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能力差を想像力で補う優しさを持ちたい

どうも、センサールマンの山﨑仕事人でございます🐈
今日の記事は、「優しさを持つのに能力の高さ低さは関係ないよね!!お互い様だよね!!」みたいな、だいたいそんな感じの内容です。

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上から下への想像力

常々、能力の高い人間は能力の低い人間に対して「想像してあげる」優しさが必要だよねと思っています。

人には何をするにも能力差があります。
勉強やスポーツや仕事はもちろん、生活の中のちょっとしたことにも必ず能力差があるんです。
例えば「家事」、例えば「人付き合い」、例えば「時間管理」、どんなことにだって上手くできる人間とできない人間がいます。

怖いのはそれらは勉強やスポーツと違って『能力差』だと認識されにくいことです。
「できない」ではなく「やらない」だと認識されがちなんです。

そしてできる人間はできない人間を怒ってしまいます。
できる人間はできるのが当たり前なのでできないことが理解できません。
(自分にとって)できて当たり前のことが「できない」意味が分からんのです。

怒っても仕方ないんですけどね。
それはスポーツで言うなら、100mを全力で走って20秒の人に「ちゃんと10秒で走れ!!」と怒ってるみたいなものでしょう。

できる側の人(能力の高い人)は自分ができて当たり前のことをできない人がいるかもしれないという想像力を働かせる優しさを持った方が良いと思います。
「一生懸命走って20秒なのかも?」という想像です。
その想像力があれば無駄に怒る必要もなくなるし、20秒の人には20秒の人なりの対応もできるようになります。
そうすることで相手はもちろん自分のストレスも軽減できるわけで、自分自身のためにも想像力が必要なんです。

※もちろん中には「やらない」の人もいるので、それは別で考える必要がありますが、今回はあくまで「できない」の人の話だとして読んでください。

と、まぁここまでは以前からずっと考えていたことなんですが、最近もうひとつ先に踏み込んで考えるようになりました。

下から上への想像力

最近思うのは、「能力が低い側が、能力が高い側のことを想像するのも大事だなぁ」です。

よく考えたら理解できないのはお互い様なんですよね。
できる側ができない側を理解できないように、できない側もできる側のことを理解できません。
できる側にはできる側の苦しみや悩みがあるはずだろうと。

100mを10秒で走れる人は「なんでみんなちゃんと真面目に走ってくれないんだ!」と悩んでるかもしれないわけです。
一緒に100mを走らないといけない時は遅い方にスピードを合わせないといけないこともあるはずです。
そういった苦労を想像せず「できる側は気楽でいいよな」なんて考え方はあまりに優しさに欠けています。

お互いの感覚を完全に理解し合うのは難しくても、せめて想像し合う世界ではありたいものですね。

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