散る桜 残る桜も散る桜
と申したのは誰あろう松方弘樹 (むろん良寛禅師の例のアレが元ネタ)。
遠山の金さんで悪党を前にお白州で「エセリ」を見せている時に毎回の如くこれを発する。いやはや桜が散る季節ですね。尾羽今晩痴話。
ところで「エセリ」となんぞや。これを説明するのは難しい。
要するに見得を切るみたいなもんなんだけれども、過剰な演技のことを云うのかなぁ。映画監督の井筒和幸氏がその昔、ラジオで松方弘樹の演技を酷評し、「あんなのエセってるだけやないかい」とかなんとか云ってたのが由来でありまして。
「似非ってるだけやないかい」って漢字を当てると、かなり厳しいものが感じられて井筒監督の松方弘樹評がぼんやりと見えてくるわけですが、でも井筒監督の作品もね、かなり当たり外れありますよね。辛口で云っちゃうと。
たとえば『パッチギ』なんかは結構、ぼく、大好きな作品なんですけど、その続編となってしまうとイデオロギー臭が強く前に出過ぎてて、観るとしんなり……と、なってしまうわけです。邦画の癖してどこの国のプロパガンダ映画やねん! みたいな厭~な気持ちになるというか。
もちろんフィクションですから、何もすべてを真実として深刻に受け止めなくてもいいわけで。しかし、「そういう態度がけしからん! 真摯にお前たちは歴史を直視して反省しろっ!」って云われてるような感覚に苛まれてしまうわけですよ。ついついね。そもそもの根っこが気弱なもんだから。
とはいえ、ぼく、歴史修正主義者じゃないですよ。そこんとこは、はっきりさせときたい。ていうか、「歴史修正主義」って言葉自体、なんだか嫌いだったりもします。
あんまり政治的に敏感な事柄は云いたくないけど、
過去の歴史を反省すること、自分を責めることを過剰にイコールでつなげてはイカンと思う今日このごろ。サヨクやらネトウヨやらあれこれおりますが、根本は結局のところ似たようなもんですからね。どれもこれも歴史をアテに「エセってる」んですよ。
この「エセリ」は金さんのそれとは違って、
少々罪深い見得切りでございます。大体が「お前は真相を知らんから教えたるねんけどな」というマウント取りのための「エセリ」ですからね。
息のしづらい世の中になったものです。
戦争反対。平和万歳。
みんなホントはまた大なり小なり
戦争したいんちゃうかなぁとも思ってしまいますわ。
それが人間のサガであるという、ね。
あゝつまらんよろしくない文章書いてしまった。しかもこれが一発目って。
ひいひいふう。まア、あれです。ながーい眼でお付き合いください。
よろしゅうお頼申します。なにとぞ。