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「言語の本質」を読んで(2024.02.03)

別に言語について特に興味があるわけではないけど、普段無意識に使っている言語について、ぼんやり不思議だなぁくらいは考えていた。

そうした際に、多分ポッドキャストの「ゆる言語学ラジオ」でこの本を絶賛していたのを聞いて、読んでみたくなった。

論は、「オノマトペ」についての考察から始められる。「オノマトペ」とは「スヤスヤ」とか「ふわふわ」とか「シーン」とか言うアレだ。オノマトペがいかにして発生したか、オノマトペの成り立ち、オノマトペが言語であるか否か。本のタイトルである「言語の本質」からはずいぶん遠いところからの出発だ。

著者はオノマトペについて明確に言語性を認め、人間が言語を習得するにあたっていかにオノマトペがそれに寄与したか、そして言語の全てがオノマトペでないのは何故なのかというふうに、考察は進んでいく。

私は読みながら眠かったが、幸いにも入院しているので、眠くなった寝たら良い。時々眠りつつ、読み進めた。

しかし考察がオノマトペを出発点にしながら、少しずつ著書の本題である「言語の本質」へと踏み込んでいくにつれ、それまで散りばめられた無数の点が次々に繋がっていくような感覚があり、とても面白かった。ページを繰る手が止まらなくなった。

やがて人類がいかにして言語を獲得するに至ったかについて仮説が繰り広げられていく。私はなぜ人類のみが言語を獲得することができたのか、それは脳の前頭葉、特に大脳新皮質に要因があると思っていたが、著者は別のアプローチで言語の獲得について考察していく。

言葉が獲得できるか否かの分岐点、それは簡単に言えばゆるく自由な、必ずしも正しいとは言えない、リスクを伴う推論が出来るか否かだ(著者は「アブダクション推論」という言葉を使っている)。

著者は数々の実験を経て、ヒトのみがこの「アブダクション推論」を行うことが可能で、そのトライ&エラーの果てに言語を獲得出来るに至ったのではないかと推察する。

ものすごく自分なりの言葉で説明したが、間違っているかもしれない。でもだいたい合っていると思うし、すごく面白かった。「言語の本質」という高く険しい山に、数々の小さな足がかりを以て山頂に挑んでいくダイナミズム、全ての点が繋がっていく感覚はまるでミステリー終盤にみられるそれのようだった。

毎日のように、空気のように慣れ親しみ、日々使い続けている「言語」。この本を読んで、その言語について少しだけ自分なりの考えを持っておくのも良いかもしれません。


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