見出し画像

山梨での暮らしは偶然とつながりに生かされている(鈴木の場合)

こんにちは、
山梨移住計画のメンバーの鈴木啓太です。

フリーランスのWebディレクターとしてウェブサイトをつくる仕事をしています。出身は東京都葛飾区。2012年に妻、4歳の息子、1歳の娘とともに家族で山梨県北杜市に移住しました。
今回ははじめての記事ということで、自分が山梨に移住するまでの経緯を振り返ってみたいと思います。

画像7

偶然が重なって、山梨にいます

最初に山梨への移住を考えるようになったきっかけは、2011年の東日本大震災。当時は東京の多摩のほうに住んでいて、近くのスーパーからは水や食料品がなくなりました。子どもが小さかったこともあって落ち着ける場所を探し、小淵沢にある宿泊施設にたどり着きました。長期滞在プランを利用して1週間ほど滞在することに。それをきっかけに、その後もたびたび山梨を訪れるようになりました。

定期的に山梨を訪れる中で出会ったのが北杜市にある「森のようちえん」という屋外保育。見学に行ったところ、子どもたちが裏山や小川でのびのびと遊んでる姿がとても魅力的に見えました。夫婦そろって東京出身の僕らは、この頃から「1回くらい東京を出てみてもいいかも」と、山梨への引っ越しを家族で話し合うようになりました。

画像7

とはいえ僕は毎日銀座まで通う会社員。特に会社を辞めるつもりもなかったので、山梨から東京の会社まで通う前提で移住ができる方法を模索しはじめます。月に1回くらい山梨に滞在し、そこから高速バスで東京の会社まで通えるかシミュレーションをしたり、(もちろん会社からは交通費は出ないので)家計から交通費を出しても生活できるのかなど計算したり…。

最後は「ダメだったら帰ってくればいい」くらいの気持ちで、森のようちえんに申し込むことに。通勤に関しては山梨〜東京間を毎日片道3時間かけて往復するのはつらいので、東京の実家と山梨の自宅を1泊ずつ行ったり来たりする二拠点生活がはじまりました。

画像4

森のようちえんは子どもにとってもよい体験だったのですが、それ以上に僕たち親にとって、卒園後もつづくつながりができるきっかけになりました。今となってはむしろ親のほうが恩恵を受けているかもと思うくらい。

画像4

二拠点生活を2年ほど続け、いろいろあって会社を辞めることになったのですが、その後フリーランスで山梨で仕事ができているのも、森のようちえんで出会った園児の保護者の方々と出会えたことにあります。特にBEEKの土屋さんや写真家の砺波周平さんは、このあと公私ともにいろいろお世話になることに。

今はどんな生活をしているのか

約2年の山梨と東京の二拠点生活を経て、会社を辞め、フリーランスのWebディレクターとして活動して5年が経ちました。最初の頃は東京の仕事が多かったものの、この2〜3年は山梨と長野の仕事がほとんど。その間に、自宅は賃貸から中古の一軒家に。

仕事場は自宅のほか、甲府のシェアオフィスと、長野県諏訪郡富士見町にあるコワーキングスペースの3拠点。甲府・富士町はどちらもクルマで30〜40分くらい(地方では近い距離)。夏は甲府は暑いので標高が高く涼しい富士見町で仕事したり、山梨のお客さんと打ち合わせする時は甲府のシェアオフィスを利用したり。状況に応じて働く場所を使い分けています。便利な世の中になったものです。

画像5

この甲府のシェアオフィスと富士見町のコワーキングスペースをきっかけに出会った方々と、その後仕事を一緒にすることになったりもしています。

つながりと助け合い

そんなわけで数々の偶然と、それをきっかけにした出会いによって生かされている日々ですが、山梨にいると、東京以上に人と人とのつながりの大切さに気づかされます。

今フリーランスで請けている仕事の多くは、森のようちえんで出会った方、甲府のシェアオフィスや富士町のコワーキングスペースで知り合った方からの紹介だったり、そこからさらに紹介いただいた方のつながりだったりです。営業活動もせず、自分のウェブサイトもないのに仕事ができているのも、そういったつながりのおかげです。

暮らしの面でも、東京育ちなので畑のことなんてまったくわからなかったのですが、近所の方がいろいろ1から教えてくれたり、耕運機をもってきてわざわざ耕してくれたり。

画像8

田舎ではたまに「移住者は自治会に入れてもらえない。自治会に入らないとゴミ捨て場にゴミが捨てられないからクルマで遠くまで捨てに行かなければならない」という地元と移住者の軋轢の話を聞いたりしますが、今住んでいるのは移住者が多い地域で、近所の方の紹介で移住者の先輩が管理しているゴミ捨て場を利用させてもらえています。これも市の公式情報だけではわからず、近所の方とのつながりから知ったことでした。

今度あそこにお店ができるとか、そのことならあの人が詳しいとか、そういったネットにはない情報を人づてで知るのもよくあること。つながりや助け合いの重要さは、山梨に来てからたびたび感じるようになりました。

助け合いといえば、仕事で培ったスキルを少しでも役立てられたらと、最近こんな活動もしていますのでよかったら見てみてください(宣伝)。自分がやっていることが少しでも誰かの役にたっていたらいいなぁと思いつつ。

TOGO. YAMANASHI
https://togo.yamanashi.life/
コロナ禍で山梨の店舗の方々とクリエイターが一緒になってサービスを開始したテイクアウト情報まとめサイト。

山梨県 新型コロナウイルス感染症対策サイト
https://stopcovid19.yamanashi.dev/
山梨県が発表する新型コロナウイルスに関する県内情報をグラフで可視化するサイト。

つながり方は選べる

ただ、つながりや助け合いが大事だからとはいっても、無理して地域との関係をつくらなくてもいいと、個人的には思ってます。

子どもの頃からずっと地元にいる人と大人になってから外から来た移住者とはどうしても相容れない部分があるでしょうし、移住者・地元など関係なくそもそも価値観が違う人どうしで無理に深い関係を築くのもつらいし。

今は会社や自治会といったつながりだけではなく、子育て、仕事、ネットやSNS、趣味など、地域や家族を超えたコミュニティを通じて興味や価値観が近い人とつながる方法がたくさんある。

地域との関係を気にしすぎたり、疲れて都市部に帰りたくなってしまうくらいなら、無理をせず、自分と価値観が近いと思う複数のコミュニティとゆるくつながる程度で、これからはいいのかもしれないと思うのですがどうでしょうか。

なぜ山梨に溶け込めたのか

山梨になんのゆかりもなかった自分がなぜ今、何不自由なく家族で山梨で暮らし、食べていけているのか。あらためて振り返ってみると、暮らしと仕事を一挙に山梨に軸足を移すのではなく、少しずつ山梨に移行していったことがよかったのかもしれないと思っています。具体的にあげると、

二拠点移住
住居は山梨に移しつつ仕事は東京のままにすることで、家計へのインパクトが小さかった。
交通費は自腹だったけど住居の家賃が安くなったので生活費はあまり変わらなかった。この間に、東京でのつながりは保ちつつ、山梨のつながりも少しずつ増えていった。

移住者が多いコミュニティ
森のようちえんの保護者は移住者率が高かった。そのため価値観が近い人々も多く、知り合いが1人もいない状態で地元の幼稚園や学校に入るより、妻も精神的にだいぶ助けられたと思う。

仕事を徐々にシフト
山梨移住と同時に独立してたらきっと仕事がなかったけど、山梨での関係ができてからの独立だったので、周りからお仕事をいただけたのがよかった。
独立後も、東京での仕事を請けつつ、山梨と長野の仕事を段階的に増やしていけたのも幸運だった(東京からの仕事だけだったらコロナ禍で今ごろ仕事なかったかも)。

まずは賃貸から
最初は賃貸に住んだことで、地域の特徴が結構わかった。八ヶ岳おろし(八ヶ岳からの風)が強い場所、湿気が多い場所、移住者が多い場所など、住んでいたからこそわかったことも多く、移住と同時にいきなり家を買わなくてよかった。

といったところです。

自分の体験が、これから地方に移住・移動することを考えている方に、少しでも役に立つならと思い振り返ってみました。

でも結局、どこでも「住めば都」じゃないかな…と身もフタもないことを言って終わります。

画像7

次回からは、山梨に移住した人に話を聞いたり、ネットに点在している移住情報をまとめて記事にしたりしたいと考えてます。どうぞよろしくお願いいたします。

鈴木啓太
Webプロデューサー / ディレクター
山梨移住計画メンバー
Instagram / Twitter / Facebook




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?