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身土不二と地産地消

1907(明治40)年食養会を設立した、石塚左玄の食養学の大きな柱として、身土不二(しんどふじ)の考えがあります。
“身と土、二つにあらず”
ヒトのからだとその暮らす土地は一体であって、切っても切れない関係にあるので、その土地で採れた作物を食べることが、からだを養うことにつながるのだということです。

この身土不二という言葉は、元々法華経の「しんどふに」と読む仏教語から採用されたもので、「仏様と仏国土である浄土は一体だ」という意味でした。
これを現代的に意訳すると、
「ヒトや生命と宇宙はひとつの物である」
という意味になり、「オールインワン=万物一如」の思想を表しています。
自分と世界、こころとからだ、モノとコト、コトとヒト、自然と人間、過去と未来、すべてが全体であってひとつ。
身土不二とは本来、命の世界の根源とは何か?という、深くて広い宇宙の真理を表現する言葉だったのです。

この壮大なホトケの思想を表す言葉を、食養のキャッチフレーズとして取り入れたのは、実は石塚左玄その人ではなく、弟子の西端学という陸軍騎兵大佐でした。
西端は石塚の死後、食養会二代目会長となり、師の思想を「身土不二の原則」としてまとめました。
法華経の教えと区別するために「しんどふじ」と読ませ、食養道の大原則として、「その人の生まれ住んでいる土地に生育するものを食べ、その季節に出来るものを食べるのが良い」という食の思想を広めたのです。

身土不二と似た言葉に、「地産地消」があります。
これはもともと1981(昭和56)年に、秋田県河辺町の農業関係者が秋田県の職員らと共に始めた活動で、伝統郷土食の欠点である栄養の偏りを改善するため、緑黄色野菜や西洋野菜の生産量を増やし、栽培作物を多様化させようという取り組みでした。
脳卒中による死亡者が全国一多い秋田で、それまで外部の土地から買っていた農作物を地元栽培することにより、健康的かつ経済的な地域農業を実践しようという、極めて現実的な試みであったと言えます。
この秋田の地産地消の取り組みは、バブル期以降、食の安全性が見直されるとともに、全国的に広がっていきましたが、風土本来の作物や伝統食を良しとする身土不二の思想から見れば、対症療法的であって受け入れ難いものでした。
移入農作物や、ハウス栽培の食べ物、さらに乳製品やご当地食肉など、地産地消の推奨産物のうちの多くは、食養生思想においては有害とされている食べ物なのです。

身土不二と地産地消は本来全く別の背景から生まれた二つの食運動でしたが、イタリアからスローフード運動が入ってくると、これらが三つ巴となって絡み合い、混じり合い、融合し、地方行政に国行政までも巻き込んだ、カオス的様相を呈することになります。
スローフード運動は1986年、イタリア・ピエモンテ州の小さな農村ブラ(Bra)でカルロ・ペトリーニらが感じた、マクドナルドなどファストフード・サプライチェーンの進出に対する危機感からスタートしたものです。
環境や健康を害さない、多様性に富んだ地域の食物を見直そうというムーブメントとして多くの支持を集め、ヨーロッパはもとより世界中に広まっていった、グローバルな食の草の根活動です。
Good おいしい
Clean きれい
Fair ただしい
という、誰にでもわかりやすく肯定しやすいスローガンを掲げ、またたく間に160カ国以上に数百万人の賛同者を持つ、巨大なエコガストロノミー・ムーブメントへと成長しました。

スローフードという黒船の襲来を受けた日本国政府と食の各関連団体は、「食育」というキーワードを使用することで、一気に大同団結することになりました。
2005(平成17)年、小泉純一郎総理大臣をはじめ12省庁の大臣と国家公安委員長が参加し、国レベルで食事を捉えた世界的にも前例のない法律として「食育基本法」を成立させ、すぐさまこれを施行しました。
「体育智育才育は即ち食育にあり」と食育の重要性を説いた、食養会創始者石塚左玄の思いは、イタリアという食文化大国の外力を借りることで、奇しくも1世紀を経て実現することとなったのです。

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