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大学生活~~~その①

こんにちは。大和魂です!

大学にいると、教育とは何なのか考えさせられる。卒業論文の謝辞に、「○○先生の薫陶を受けた」という一文がふと頭に思い浮かぶ。薫陶を受けるというのは、「人徳や品格のある人物から影響を受け、人格が磨きあげられること。感化されること。」という意味だそうだ。教育とは、知識を授けること、そしてその知識で一人で生きていけるように考えさせるということだと思う。決して、大量の事項をただ暗記させることだけではないと断言できる

ここで、考えるのは人格的に尊敬できるような師は私にいるかということである。答えは否である。これまでの人生の中で、様々な人と出会い、大変にお世話になったのだが、人格が磨き上げられたのかと問われれば、それとは違う。

薫陶を受けることのできた人は幸運である。薫陶を受けたと実感できる機会が現代では、少なくなっているのではないかと思う。理由は二つある。一つ目は時代の流れで人間関係が希薄になってしまったからである。先日、大学の帰り道に同じ研究室の友人と話した。彼女が話すには、「大学生の友人と話すことは表面的で、深い仲になった気がしない。今仲の良い友達が大学に一人いるけど、就職したらもう会うことはないんだろうな。」仲良くなっている実感がなければ、ますます話すことは事務的な内容になり、自分の心に厚い壁を作ってしまいかねない。二つ目は、薫陶を与える側に人と親身に寄り添える時間・心の余裕がないからだ。時間に追い立てられる現代では仕方のないことなのかもしれない。

私が、本が好きなのは現実社会の人間に失望しているからなのかもしれない。だからといって、人と関わらずに生きていくことは不可能であるから、将来、尊敬できるような人物と出会うという一縷の望みを抱えて生きているのが実際のところに近い。

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一冊の本から教育について考えさせられる文があったので紹介しよう。
「人生について考える」 島影 盟 著 泰光堂 昭和26年発行

「教育はいつも服従する人間をつくるつもりで、叛逆する人間をつくっている。それがしかし学問の力である。学問が服従する人間しかつくることが出来ないとしたら、そんなものに学問の意味はない。」(p144)

私は今の小中高の教育は限界を迎えているのではないかと思う。教育に違和感を持ちながら生きている生徒が多いのではないかと推察する。大学生でも同様である。そのような人たちが集まり、自分の豊かな人生につながるような教育に変えていくことで、日本はまだ再起できると信じている。

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