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観音整躰司 山﨑陽軒ってなにもの?

観音整躰ラボは、山﨑陽軒とやまざき真由美の夫婦二人で運営しています。
整躰の施術を行うのは、山﨑陽軒ひとりです。
よって、整躰ラボの所長=整躰司は陽軒となります。
真由美は、整躰ラボに施術場を提供している観音美住合同会社の代表として、癒しの空間をプロデュースしたり、癒しグッズの企画開発をしたりしています。

山崎陽軒は神奈川県の小さな港町真鶴で生まれ、「観音丸」と呼ばれる港近くの家で育ちました。
車の入れない背戸道で、近所の子供達とベーゴマやメンコで遊び、夏には毎日すぐ近くの磯辺で泳いだり潜ったりの子供時代でした。
中学卒業までは真鶴町で過ごしましたが、高校からは町を離れ、湘南、鎌倉、横浜、東京などを転々としました。

小さい頃から本や絵が好きだった陽軒は、編集デザインを学んで都内の出版社に就職しましたが、もっと広い視野で世界を見たいという気持ちから、アメリカの大学に入学しました。
ところが現地に着いた早々、環境の変化からか風邪をこじらせてしまいます。
そしてアメリカには日本と違って公的な健康保険制度がなく、自分の健康状態は自分自身で管理するのが当然とされていて、様々な代替補完療法を多くの人が日常的に利用していることを知りました。
風邪はなんとか治りましたが、それをきっかけとして健康についての意識を持つようになり、東海岸の街フィラデルフィアで、地球科学Earth Scienceを学びながら、近所のボディサロンやナチュラルフード店に頻繁に出入りする毎日を送るようになりました。
そんな時、ひとりのアメリカ人Shiatsu Masterと出会い、日本の精神性を多大にリスペクトするこの師匠から、指圧をはじめ、禅や武道、レイキ、マクロビオティックなど、日本発祥の様々な芸道や文化について教わることとなり、学位を得て日本に帰国する頃には、すっかり日本贔屓になっていました。

帰国後は大手書店で働きながら、整体など日本の伝統療法の勉強を続け、10年間の修行の後、ついに数名の仲間と共に、横浜で整体院をオープン。
2号店、3号店・・と順調に支店を増やしていく中、スタッフ育成のための整体スクールを開校して、陽軒は整体術式を開発するとともに、教育担当として整体術の指導をするようになりました。
気がつけば、16年間で500名近くの整体師を育てて来たことになります。

陽軒が留守をしていた数十年の間に、真鶴町の実家は祖父、祖母、叔父、叔母、父、母・・とだんだん人数が減っていき、とうとう住み手のいない空き家になってしまっていました。
ゆくゆくは故郷の町でのんびり暮らそう、との思いもあり、徐々に片付けを進めてはいましたが、そこにきて今回のコロナ騒ぎです。
サロンの客足が急に遠のく中、譲れる店舗は譲り、閉める店は閉め、会社組織もスクールもたたんで、ちょうど良い機会だと思いきり、家族と共に真鶴の家に移住しました。

多人数で運営しているチェーン店では実現困難な、一人一人のカラダの違いに則したオートクチュールの整体サロン。
カラダだけでなく、ココロの状態にもアプローチするよう整えられた、癒しの空間。
そんな夢を十数年間見続けて来ましたが、コロナを機に故郷真鶴で、やっと実現することができました。

山﨑陽軒という名前は、数十年ぶりに故郷真鶴に戻り、新たに生まれ変わった気持ちを表現するために付けた雅号、整体セラピストネームです。
人生の約半分を過ごした横浜の、大好きだった某企業の名から拝借し、故郷の地にホネをうずめる「シウマイ」の覚悟を表しています。

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