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中島みゆきと、しあわせと、父の話

「今の暮らしと、前の暮らし、どっちがいい?」

私の場合、ライターとして扱うジャンルは、人物取材が多い。その人の生い立ちや今の暮らしへの思いなどを聞き、記事にしているのだが、対象者に対して、こんな質問を投げかけることがある。正確に言うと、よくあった。

今の仕事は農家さん、だけど以前はサラリーマンだった。
今の仕事はコンテンツクリエイター、だけど以前は社長秘書。

例えばこんな風に、過去と現在とのギャップがある人生の話を聞くと、ついつい、「この人は前の仕事をしていた頃と、今の暮らしと、一体どっちが幸せなんだろう?」と、聞いてしまうことがある。聞くだけではなく、役場職員からフリーランスになった私に対しても、最近こうした質問は多い。

この質問自体、別に悪いことだとは思わない。実際、そう質問をして真剣に考えてくれる人だっているし、相手を不快にさせるような類の内容ではないと思う。

でも、私自身に今、同じ質問を投げかけてみる。そうすると、比べるものではないような気がし始めた。


フリーランスになり一年。おかげさまで忙しい日々。応援してくれる人たちのおかげで、毎日何かに追われている。もちろん、稼ぎが多いわけではないけれど、なんとか生きていけるだけの仕事をいただけている。

みんながイメージする通り、会社勤めよりも自由度は高い。腑に落ちない命令なんて聞かなくていいし、毎朝8時半に出勤しなくたっていい。平日に休みを取ったっていい。全て自分で決められる。当たり前の話だ。

でも、収入は安定していないし、すべてを一人でやらなければいけない。ふと考えが煮詰まった時、相談できる相手は隣の席にはいない。(前職では、そんな存在の方がいつもそばにいてくれたので、今はそれが一番のネックかもしれない)。

どちらも一長一短だ。
と、いうことを言いたいわけではない。

どちらの生活も幸せなのだ。
ということを言いたい。本当に幸せだと思う。

前の仕事をしていた頃も幸せだったし、今の仕事はまだ始まって一年だけれど、それだって幸せだ。どちらも多少の文句はもちろんあったし、今もあるけれども、総じて、私は幸せである。


先日、中島みゆきのコンサートのために一泊二日、弾丸で高知から神奈川へ帰省をした。この日のために、人生初めての確定申告をどきどきで何とか終わらせ、自分としては「1レベアップ!」した気持ちで意気揚々と帰省をした。

なんせ一泊しか時間はないので、羽田空港へ到着し、その日の夜に控えた中島みゆきのコンサートのため、神奈川の自宅には帰らずにそのまま昼からコンサートまでの時間を母と都内で満喫した。

中島みゆきを好きになったきっかけは、母である。高知県出身の母は、まだ18歳の頃、高知市内で行われた中島みゆきのコンサートに参戦したという。青春時代に中島みゆきが歌姫として君臨していた時代を思うと、なんだかちょっと震える。

今回のコンサートは、もちろん母との参戦。夜までの時間、私が学生時代に好きで行っていたベイクショップやずっと行きたかった本屋などを母と回り、早めにコンサート会場の国際フォーラムへと到着した私たち。

母と都内の本屋へ寄り道

「今日さ、お母さん最寄り駅まで何で来た?バス?車?(バスであれ・・・!)」

「駅の駐車場が満車だったら嫌だと思って、バスで来たよ。ちょうどいい時間のがあったし」

「やった!ねぇ、あんまり飲んだらアレだけどさ、中島みゆきの歌を聞いても覚えてないくらいになっちゃったらアレだけどさ、みゆきの歌で酔いしれるくらいの感じで、一杯飲もうよ」

「歌会」を2時間前に控え、私たちの0次会が始まった。

「一杯」と言っていた0次会は、久しぶりの母娘水入らずの「女子会」で盛り上がり、高知の血が入っている私たちはもちろん一杯で終わるはずがなく。「もう一杯だけ行こうか」「ワイン、飲んじゃおうかな」「お母さんもいっちゃおう」と、3杯進み、その後会場へ入ってからもカウンターで追いビールを引っ掛けた。

コンサート会場で「最後の一杯」と言って引っ掛けた追いビール

60を超えた母は最近そんなに飲まなくなったはずなのに、この日は青春時代をともにした歌姫の久々のコンサートに、そして娘との時間にもきっと、ウキウキだったのだろう。母の神奈川での暮らし、娘の高知での暮らしをお互いが共有しながら、中島みゆきの話も挟みながら、「ワーワー」言ってそれなりに酔い、夢見心地でコンサートを堪能した。

中島みゆきコンサート「歌会VOL.1」は最高だった。
これはこれで語りたいほどに最高だった。

しかし、帰路、自宅の最寄り駅まで車で迎えに来てくれた父から「おかえり」「どうだった?」のひと言も声がかからない。一体どうした。

自宅へ到着後、すでに0時近くになっていたこともあり、父はすぐ2階の寝床へと上がっていった。

翌朝も、父が仕事に出かける前にと思い起き、同じ空間にいたのだが、「行ってきます」「気をつけて高知へ帰れよ」なんかの言葉がひと言も出てこない。何も言わずに出勤していった。

「何じゃそりゃ」

昔から、父は仕事で切羽詰まっている時や心に余裕が無くなった時、よく黙る人だった。普段からおしゃべりな性格ではないので、すごく変わるわけではないけれど、明らかにその不機嫌さは娘にも伝わってくる。

でも、今回の「無言」の理由は、それだけではない。
「あの時の台湾旅行の時と同じだ」、そう思った。

理由は、私の確定申告である。「1レベアップした!」と思いウキウキで帰ってきたはずの、「あの確定申告」が原因だ。

まだ22歳の頃、新卒で入社した会社を半年で辞め、次の就職先を高知県黒潮町で見つけたものの、黒潮町での仕事が始まるまでの数カ月間、アルバイトをしながら生活していた私は、その頃大学を一年遅く卒業する仲良しの友だち2人と「卒業旅行」に台湾旅行へ行こうとしていた。

大学まで行かせて、就職したと思ったら途端に辞め、その後は約半年間、日雇い派遣などフリーターのような生活をしている娘が旅行へ行く、しかも海外へ。父親は腹が立っていたのだろう。台湾へ飛び立つ前夜、22年間の人生で一番の大喧嘩をした。「台湾旅行を終えても、この家には絶対に帰って来ない」、そのくらい私も腹が立ち、父と口論になったことを覚えている。


あれから8年。

一年前、私が役場の仕事を辞めると話をした時、呆れた様子、心配した様子を見せた両親だったが、「こういうことがしたい」と私の思いを何度か話しているうちに、「それもいいかもね」「そんな人生もいいじゃない」と、段々と私の新しい進路に寄り添い、応援してくれるようになっていった。母は特に、収入はガクッと下がるであろうことを心配し理解しながらも、娘の夢、娘の性格に合った生き方をいつも言葉にして応援してくれた。

父ももちろん応援してくれているのだ。そうなのだが、何十年もしんどい仕事を続け、サラリーマンとしてバリバリ仕事をしてきた父は、お金を稼ぐことの大切さを身を持って知っていて、父がお金を稼いできたからこそ、家族を養ってきたという自覚がある。そんな父が、30歳を過ぎた娘の所得の現実を「確定申告」をきっかけに知り、機嫌が良いわけがなかった。

帰省前日、ギリギリに確定申告を終え、「終わった〜」という達成感で母親に電話をしていたが、電話の向こうにいた父親は、その時からずっと苦い顔をしていたのだろう。


父が無言で出勤をしていった後、母との話題はもちろん「不機嫌な父」のことだった。

私の確定申告の結果だけが不機嫌の理由ではないのだろうけれど、娘の今の人生を100%「良し」とは思っていないことがわかる。それでも、私と母は、今の私の人生を「面白い」と話す。

役場に勤めていた頃よりも、日々楽しいこと、おもしろおかしいこと、腹が立つこと、謎なこと、毎日何かしら起きている今の暮らしは、それはそれは大変なことも悩むこともあるけれど、総じて幸せなのである。

「こんな仕事をすることになった」
ライターを始めた頃には想像もしていなかった相手先から依頼があったり、
「今日はこんなおじいちゃんと出会った」
役場で勤めていた頃には会わなかったような近所の人たちとの交流があったり、
「確定申告って何から手をつけたら良いの」
勤め人では味わえなかった面倒くささと達成感がある。

そんな日々を「面白い」「幸せ」と言える娘を、どうしてあなたは「良し」と言えないのか・・・!


今回は、台湾旅行の前夜のような喧嘩をすることはなく、無言の不穏が漂っただけで終わったけれど、この先、父が今の私の人生を「良し」と言ってくれる時が来るのだろうか。

父からすれば、きっと今の娘の人生よりも以前の娘の人生の方が、幸せなのかもしれない。それでも、私は今が幸せで、やっぱり、「今の人生と昔の人生」は比べるものではないように思うし、どちらも違う良さがある。そのことをわかってくれる日は、今の人生で私が稼ぎ始めた時なのか、稼がなくてもそれ以外の要素で理解してくれる時が来るのか、それはわからない。その日が来るのかもわからない。私の人生の内容は実は関係なく、父が切羽詰まった日々から抜け出し、彼自身の人生が楽しくなった時なのかもしれない。わからないけれど、今は父に「こうこうこうだから、人生楽しいんだよ」と説得しようとすべき時ではない気がする。台湾旅行前夜の二の舞はもう30歳、しんどいしな・・・。


そういうわけで、最近の取材では、「今の暮らしと昔の暮らし、どっちがいいですか?」ではなく、「今の暮らしと昔の暮らし、比べるものではないと思うのですが。どう違いますか?」と聞くようにしている。

比べるものではないけれど、昔の話も、今の話も、どちらにも興味があって、どちらもその人を作っている大切なものだから、やっぱり両方聞きたいには聞きたいのである。

高知の日常に戻ってからも、東京の、中島みゆきの余韻に浸る

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