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♯007 「キャッチフレーズ」と「スローガン」

「オカヤマ・イズ・ベリー・ホット・ハッピー」

これは、岡山駅の東西を繋ぐ地下通路の壁にマジックのようなもので書かれていた落書きです。自分は普段ここをあまり通ることがないので、いまでもそのまま残されているのかはわかりません。
「HOT」なのか「NOT」なのかは読みづらく微妙なところですが、自分たちはこれを前者だと読み込みました。

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「地下道の落書き」

見つけたのは、PLUG Magazine vol.54 巻頭特集の撮影中。

モデルとして活躍する岡山県出身の神原むつえさん、香川県出身の原田維秀さんのお二人に岡山県発ファッションブランドの服を着用いただき、瀬戸内のいろんなロケーションの魅力を再発見するというコンセプトでフォトシューティングを行っていた時のことです。

丸一日かけての撮影行程は早朝から始まり、岡山を出発して香川県、玉野市、福山市を巡り、再び岡山へと戻ってきました。

ラストの撮影場所は、岡山の人には馴染みのある、自転車と歩行者が行き交うこの地下通路。ここが落書きを発見した場所です。

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落書きに気づいたのはモデルの原田さん。

何だかわからないけど面白いねとみんなで少しばかり盛り上がり、一応この落書きの前でも撮っておこうと抑えのつもりで撮影したカットでしたが、実は表紙候補として最後まで選択肢に残していました。

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正直、見つけたときはそこまで胸に突き刺さるコピーというわけでもなく、岡山を形容するのに『これだっ!』とハマるような言葉でもなかったのですが、それでも自分にはどこか惹かれるところのある不思議なフレーズでした。

結局、この写真が表紙を飾ることはありませんでしたが、誰がいつ書いたのかも分からないこの落書きのことを、いまでもたまに思い出しては考えてしまいます。

学生がたむろして岡山のキャッチコピーを考えようと遊び半分で書いたのか、グラフィティをやっている人が通りすがりに書き残したのか。外国人観光客が旅の思い出に刻んだのか、はたまた誰かから誰かに宛てた何かの暗号なのか。

事前に準備していたわけではなく、たまたま持っていた油性ペンを取り出して、その場のノリでささっと書き残したのだろう、壁面を見てその程度の推測までしかできません。

この落書きが壁に書かれた場面をいろいろと想像してみても、きっとこうに違いないという有力な仮説にはたどり着かず、誰が、いつ、何のために書いたのかは、当然ながら迷宮入りしてしまいました。

何かのパロディか引用なのかと思い、グーグルで「VERY HOT HAPPY」を検索してみましたが、何もヒットしません。確かではありませんが、きっと独自に考えついた造語なのだと思います。

ちょっと強引に岡山弁で意訳すれば、

「岡山は “ぼっけぇ〜” あつーて、“で〜れ〜” シアワセ!」

みたいな感じでしょうか。

( ※「ぼっけぇ〜」と 「で〜れ〜」 は岡山弁で「すごい」や「とても」といった意)

いろいろと考えているうちに、このよくわからないポジティブさとピースフルな語感にハマってしまい、これを岡山の新しいキャッチフレーズにするのも悪くないんじゃないか、いまでは半分冗談、半分本気でそう思えるほどお気に入りの言葉になってしまいました。

と、いうわけで、

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こんなグッズを作ってみましたので、よかったら下記のリンクを覗いてみてください。遊びで作ったんですが、以外に、いや、けっこう可愛いんじゃないかと(^^;;


「そのフレーズは“ビジネス”か“フィロソフィー”か。」

私はこれからの時代、特に地方都市に必要なのは、「キャッチフレーズ」や「キャッチコピー」ではなく、「スローガン」ではないかと思っています。

どれも似たような意味に捉えがちですが、いったい何がどう違うのか。実はそれぞれの言葉の役割は明確に区別されていました。

辞書で調べると、「キャッチコピー」と「キャッチフレーズ」は、

“主に消費者の心を強くとらえる効果を狙った、印象的な宣伝文句”
“宣伝・広告などで、人の心をとらえるよう工夫された印象の強い文句”

とされていて、どちらもほぼ同義の言葉といえるでしょう。

ただし、境目は曖昧ですが、

『キャッチコピー』は
“宣伝目的に限定されたもの”
『キャッチフレーズ』は
“宣伝以外の幅広いものを含む場合”

に使われるといった棲み分けがされていました。

《キャッチコピーの例》
インテル
「インテル 入ってる」

カルビー
「やめられない、とまらない、かっぱえびせん」

稲葉製作所
「やっぱりイナバ、100人乗っても、大丈夫」

ダイソン
「吸引力の変わらないただ一つの掃除機」

など
《キャッチフレーズの例》
武井壮
「百獣の王」

インリン・オブ・ジョイトイ
「エロ・テロリスト」

キダ・タロー
「浪速のベートーベン」

ももいろクローバーZ
「週末ヒロイン」

など

例を見ても厳密な区別はなかなか難しいですが、どちらも基本的には外に向けて発信する商業的な性格が強いものであるといえると思います。

一方で「スローガン」は、

“団体や運動の主張や目標を強く印象づけるために、効果的に要約した文章”

とあります。

《スローガンの例》
トヨタ
「Drive your dreams」

日立製作所
「Inspire the Next」

東芝
「Leading Innovation」

セコム
「信頼される安心を、社会へ。」

資生堂
「一瞬も一生も美しく」

大成建設
「地図に残る仕事。」

日本たばこ産業
「ひとの ときを、想う。」

など

企業や団体などの理念や活動の目的を簡潔に分かりやすく、覚えやすいように表したものを指していて、こちらは内部にも向けた理念的なものであるといえるでしょう。

ナチス・ドイツが掲げた「一つの民族、一人の総統、一つの国家 」、明治政府の国策「富国強兵」、戦時中の日本が行った国民精神総動員政策で戦意昂揚のために使っていた「欲しがりません勝つまでは」や「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」。真珠湾攻撃後にアメリカ全土に広がった「Remember Pearl Harbor!(真珠湾を忘れるな)」など、スローガンは政治的、軍事的にも使われてきた過去があり、歴史的に見てプロパガンダと同義だと毛嫌いする人も少なくないかもしれません。

しかし、企業や団体の多くでは、いまも健在にスローガンが策定されています。さらに、そのフレーズはイメージアップだけを目的としておらず、全体の行動指針や社会的ミッションの確認、組織としての連帯感やモラルの向上などに活用され、ひいてはより良い社会の形成や経済発展のためにも役立っていることは否定できません。

センシティブな一面もありますが、正しく用いることさえできれば、魅力的な「スローガン」は企業や組織だけでなく、地域そのものにとっても新たな活力や団結力などを生み出すことのできる可能性を持っているといえます。

「晴れの国、岡山」と「おしい!広島県」

私の暮らす岡山県では、いま現在「晴れの国」というキャッチフレーズを使っています。

これは、岡山県が日本で一番晴れの日が多い(厳密には年間降水量が最も少ない)ことから。そして、岡山県のPR施策やキャンペーンでは「もんげー岡山」というコピーもよく使われています。

( ※「もんげー」も岡山弁で「すごい」や「とても」といった意。)

こうしたフレーズを考えた人や、これらを活用して地域活性をしようと頑張っている方がいると思うのであまりこんなことは言いたくないのですが、自分にとって「晴れの国」というのは、住んでいて強烈に実感していることというよりは、指摘されてはじめて『あっ、そうなんだ。そういえばそうだね。』くらいなもので、あくまで気候の特徴にしか過ぎません。

「もんげー」にいたっては、使ったことも聞いたこともないかなりレアな岡山弁(自分はネイティブの岡山県人でもんげーを使う人をただの一人も知らない)ということもあり、自分が会話で使うにはいささか気恥ずかしさを伴う言葉です。

いろいろとケチをつけてしまいましたが、これは誰かがきっと思いを持って一生懸命に考えてくださったフレーズです。そう思って、岡山を誰かに紹介する際には積極的に話題に取り入れ、感謝を持って活用させていただいておりますので悪しからず。

そして、当然ながら岡山県以外の他府県でもそれぞれ特色ある施策をされているわけですが、ここではおとなりの広島県で数年前に展開された「おしい!広島県」 というキャンペーンについて、続けていきたいと思います。

こちらは、広島県の観光大使に就任した同県出身の有吉弘行さんが「おしい!広島県」というスローガンを発表して、最初は自虐的な表現に否定的だった県民が少しずつ「おしい!」を肯定的に受け容れ、県民運動的なムーブメントへと拡大していった、というキャンペーンの中核となるプロモーション動画です。この後、続編となるロードムービーも公開され、特設サイトやポスターなど広範に展開されていました。

初めて見たときは、そのクオリティの高さ、広島県出身の芸能人が多数出演する豪華なつくりと非常によく練られた構成に「広島やるなぁ」と隣県のPR施策に羨ましさすら感じました。おそらくこの手のプロモーションとしては広島県が全国的に見ても先駆けだったのではないかと思います。

ただ、先に紹介した岡山県の「晴れの国」と「もんげー岡山」は、説明がなくとも明らかにキャッチフレーズだとわかるものでしたが、この動画の中では「おしい!広島県」を新しいスローガンとして扱っており、それだけがどこか引っかかっていました。

ワードセンスや「おしい」を個性として捉え直す切り口は非常に面白いのですが、スローガン本来の意味合いを含んだ言葉とはいえないように思います。

この類の企画を否定するつもりはまったくありませんが、「ゆるキャラ」ブームのときのように、こうした前例を他の自治体がマネて、動画制作に頼った似たり寄ったりのプロモーションが増えたような印象もないわけではありません。

制作に携わられたクリエイターさんや出演者さんをはじめとする方々の熱量は感じるものの、「大手広告代理店が絡んで巨額の公費が使われているんだろうな」とか、自分の職業柄からなのか穿った見方をしてしまうようになり、よくよく見ていると「これを流行らせよう」というあざとさがどうにも気になってしまうものも散見されます。

企画制作に関わる大手の広告代理店が儲かるだけの「新たな地域プロモーション商材」は、たちまち消費されてしまい、祭りの後には何も残らなかったという事例は枚挙にいとまがありません。

さて、こうしたプロによって作り込まれたものでなくとも、日本全国、どこの街にも何かしらの「キャッチフレーズ」や「キャッチコピー」はあると思います。

郷土を紹介するときに誰もが使う定番となったフレーズもあるでしょう。ただし、その中には「スローガン」と混同されているものがあるかもしれません。

ここで言いたいのは、観光宣伝や移住促進などに一定の効果を発揮する言葉はあったとしても、そこで暮らす人たちの気持ちを鼓舞し、地域の連帯感を生み、帰属していることへのプライドまで生み出すほどの力強い言葉、本当の「スローガン」を持っている地域は少ないのではないかということです。

「燃えろ岡山県民運動」

我が岡山県には、かつて県民を熱狂させた伝説的なスローガンがありました。

それは、昭和60年(1985年)にスタートした「燃えろ岡山県民運動」で提唱された

「燃えろ岡山」
です。

何事にもクールで熱くなれない県民性といわれる岡山県が打ち出した運動で、各市町村ごとに「燃えろ岡山」を語句に含んだスローガンを決め、まちおこしが展開されました。

この燃えろ岡山県民運動は、瀬戸大橋の開通を3年後に控え、明るく豊かで活力のある郷土づくりを進めることを目指して企画されたようです。

開始からすぐに岡山市内では華やかなパレードが行われ、県民運動のスタートが切られました。参加した人たちは、“見直そうふるさとの良さ”、“楽しみ鍛えよう心とからだ”など、「燃えろ岡山」の下の句となるスローガンを書いたプラカードを手に県庁前から表町商店街をパレードし、チラシなどを配って運動への参加を呼びかけていたそうです。

当時の様子がわかる映像がありますのでぜひ下記のリンクよりご覧ください。この映像を見ていると、「燃えろ!岡山!」というワンフレーズを掲げて団結する、当時の岡山県民の熱気がどこか伝わってくるような気がします。

初めて見聞きする人からは、そもそも「燃えちゃダメでしょ」というツッコミが聞こえてきそうですが、実際に「燃えろ岡山 燃やすな郷土」という幕を垂らしてフォローする消防署もあったようです。わざわざそんなことをしなくてはならないほど、県民に広く浸透していたということでしょう。

それほど活況を呈したこの県民運動ですが、当時の岡山県の財政は非常に悪く、県民が燃え上がる前に県政が燃え上がってしまい、残念ながらいつの間にか収束してしまったということです。

実は、この運動がスタートした昭和60年は私の生まれ年なのですが、幼心にも「燃えろ岡山」というフレーズはハッキリと脳裏に焼きついています。

物心つく頃にはこの運動自体はもう落ち着いてしまっていたはずですが、私がゼロ歳児の頃に始まったこの運動のことをなぜ覚えているのか。

それは、小学校への通学路の脇に「燃えろ岡山 燃やしてみせる」という大きな看板が残っており、毎日のようにそれを見ていたからです。

「燃えろ」だけならまだしも、私の育った町では「燃やしてみせる」という謎の決意表明が加えられていて、なんとも言えないフレーズに仕上がっていましたが、自分にとっては忘れられないパンチラインのひとつといえます。

下の写真は岡山県の中央部を流れる旭川沿いに敷設されたものですが、この他にも、県内各所に「燃えろ岡山」を元にそれぞれの自治体が作成したスローガンの看板や記念碑などが残っていることから、岡山に住んでいるひとであれば私のように当時を知らない世代でもあっても「燃えろ岡山」の字面をどこかで目にしたことがあるのではないかと思います。

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岡山県史上、世代を超えてこれほどまで県民に広まったスローガンは、あとにも先にも、この「燃えろ岡山」だけでしょう。

しかし、全市町村をあげての県民運動として大々的に展開したとはいえ、いまのようにインターネットやSNSも無い時代に、なぜこれほどまで「バズった」のか。

それは、ツッコミどころのある言葉ではあるけれども、冷静でシャイな岡山県人を奮起させる掛け声としてこれ以上無いほど的確であったこと。具体的な言葉ではないものの、「いいから燃えろよ!燃えるんだよ!」という、有無も言わさぬ押し切りの強いワードであったことなどが挙げられるかもしれません。

「燃えろ」ということは、そのままの状態では燃えていないということなので、自虐的な意味合いもあるようには思いますが、広島県の「おしい」と比べても断然ポジティブなメッセージが込められた煽りでもあります。

また、気候風土の特徴や方言に頼らず、ストレートに県民のハートに訴えかけてくる力強さを併せ持った、まさしくスローガンといえる言葉ではないでしょうか。

個人的には、この哀愁漂うなんともいえないロゴマークも好きです。

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ここまで「燃えろ岡山」を持ち上げてきましたが、私自身はまだ子どもだったので、実際に県民運動が展開されていたときの空気感はわかりません。そこで、父親に当時のことを尋ねてみると、

「........そんなことあったかな。あぁ、なんかやっとったなー。」

という、なんとも素っ気ない答えが返ってきました。
「県民を熱狂させたこんなすごいスローガンが岡山にはあったんです!」
という内容で更に書き進める予定が台無しです。

父親のように冷ややかに傍観していたのはあくまで少数派なのか、いや、もしかすると、実は全体としてそんなに盛り上がっていなかったんじゃないか。ここにきてモヤモヤとそんな疑念が浮上してきました。

もしかすると、街中に残存する当時の面影を見て、私が過去を想像で膨らませ過ぎているところがあったのかもしれません。あわや郷土の歴史を歪曲するところでした。

そこで、取材などで地元の年長者の諸先輩方にお会いするたびに、「燃えろ岡山」は本当に燃えていたのか、それぞれの実感を伺ってみることにしました。

いま現在、まだ20人ほどにしかヒアリングできていませんが、結果は半々といったところ。ただし、そこには、当時の岡山県知事への評価が大きく影響しているのでないか、そんな関連性が見えてきました。

「燃えろ 岡山」が展開されていた当時の岡山県知事、長野士郎さんは6期24年を務められ、最後は全国知事会長まで歴任された人物。

官僚時代には昭和の大合併にも深く関わり、地方自治法を解説した書籍を執筆するなど、「地方自治の神様」の異名でも知られていたそうです。

その一方で、知事就任後には強引な大規模公共事業などを展開し、県財政に8000億円を超える累積債務を残すなど、「地方自治の悪魔」とも呼ばれていました。

6期も知事職を務めたことからも、県民からは厚い支持を受けた方だとは思うのですが、地方行政での功績と負の遺産のコントラストが非常に強く、長野さんに対する評価も真っ二つに割れているようです。

諸先輩方に質問すると、だいたいがこの長野さんの評価とともに語られており、肝心な盛り上がり度合いということについても、長野さん肯定派は県民総動員で盛り上がっていたという方が多く、否定派はあんなもの一部の人がちょっと騒いでいただけだったという見方を示されています。

はたして、「燃えろ岡山」は本当はどのくらい燃えていたのか。

もっと深く調べようにも当時の状況を示す資料が以外に少なく、ここで手詰まりになってしまいました。

ひとまず、これはリアルタイムで実感した人のみぞ知ることなのだな、ということで落ち着けることにします。

「探せ、次世代に贈るスローガン!」

国政のスローガンと呼べるであろう言葉をいくつか見返してみると、2010年の民主党政権時、総理大臣を務めることになった菅直人氏がマニフェストに掲げた「最小不幸社会の実現」には、「最大幸福社会」を目指すべきじゃないかというツッコミが相次ぎました。

戦後最大の長期政権を担った安倍晋三氏が宣言した国家像「美しい国、日本」は曖昧すぎるとやや不評だったように記憶しています。

現在の総理大臣である菅義偉氏が総裁選からしきりに強調していた「自助・共助・公助」については、うん、そう、それはもちろん、やっぱり大事なことですよね、といったぐらいの感想しかありません。

一国のトップに上り詰めた人たちが考え抜いたであろう言葉でさえ、なかなか響かないのが現実であり、歴代遡っても後世に残るようなフレーズは稀でしょう。こうした例を見ても、大多数にポジティブに受け入れられ、いつまでも心に残る印象的なスローガンを生み出すというのは非常に難しいことだといえます。

そう考えると、35年を過ぎても生き延びる「燃えろ岡山」は、それなりに特別なスローガンなのかもしれません。受難の時代となったいまこそ、再びこのフレーズが岡山県にフィットするのではないかという期待すらあります。

ドナルド・トランプ氏が掲げた「Make America Great Again」は、1980年の大統領選挙でドナルド・レーガンが使っていた選挙スローガンであることは有名ですが、秀でたフレーズはこのように時を経てリバイバルされることも珍しくありません。

ただし、こうした強い言葉は、特に政治の場面ではワンフレーズ・ポリティックスによってレベルの低いポピュリズムへと流れていってしまうといった危険性もはらんでいます。ここでは、決してそういった扇情的な大衆動員を狙った言葉を欲してグダグダ言っているわけではありません。

人間は、何かひとつ気持ちの入るような掛け声がある、たったそれだけで、いまよりずっと元気になれたりする。そんなものじゃないでしょうか。いまの日本には、そういったパワーのある言葉がどこにも無いような気がします。一部の強い人たちを除いて、大衆はどこかでそれを待っているのではないか。かくいう私もその一人です。

「ニューノーマル」、「サスティナブル」、「グローバリズム」「ダイバーシティ」、「SDGs」、「都構想」「人生100年時代」などなど、これからの生き方や働き方、仕組みのあり方、価値観や人類の目標を謳ったような言葉が日々新たに製造されては持て囃されていますが、これらはその時々の事象や予測、数値目標を上手く言語化したトレンドワードにしか過ぎません。つまり、こうした言葉は何かを説明するという役割以外では必要とされず、社会に望まれてリバイバルされるようなフレーズでもなければ、我々に活力を与えてくれるものでもないということです。

冒頭で紹介した「OKAYAMA IS VERY HOT HAPPY」は、岡山のスローガンにできるような言葉ではありません。しかし、「燃えろ 岡山」は、またどこかで返り咲くに足る力を持ったフレーズではないかなと思っています。

でも、どうせなら、

センシティブな部分を超越したところにある言葉。
岡山に生まれたこと、住んでいること、同郷人を誇れる言葉。
地域の未来に希望を持つことができ、意欲が湧いてくる言葉。

これらを併せ持った最強の掛け声、普遍的な合言葉を探して、自分たちの代で次の世代に新しいスローガンを託すことができないだろうか。そんなことを考えたりします。

いかに巨額を投じたプロモーションツールも、どんなに大掛かりなキャンペーンも、たった一言、本当の強さを持ったワンフレーズには太刀打ちできません。地域のいまと未来を明るくする上で、こんなにコスパの良い手段は他にないと思います。

だらだらと長くなりましたが最後に、ひとこと。
皆さん、公共物への落書きは絶対にやめましょう!

最後まで拝読くださりありがとうございましたm(_ _)m


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