飲んでもらうために考えたことでもありました。
こういうことは今後も起こるかもしれないので、出荷が止まったときに在庫の酒をどうするのかを、これからはさらに検討しなければならないと思います。ただ売るんだったら中身はなんでもいいかもしれませんが、おいしい酒を飲んでもらうことを第一に考えると、いざってときに在庫をどうにかする方法はいくつもあったほうがいいですよね。
そう考えると、うちは蔵元(自分)が酒づくりができるので、それが強みだと思いました。なぜかというと、もしコロナのようなことがあった場合、酒づくりや現場を知らない蔵元だと、ソーシャルディスタンスの弊害があってつくり手を呼べなかったり、売り上げが落ちているのに杜氏を雇わなくてはならないので金銭的なことも含めて、すごく対処に困るじゃないですか。
そういう意味では、うちの蔵のあり方に対しては結構プラスに考えていましたね。酒づくりは大変だし楽なことばかりじゃありませんが、自分が酒をつくることができる蔵元でよかったと改めて思います。
従業員に10を伝える時間にした
売り上げが落ち込んだことだけではなく、今回のことでいちばん怖いのは、自分だけではなく従業員のモチベーションが下がることです。モチベーションが下がったままで酒をつくると、絶対にいい結果(酒)になりません。長い工程が延々とつづく酒づくりはモチベーションが全てなので、今年の冬にそれをどうやってプラスに持っていこうか考えている最中です。
ですから、今まで以上に従業員とコミュニケーションをとりながら一緒に、発酵するときに使うタンクの置き場所など、道具や機械のレイアウトを考えて効率よく作業ができるように考えたり、新しい火入れ(酒を加熱殺菌する手法)の機械をいじってカスタマイズしたり。
世の中的にもうちの蔵としてもピンチには変わりありませんが、いつもなら従業員に8しか伝えられないことを、細かい作業についても含めて10を伝えられる時間になったので、そこは前向きに考えています。
それに、詳しいことは言えませんが、今期の酒で自分的に納得がいかないところがあったので、その弱点みたいなものは徹底的に改善したいと思っていて、それを考えるいい時間にもなりました。
実は、僕は下戸なのに、飲みつづけられるような日本酒が好きなんです。よく下戸だと一杯で満足するような酒が好きでしょ? と言われるのですが、香りがプンプンで甘い酒は苦手です(笑)香りは控えめでさらっとした酒がつくりたいんです。そういう酒質をしっかりつくるためには、ここまで細かく考えるのかってくらい、神経を使ってつくらなければなりません。
来期は今まで以上に神経を使ってつくる予定なので、澤の花はもっといける酒になるんじゃないかと自分では秘かに思っているんですが(笑)
長野の地酒でいいじゃん、て思う。
コロナ禍の影響で今後、生活様式が変わって日本酒に求められるものも変わってくるのかもしれませんが、僕は変わらず地酒蔵としてやっていくつもりです。世の中の変化に合わせた酒をつくるつもりもありません。
どんな世の中になっても周囲の目を気にしたり、都会でウケるために過剰に酒をアピールしたりせずに、そこはもう長野の地酒でいいじゃん、て思う。
30代後半のことですが、酒の売り方や見せ方を自分でも考えすぎてすごい疲れてたときがありました。人と話すのが嫌になっちゃったくらい(笑)ちょうど、同世代の蔵元が自ら前に出て酒を世間にアピールする人が増えて、焦りもあったからなのですが、自分はなんのために誰のために酒をつくっているのかわからなくなってしまったんです。
でも結局、自分がつくりたいのは、代々うちで受け継いできた澤の花という長野の地酒でした。若手がよくやる新しい銘柄を立ち上げるのも否定はしませんが、自分がやるのはなんか嘘くさいから、地酒としてやっていくためにあえて昔の銘柄を引き継ぎました。うちの蔵がなぜここにあって酒をつくってきたのかというところを、いちばん大切にしたいんです。
近い将来、父親から代を受け継ぐことになりますが、地酒蔵であるという信念は変えないつもりです。代替わりをしたら酒づくりだけではなく、社長業もしなくてはならないので、杜氏も兼任するかは悩みどころですが…。
今の従業員が本当にすごいのである程度は任せつつ、自分らしい酒はいつまで経ってもつくっていたい。白が好きだったらもっといい白がないか探しつづけるように、自分が思い描いている最上級の酒のもう一歩先を、想像できるくらい酒づくりの精度も上げていきたいと思っています。
(終わります。読んでいただきありがとうございました)
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