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「くぎ煮」の名前の由来と発祥の地(魚谷常吉著「滋味風土記」からの考察)〜いかなごの「くぎ煮」その3〜

昭和10年(1935年)発行の「滋味風土記」(じみふどき)という書籍に「くぎ煮」のルーツらしき記述があります。
著者の魚谷常吉(明治27年生~昭和39年没)という方は料理人で、神戸で「西魚善」という料亭を経営していたそうです。昭和16年に和歌山県で僧籍に入り、宝光寺の住職となられたそうです。
この本は全国のおいしいものを掲載した、今でいえばグルメ本のようなものでしょう。
神戸肉や明石蛸の記述もあります。

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「滋味風土記」

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昭和10年11月10日印刷
昭和10年11月15日発行
昭和10年12月1日三版発行
定価1円50銭
著者 魚谷常吉
発行者 小野貞
印刷者 本間十三郎
発行所 秋豊園出版部

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——–以下引用————————–
玉筋魚釘煎

玉筋魚(いかなご)は春から夏一杯の間、明名(山中註:明石の誤植らしい。全集収録時には「明石」に修正されている)近海より四国にかけて多量に漁れる魚で、形は針魚を小さくした様なもので、大きさも精々三寸位までが旨く、それ以上のものは、余り喜ばれない。味がよいにも拘らず、唯漁獲高が非常に多いのと、腐敗が早いために余り珍重されない。所によつては醤油を造つたり、肥料にしたりする位で、丁度鰯と同じような立場にある気の毒な魚である。一番旨いのは春先の小さい頃に網から上げ未だ活きて躍つているのを、塩茹にして、二杯酢で食ふので、その外、この塩茹にしたものを胡瓜揉と和へて矢張り二杯酢で頂く。飯の菜にする時は、この一度茹でたもの、或は活きたものを網にのせて焼き乍ら、生醤油をつけて頂く。これも相当旨い。然し初夏の候、玉筋魚が大きくなつてから釘煎(くぎいり)にしたものは、玉筋魚料理の中で最も美味のものである。酒によし、飯によく、其の上保存が利くといふのが嬉しい。近頃はオイルサーデンで日本一の名を挙げた明石の水産試験場で、飴煮を試作して、大工場や兵隊などに多量に供して居るが、私は飴煮も結構であるが、釘煎を賞味したい。製法は至つて簡単で、玉筋魚一升に対し生醤油五合砂糖五十匁で煮詰めればよい。要は玉筋魚の生きたのを選ぶだけである。従つてこの死に易い魚を材料とするのであるから、漁場でなければ出来ない料理で、若し入用ならば、兵庫の駒ヶ林の漁業組合か、明石の垂水魚市場へ頼めば送つてくれる筈である。決して商人に頼まず、漁夫の手製のものを求めるやうにせねば、肉の引き締まつた、底味のある本当の釘煎は得られない。
玉筋魚に似たもので、大分県佐賀県にキビナゴといふ魚が饒産する。土地の人は余り顧ず、下層級の食物になつて居るが、これも玉筋魚と同じ方法で、釘煎にすれば相当に旨く頂けるのである。土地の人に教へてやつた処、試作して紡績工場へ売り、味もよく、価格が安いので、大変喜ばれ、自分も今迄にない楽な盆節季をしたと、喜んで礼を云はれた事がある。

——–以上引用————————–
#旧字体の漢字は新字体に修正しています 。カッコ内のふりがなは特記あるものを除き原文にふりがながついたものをそのまま転記しています。

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この「滋味風土記」によれば、
1.この本が出版された昭和10年以前にはすでにいかなごの「釘煎(くぎいり)」という漁師の料理が存在したこと。
2.その料理は、活けのいかなごを醤油と砂糖で煮詰めるという製法であったこと。
3.昭和10年の時点で製品としての「釘煎(くぎいり)」を入手したいのであれば、兵庫の駒ヶ林(現在の神戸市長田区)の漁業組合か、明石の垂水魚市場(現在の神戸市垂水区)へ頼むのが良いとされていること。

などが読み取れます。

ここからは「くぎ煮」の名前の由来に関しての私の見解です。

当時漁夫の炊いていた上記の「釘煎(くぎいり)」がいつしか「釘煮(くぎに)」に転化したものだと考えています。
醤油と砂糖で煮詰める=煎る(いる)→煮る(にる)ということでそう呼ぶようになったと考えるのが自然ではないでしょうか。
江戸時代の百科事典「和漢三才図会」のいかなごの項にも、いかなごを煎って行燈の油をとる、との記述がありますので、昔は鍋で煮詰めることを「煎る」と表現したのでしょう。

かつては、昭和30年ごろに垂水の漁業組合の組合長が「くぎ煮」と命名したという説が流布されていましたが、それよりもはるか20年以上前から「釘煎(くぎいり)」と呼ばれていた事実があったのです。

また、塩屋の魚屋さんがお客さんに頼まれて昭和10年(1935年)に初めて「くぎ煮」にあたるものを作ったという話があり、塩屋の魚屋さん跡地のマンション敷地内に「釘煮発祥の地」の石碑が私費で建てられています。

しかしこの本によると、昭和10年にはすでに醤油と砂糖で生のいかなごを炊いた「釘煎(くぎいり)」を長田の駒ヶ林の漁業組合か垂水の魚市場に頼めば送ってくれるとされていますので、それ以前からいかなごの「くぎ煮」らしいものを作っていたと考えるのが自然です。

魚を砂糖と醤油で煮るというのは、普通の煮魚と同じですので、砂糖が普及した頃から各地で作られていたと考えるのが自然です。
また、大量に獲れて日持ちのしない魚を保存食とするため煮詰めて佃煮にする、というのも漁港付近で行われていたのでしょう。
一般に言われている、漁師の家庭料理だった、という話には疑問の余地はなさそうです。

そういう意味では、垂水漁港(昔は明石村だった)と長田漁港が「いかなごのくぎ煮発祥の地」のひとつであることに間違いなさそうです。
これを踏まえ、2013年(平成25年)、神戸市長田区の駒林神社大鳥居前に「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑が建立されました。

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こちらは、塩屋の石碑とは異なり、神戸市漁業協同組合の正式な許可を得て建立されています。
私個人的には、垂水漁港近くにも「発祥の地」石碑を建立し、垂水も長田も同じくらい古くから「いかなご漁」が盛んであり、「くぎ煮」も漁師の家庭料理として受け継がれてきたことを多くの方に知っていただきたいです。

昔は、いかなごのくぎ煮の発祥の地は垂水と言われてきましたが、現在では「諸説あって定かではない」(神戸学検定)と公的にも言及されるようになりました。

伍魚福の地元長田の皆さんにとっては、「長田の方が古い」ということが通説になっていますが、垂水や明石その他の地域の皆さんとともに「くぎ煮」を盛り上げていきたいと考えています。

2024年5月17日追記:
旧知のラジオパーソナリティ・三上公也さん(ラジオ関西→定年後フリーアナウンサー)が取材されたラジオ関西の記事に興味深いものがありました。
古くからくぎ煮を売る垂水の魚屋さんなのですが、くぎ煮のことを「くぎり」という名前で販売されているそうです。
この魚屋さんは「くぎり」がなまって「くぎ煮」になった、とおっしゃっています。
「滋味風土記」にある「釘煎(くぎいり)」が「くぎり」に転化したという考えるのが自然な感じがしますが、いかがでしょうか。


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