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「蔵元のことばかり」つづくこれからの話 “長珍”桑山雅行さんの場合。

本連載は、拙書の『いつも、日本酒のことばかり。』の特別企画としてはじまりました。
新型コロナ感染症が世間に蔓延するなかで、蔵元さんたちがそれにどう向き合ってきたのか。蔵元さんたちの「今まで」と「これから」について書いていく記事です。
このたび登場するのは、愛知県津島市で“長珍”をつくる、蔵元杜氏の桑山雅行さんです。

<桑山雅行さんプロフィール>
1964年生まれ。蔵元・杜氏
1868年創業の長珍酒造の5代目。東京農業大学の醸造学科を卒業後、灘の清酒メーカーに入社。平成4年酒造年度より蔵を継ぐ。
代々受け継いでいる銘柄”長珍”は、「いつまでも末長く珍重される酒」という願いを込められて名づけられた銘柄だが、銘柄通り、日本酒ファンに長く愛される酒として定評がある。
県内そして全国の鑑評会ですべて金賞を受賞した平成16年を最後に、鑑評会やその他コンテストへの出品をやめ、飲み手のためだけに酒造りをすることを決意して今に至る。

はじめに

長珍は、無意識のうちに引き込まれてしまう魅力がある日本酒です。
味は緻密に濃く、どこまでも一本気な人のようにカッチリしているのに、温度や食べる料理によって表情を変える柔軟性もあり、つかみどころのない酒質です。

と書いてみたものの、そう言葉にできたのは、長珍を15年前にはじめて飲んで少し経ってからのことです。正直、最初は(日本酒の読解能力がまだ未熟だったこともあり)なにがなんだかよくわからないけれど、すごい、と私は唸った。

その、すごい、はなんなのだろうと何度も杯を重ねて考えてみても、的をえない言葉がなんとなく浮かぶばかりで、もやもやしながら飲むことをくり返したものです。自分の嗜好を超えたところに、ぐっと心を持っていかれるほど、無意識に、長珍に引き込まれていきました。

では、無意識に引き込まれてしまうのはなぜなのか?

ずっと長珍を飲みつづけて最近、私になりにわかったことがあります。

なんというか、このお酒は、ものすごく念がつよいのです。つまり、圧縮ファイル並みに凝縮したつくり手である桑山さんの思いが、ギュウギュウとお酒に詰まっているから、ものすごく念がつよいと感じてしまう。無意識に引き込まれる理由は、そこにあると思いました。

つくり手の思いがこもった日本酒は沢山ありますが、念がつよいと感じさせるお酒はなかなかありません。長珍は明らかに他と一線を画しています。

長珍の造り方を知ってからは、それが確信に変わりました。

桑山さんの日本酒づくりに注ぐエネルギーやのめり込み方が、ちょっと尋常じゃないんです。

「米の一粒一粒を想像しながら酒を造っています」と、桑山さんは以前話してくれたのですが、米の洗い方や蒸し方、麹づくりなどなど、詳しくは長くなるので割愛しますが、日本酒づくりの何をどう聞いても舌を巻くほど、仕事が細やかです。神は細部に宿る、という言葉を当てはめずにいられないくらいです。

今回のコロナ禍がきっかけで増やしたという4合瓶化の話は、桑山さんの尋常じゃない日本酒づくりへの思いの片鱗が、垣間見えるのではないでしょうか。山内聖子

一本も売れないとね、震え上がりますよ、本当に

4月に緊急事態宣言が発令されてから数週間、まったく酒の注文が入らなくなりました。数週間後も、売り上げはそれほど回復せず、ひどいときは前年比30%くらいまで売り上げが落ち込んでしまって。

いつもなら、つくりが終わった4月の第1週くらいから7月あたりまでが、うちの蔵としてはいちばん酒が売れる時期なのですが、コロナの影響をもろに受けてしまいました。おそらく戦争の時代をのぞけば、こんなの私の酒蔵では初めてのことですよ。

酒が一本も売れないとね、震え上がりますよ、本当に。

もうそうなると、こんな話をしていいのかわからないのですが……(しばらく沈黙)商売がどうのというところから、通り越したことを考えてしまいますよね。

要するに、こんなことが起きてしまうと、まずは、日本酒って世の中に必要なのって思うわけです。

現実を見ると、日本酒がなくたって世の中が回っているじゃないですか。そう考えると、私の蔵は世間に必要とされているのか自信がなくなる。だって、うちがだめになっても他の蔵が生き残れば、日本酒の世界はきっと回っていくでしょう。 

果たして長珍は必要なんだろうか、ついには自分は必要なのか、どんどん悪いほうに思いつめてしまって。

コロナのせいにするのは簡単ですが、これはうちの蔵にとって単なる偶然じゃない。天からの教えで、何か必然性があるはずなんです。落ち込みながらも、私はそのことをずっと考えています。

でも、考えているときに頭に浮かんだのは、長珍をおいしいと言ってくれている酒屋さんや飲食店さん、山内さん(筆者)のような飲み手の人たちの顔です。みなさんの顔が自然にぱ〜っと浮かんで、そのたびに、何度も励まされたんです。家族にもずいぶん支えてもらいました。

なので、色々と考えましたが、おいしいと言ってくれる方がいる以上、必要とされているというふうに、前向きな解釈をすることにしました。みなさんのおかげで、この状況をなんとか乗り越えなくてはならないと思って今、蔵の仕事をしています。

一升瓶から四合瓶に詰め替えると腹をくくる

長珍は、今までほとんどを一升瓶に詰めて売っていました。四合瓶は、大吟醸と定番酒くらいしかなかったのです。なぜやらないのか? 私の蔵の人員体制や手間を考えると、とてもじゃないけど四合瓶にまで手が回らないんですよ。

私の休む時間を削ったらできなくはないのですが、そこまでしたら自分が倒れてしまいます。私が倒れたら、おいしい酒をつくることできません。

しかし今回は、酒が売れないのですから、一本でも多く売っていかなければならない。今期につくった酒の全アイテムを、一升瓶から四合瓶に詰め替えようと腹をくくったのです。

でも、実は、もともと四合瓶を欲しいという酒屋さんが多く、今回もなんとか少量化してして欲しいと、けっこう手紙をいただいたりしたんですね。ですから、このタイミングだったら、いつもより比較的、時間がありますし、うちとしてもお客さんのためにできるだけのことをしたいと思い、四合瓶を3月くらいから売りはじめました。

おかげさまで、好評をいただき、よく売れたんです。長珍を家で飲みたいけれど、一升瓶に手が出なかった方々が手にとってくださったことは、本当にうれしかったですね。
今季は四合瓶を増やすかどうか、正直、今は考える余裕がないので、まだはっきりしたことは言えませんが、ある程度の需要には応えていきたいと思っています。

そこまでやらなくてもいいんだけど、丁寧に丁寧に

先ほどさらっと一升瓶から四合瓶に詰め替える話をしましたが、ただダバダバ〜っと注げばいいのではありません。

私からすれば、もともと一升瓶で飲んでほしくてつくったのに、そこにもう一度空気を入れるということは味を変質させることになり、本音としてはおもしろくないんですよ。心血を注いでようやくできた酒ですから。だからこそ、詰め替える作業には、より神経を使い、おいしいままの状態で飲んでいただけるよう、最大限の努力をしなければならないと思いました。

まず、洗瓶機で四合瓶を洗い、詰める前にもう一度瓶を手洗いしてよく乾かします。そして、念入りに消毒した部屋で、戸を閉め切って空気の流れを遮断し、詰め替え作業を行いました。

できるだけ酒を空気に触れさせたくないので、小さい漏斗(じょうご)を使ってゆっくり酒を垂らすように注ぎ、絶対に空気の気泡をつくらないように、少しずつ四合瓶に詰めるのです。

で、四合瓶が満杯になったら、ふつうは一升瓶をどこかに置くと思うでしょう。でもそうすると酒が逆流して、また空気が入ってしまうので、一升瓶の酒がなくなるまで同じ角度のまま次の瓶に詰め替えます。そうすると、一升瓶が空になるまでずーっと同じ体勢で瓶を持ったままなので、指から腕からもう辛すぎる(笑)

酒によって詰めるスピードを変えているので、繊細な大吟醸や純米吟醸を詰め替えるときは、さらにゆっくり注がなくてはならないため、本当にたいへんです。

そんなことを、一日で四合瓶200本ぶんくらいやるんです。

もちろん、家族には手伝ってもらいますが、実際の詰め替え作業はぜんぶ自分一人でやります。酒質によって詰める速度を変えるので、造りの内容を知っている自分じゃないとできないことだからです。

本来はここまでやらなくてもいいんだけど、こういう不測のときだからこそ、いつも通り丁寧に丁寧に、自分のつくったお酒を大事にしたいのです。

長珍の一升瓶で、新聞紙を使って包装したシリーズがあるのですが、四合瓶化をするときに酒屋さんから「包装までしなくていいよ」と言われました。でも、こっちとしてはそこも手を抜きたくない。四合瓶でも丁寧に心を込めて包装しています。

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自分が持っているエネルギーを全て酒づくりに注ぐ。

今回のコロナ禍で、販路について改めて考えさせられました。スーパーやコンビニではなく、ごく限られた店だけでしか買えない長珍みたいな酒は、こういう不測の事態の影響をもろに受けてしまう。直接販売もしていないので、こういう状況が長引けば、経営はどんどん逼迫してしまいます。

ではなぜ、スーパーやコンビニに卸さないかというと、結局、酒についてきちっと伝えてくれる人がいないからです。それに、スーパーは在庫が余るとコーヒーとかお茶などと一緒にワゴンセールをやるでしょう。あれをやられると酒のブランド価値も下がってしまいます。

そう考えると、販売のチャンネルが限定されてくる。酒米やつくりかたにとことんこだわって酒をつくっている自分としては、そういうことをお客さんに伝えてくれる店じゃないと売りたくないんです。

しかし、こんな状況になって酒が売れないと、そういう私の考えも見直さなきゃならないのかなと思ったりもしました。日本酒全体の市場を考えると、販売のチャンネルを限定することは、あまりよくないですよね。

でも、やはり今までお世話になっている特約店の販路を大事にする、というのが私の答えです。経費を節約したり、設備投資を控えたりしながら、しばらくは売り上げ減を想定し、限られた条件の中でいい酒をつくり、蔵を続けていく。いい酒をつくれるならば、自分の給料なんてなくてもいいかなとすら思います。

それでは経営者としていけないのかもしれませんが、どうやったら儲けられるかを考えるよりも、酒づくりのことを考えていたい。私はそのスタンスを変えるつもりはありません。

経営が厳しい今は直販をすればどうかと家族に言われたこともありましたが、それをやらないのは、旧来の取引先の方を傷つけないためとか、ブランド価値が下がるからという以上に、そこに自分のエネルギーを使いたくないからです。

直販をやるためには、店売りするのかネット販売をするのかを考えたり、HPを立ち上げたり、色々と考えなければならないでしょう。でも、それをやる自分がイメージできないので、やりたくない。
自分がやりたいことは、どんどんイメージが膨らんでいくものです。そのイメージが膨らまないということは、直販というスタイルはきっと自分に合わないということです。

これからも、誰になんと言われようと、自分の持っているエネルギーを全て酒づくりに注ぎ、自分が好きないい酒をつくり続けていきたいです。

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(終わります。読んでいただき、ありがとうございました)


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