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ファインダーを通した子供の目線が面白い 〜北鎌倉編〜

写真に写りたがらない子供にカメラを持たせたら、思いの外いい写真が撮れたので写真係に任命することにした第三弾。今回は北鎌倉の円覚寺。長男はフットボールの練習があったので、小学一年生の次男と行くことにした。さて、どんな写真が撮れたのか?

この日訪れた円覚寺はJR北鎌倉駅の目の前にある。「えんかくじ」ではなく「えんがくじ」と濁るらしい、知らなかった…。臨済宗円覚寺派の大本山で、鎌倉五山の第二位に列せられるとのこと。開基は鎌倉幕府第八代執権の北条時宗公。時宗公といえば二度にわたるモンゴル帝国の侵攻を退けた大英雄であるとともに、空中元彌チョップの使い手でもある。

ちなみに鎌倉五山とは鎌倉に五つある臨済宗のお寺のことで、格の高い順に建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺となる。臨済宗は宋で学んだ栄西によって日本に持ち込まれた禅宗で、坐禅と禅問答とを組み合わせて悟りを開こうとするのが基本スタイルである。ほぼ同時期に道元によって持ち込まれた曹洞宗も禅宗だが、こちらはひたすら坐禅を組むのが特徴だ。僕の家は曹洞宗なのだが、小学生の夏休みにお墓参りに行ったとき、菩提寺に「ただ拝む 天地いっぱい ただ拝む」と書かれたポスターが貼ってあったのを今でも覚えている。ここからも「さあ坐禅組むぞ!」という熱い思いが伝わってくる。

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無駄話はこれくらいにして。
まずこちらが「山門(さんもん)」。拝観受付のある総門から伸びる階段の先にある。この門は空(くう)・無相(むそう)・無願(むがん)を象徴するそうで、この奥に控える仏殿に向かうには、ここをくぐって諸々の煩悩を取り払わなければならないとのこと。「いつも煩悩いっぱいですいません」と手を合わせながらくぐる。

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本来はここに「どーん」と仏殿を正面から撮った写真が来るはずなのだが、そうならないのが我が次男。真横から撮った仏殿をお楽しみいただきたい。
なぜわざわざ横からの写真を撮ったのかというと、ちょっと見づらいのだが、上の方にある北条家の三つ鱗紋を撮りたかったからだそうな。

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鎌倉にある寺社は鎌倉北条家と縁のあるものが多く、このようにあちこちに三つ鱗紋を見ることができるのだが、よくよく見るとびみょ〜に形が違うことに気づく。仏殿を横から撮った写真の三つ鱗は正三角形を組み合わせているのだが、上の写真の三つ鱗は二等辺三角形を組み合わせた平べったい形をしている。はてさて、いったいどういうことか?
調べてみると、代々執権を輩出した北条得宗家は平べったい三つ鱗を用いていたという説をみつけた。ただそうだとしたら、どうして得宗家の時宗が開基であるこの寺で正三角形の三つ鱗紋も見られるのか? 昔の人はそういうのあまり気にしなかったのだろうか?

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本当にどうでもいいのだが、こちらは「ゼルダの伝説」に出てくるトライフォース。次男にとってはこっちの方が馴染み深いようで、「あ! トライフォースまた見つけた!」とか言いながらシャッターを切っていた。

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この建物は「選仏場(せんぶつじょう)」、修行僧が坐禅を組む場所だ。江戸時代の元禄十二年(1699年)、伊勢長島城主の松平忠充によって建立されたとのこと。中に入ると畳の敷かれたスペースがあって、奥には薬師如来が祀られていた。坐禅を組んでみたいなと思っていたのが、あいにく時期がよろしくなく断念することに。無念…。

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こちらは「方丈(ほうじょう)」から撮影した庭園。方丈とは住職が居住する建物のことだ。本来は一辺が一丈(3メートル)の面積、もしくはその広さの部屋を指す。余談だが、鴨長明の著した鎌倉時代の随筆に「方丈記」というのがあるが、これは晩年の長明が小さな方丈の庵で隠遁生活を送りながら書いたことにちなんで名付けたものだ。
方丈…なかなか趣のある建物だったんだけどなぁ…息子はあまり興味が湧かなかったのか写真は見当たらなかった。ただ枯山水の庭は気に入ったようで、時間をかけてシャッターを切って…

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あった! 方丈の写真!
裏側で恐縮だが、この写真に写っている大きな建物が方丈だ。ああ良かった。

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方丈からさらに奥に進んでいくと「佛日庵(ぶつにちあん)」という建物が見えてくる。ここは円覚寺の開基である北条時宗公を祀る塔頭寺院(たっちゅうじいん)である。塔頭寺院というのは、簡単に言うとお寺の中にある小さなお寺のこと。宗派を開いた祖師とか、たいそう優れた高僧とか、そういった方が引退されたりお亡くなりになったりすると、寺院の敷地内に小さな寺や庵を作ることがある。これが塔頭だ。

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で、これが時宗公を祀った開基廟。この下から見上げた感じが次男の目線を表していて何ともグッド!
ちなみに佛日庵に入るには拝観料として百円が必要なのだが、さらに五百円払うと…

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抹茶がいただける。「苦いのは嫌」と言うので、僕だけ頼むことにした。
お茶請けに鳩の形をした落雁がついていたのだが、次男に「写真に撮ってよ」と声をかけたときには既に口の中なのであった…。

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円覚寺の散策もついにクライマックス。こちらは寺院内にある弁天堂へと続く長い長い階段。「どうして臨済宗のお寺に弁天堂が?」と不思議に思って調べてみたところ、お寺の鐘を作るときに江ノ島弁財天の加護を受けたらしい。で、鐘と一緒に弁天堂を建てて、この一帯の鎮守としたそうな。
そういえば江ノ島に行ったときもいっぱい三つ鱗紋を見たなぁと更に調べてみると、江島神社は北条家と深い繋がりのあることがわかった。後に鎌倉幕府初代執権となる北条時政(北条政子の父)が子孫繁栄を願うため江島神社を訪れた際、弁財天はその願いを叶えると約束して大蛇となり、三枚の鱗を残して海に消えたと伝わっている(これが三つ鱗紋の由来)。つまり北条家にとって、江島神社と江ノ島弁財天はヴェルタース・オリジナル以上に特別な存在なのである。

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これがその加護を受けて完成したと伝わる「洪鐘(おおがね)」。関東で最も大きい鐘で、国宝に指定されている。
けれども何だろう…次男が一生懸命背伸びしながら撮ったからだろうか、あんまり迫力が伝わってこない。関東で一番大きいはずなんだけれど…。

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そうそう、さっきの長い長い階段を上り切ったご褒美がこの景色。右っ側に見える大きな建物は北鎌倉女子学園中学校・高等学校の校舎だ。
高校時代は男クラ、大学時代は工学部、会社は製造業、子供は二人とも男、と男臭い人生を送ってきたせいもあってか、「女子学園」という言葉の何と美しく響くことよ。

弁天堂の周りをうろついているとおみくじが目に入る。何とここは”大大吉”が出るとのこと。思わず「なんだそれは、そういうのもあるのか」と井之頭五郎みたいな反応をしてしまう。次男は隣のカエルおみくじの方が気になっていたようだが、ここは大大吉をかけていざ勝負、勝負!
と意気込んでみたものの、僕は末吉、次男は小吉と何ともしょっぱい結末。ここで次男は「カエルおみくじの方が良かった…」と拗ねモードに。この後たっぷり二十分は拗ねていた。

なんだか最後にケチがついてしまった円覚寺の散策だった…。

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