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期待しないくらいでちょうどいいんじゃない? -家庭編-

長男が小学二年生だった頃、30点のテストを持って帰ってきたことがある。50点満点かと思ったら100点満点だったので固まった。「9」を流れるように書いたら「3」になっちゃったのかと思ったが、何度数えてもマルの数が足りない。やっぱり30点。「マジかよ…」と心の中で呟いた。

彼は勉強よりも絵を描いたり工作したりする方が好きなようだから、クリエイティブな世界で生きていくつもりならそんなにウルサク言わなくてもいいかと思ったけれども、芸大にしろ美大にしろ筆記試験はある。コンスタントに80点以上を取れる学力はないとマズいんじゃないかと当時は考えた。

で、長男がテストを持って帰ってくるたびに内容をチェックして、ミスしたところを教えるわけだが、あの時の30点は僕にとってあまりにも衝撃的だったし、なかなか成績も伸びないので、どうしても力が入ってしまう。
熱を入れすぎて泣かせてしまったことがあって、それからはトーンを抑えるようにはしたけれど、それでも腹の底では「なにやってんだ」という思いを抱えながら勉強を教えていたのだ。

これがすっかり解消されたのは、今年四月に小学四年生に上がってから。ちょうど僕はテレワークでずっと家にいたので、いい機会だからと臨時休校中の長男に一から勉強を教えることにしたのだ。
そしたら驚いたことに、全く基礎が身についていないことがわかった。特に深刻だったのが算数。基本的な数のルールを充分理解できていなかった。この時まで、いったい彼はどうやって問題を解いていたのだろう? 

事態は思っていたよりも良くないとわかったので、僕は頭の中を完全に切り替えることにした。彼の学力に期待することをやめたのだ。何だか酷い言い方に聞こえるけれど、「できるはず」とか「できているはず」と思うから「できていない」ことに苛立ってしまったり、焦りを感じてしまったりするのだ。自分の子供だと尚更だ。
でも「できるわけがない」と思えば、「できていない」ところでCHA-LA HEAD-CHA-LAだ。できるようにするための段階を丁寧に踏ませてあげればいいので気が楽だし、頭カラッポなので夢も詰め込められるかもしれない。

と言うわけで、余っていたノートを使って「一が十集まって…」なんて基本中の基本から始めて、「掛け算ってのはどういう意味かというと…」とかやっていたら、長男が「あ、そういうことだったんだ!」とか言うものだからまた驚いた。
「先生からこう教わらなかったの?」と訊ねたら、ウンと帰ってきた。ンなわけないだろう、お前がちゃんと話を聞いていなかったんじゃないのか? それとも先生の教え方が下手だったとでも?

あれからしばらくして、思うところがあって「今の先生って教え方うまいんじゃない?」と長男に聞いた。日を追うごとに成績が伸びて、今まで苦手だった国語の記述回答もできるようになって、勉強自体も面白く感じるようになったようだからだ。
そしたら「すごくわかりやすい」と返ってきた。やっぱり前は教え方が下手くそだったのかな? まあいいや。

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