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【人物図鑑 : 青年会議所(JC)】

私は人のことをとやかく言うが、一般的なイメージではなく、実際に関わり、または自分も同じ立場だった経験から伝えるように努めている。そして人のことを言えば、自分もいろいろ言われる。当然の報いでもあるm(_ _)m

✅皆さんの街にもある「青年会議所」、いわゆるJC (Junior chamber)と言う団体。20才から40才までのメンバーが集い、地域のために様々な活動をする。2代目・3代目の経営者が多く、市町村長から県議・国会議員も数多く輩出する(ASOさんとか)世界的にも歴史ある団体である。「公開討論会」などでもその名前を聞くことが多い。

👤かく言う私も地元の小さなJCで、ジャンケンに負けて理事長を務めたことがある(^^; 今は景気も低迷し、そもそも団体に属さない若者が増えているため会員数も減っているが、私の時代(平成中期)には多くのメンバーが入会していたものだ。入会審査もそこそこ厳しく、推薦者も必要なことから、入っているだけで優越感に浸れたのだろうか?(何の根拠も無いけど)


👤私がOBだったことを棚に上げて言わせてもらえば、その当時JCは誠に評判が悪かった💦(悪いことして捕まると、◯◯青年会議所の…と言われる)

🍺毎晩会議と称して家を空け、家庭サービスもそっちのけで『教育問題』を語る。仕事もそこそこに『まちづくり』に取り組む姿は、周囲から理解が得られないことも多く、「ボンボンの道楽」とも揶揄された。

⭐️理事長になりたいがために、子分衆を引き連れて飲み歩いたり、ライバルとも距離を置く。めでたく役職に就くと、良い車に乗り換えてスーツも新調!「セクレタリー」と呼ばれる「カバン持ち」を従え、全国で行われる会議やイベントに出掛けていく。さしずめ小物の政治家の様だった(失礼🙏🏻)

一年に一度、正月明けに全国からメンバーが集まる「京都会議」の夜は、街中がJCメンバーで埋め尽くされる。新米だった私は、懇親会の開かれる店の前で「懇親会場はコチラ👉🏻」と書かれたプラカードを持って寒空の下に立たされた (笑)


私は若くしてメンバーになったが、ご存知の通りの性格から、プラカードは捨てて帰ってきてしまったし、理事長の時も地元以外の会議はすべてボイコット、宴会の参加費を集める私に、ザルを持たせた先輩に投げ返した記憶がある。こんな姿をウチの従業員が見たらきっと悲しむ…。

✅私が理事長の時にやったのは
・環境とビジネスの両立(20年早かった 笑)
・いたずらに会員を増やさない(家に申し訳ない)
・会議は電話参加可。仕事優先、スーツ禁止
・例会は去年の半分に減らして会費も下げる
・うるさいOBからの寄付金に頼らない

※ この結果、収入は減ったが翌年への繰越金を大幅に増やして『減収増益』の実例を見せてあげた。(そして次の理事長の成り手がなかった 笑)

⛳️私の唯一の勲章は、県内JCゴルフコンペの優勝だけ(笑)。おまけに、卒業してから強制加入させられる「シニアクラブ」も辞退した。なぜなら店が忙しいからだ(笑)


✅今は青年会議所の活動も、時代に則した内容に変わっているはずだ。メンバー同士の団結力やネットワークも強く、次代を担うリーダーを産み続けていくことだろう。私は不良会員だったが、後輩たちにエールを送り続ける一人でもある。

👤遠い昔の思い出話…。現役メンバーの諸君!『JCごっこ』が終わってからの人生が本番だよ👍🏻 私も先輩たちからそう教わった!


※最後までお読み頂きありがとうございます!

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【私はこんな人間です】


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