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歴史遺産=文化財の記録保存(次善の策)の必要性

個人的に、「歴史遺産(文化財)は原則として全て保存すべき」だが「現実にはそういうわけにいかないので、どれを保存するか取捨選択するのはやむなし」だと思っている。だから、指定・登録という制度があるのだと認識している。
例えば、周知の埋蔵文化財包蔵地=遺跡は、原則に基づいて全て保存するとなると一切の開発ができなくなり、生活に支障をきたす。そのため、発掘調査をして写真や図面で記録を取り、調査報告書を作成する「記録保存」を次善の策としてやる。現在、史跡として保存・整備されている遺跡は、発掘調査の結果、歴史上の重要度が明らかになり、「現状保存すべき」と判断されたものである(その背景には文化財保護部局の啓発活動と開発事業者の理解がある)。
この「記録保存」は、埋蔵文化財以外の、すべての文化財にも適応されるべきである。それは建造物、彫刻、絵画、民具と種類を問わない。私の元勤務先では、昭和初期以前の古い建物が解体される際は学術調査として実測等の記録を取り、報告書を作成していた。今、奈良県立民俗博物館の収蔵品を巡って、奈良県知事の発言が波紋を広げているが、収蔵品を整理し一部を廃棄するとなった場合、廃棄する収蔵品は徹底的に記録を取らなければならない。当然のことだが、廃棄したものは絶対に戻ってこないからである。そうすると、記録がないとその収蔵品は存在自体が抹消されてしまう。資料本体が失われても、それが確実に存在したということを伝える意味でも、記録は必要である。

記録は、ただ材質や寸法、保存状態などを記録すればいいというわけではない。その物が失われることを前提に、記録作成時点での学術的価値を評価する必要がある。そうしないと、資料の現物が失われた場合、その資料が持つ歴史的価値も同時に失われてしまい、記録があっても資料としての活用ができなくなってしまう。失われると言えば、遺跡の構成要素のうち、不動産である遺構は移設保存をしない限り、遺跡そのものが保存されないと確実に開発で失われてしまう。だから、個人的には遺物より遺構を優先的に価値評価すべきだと考えている。現物が残らないなら、あらゆる方面から調査・研究して記録を作成するのが当然であり、旧門司港関連遺構の価値評価を行わない北九州市のスタンスは異常である。保存せず開発を進めるというなら、なおさらその遺跡の学術的価値を評価する必要がある。現時点でできることを全てしておかないと、何かあってもあとから調査・研究し直すことはできないのだから。

先に述べた通り、現実問題としてすべての歴史遺産=文化財を保存することはできない。収蔵庫には限りがあり、増築するのも限度がある。予算だって湯水のように使えるわけではない。民具などは比較研究のために複数セットを収蔵しておく必要があるが、それも限度があって、受け入れる際に取捨選択せざるを得ない。苦肉の策として、収蔵資料の選択廃棄も検討しなければならない時が来るかもしれない。そうなると、失われる資料や引き取れない資料こそ徹底的に記録を作成する必要がある。
奈良県と北九州市の事例を踏まえ、歴史遺産=文化財の保存についていろいろ述べてきた。現物が保存できないなら、記録を取って保存に代える。その際に学術的価値をできるだけ明らかにする。文化財保存の次善の策として、埋蔵文化財だけでなくすべての文化財で行うべきである。現状、人手の問題などもあり、地方自治体(市区町村)レベルでは難しいかもしれないが、できる限り実施すべきである。最悪、記録があれば、研究に資することができるのだから(現物をそのまま残すのが原則だが)。

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