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犬牽と行く美術館・博物館⑦東京都美術館『Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる』2021/7/22~10/9
※この記事は日本の伝統的なドッグトレーナー〝犬牽〟の目線で美術館・博物館を巡る連続シリーズですが、初めて読む方にもわかりやすいよう犬牽の説明など他記事と重複する箇所が多々ございます。ご了承ください。
○はじめに
今回は久々の美術館、エッセイ・シリーズでは初登場の東京都美術館に行ってきました。
通称〝トビカン〟とも呼ばれる東京都美術館、立地場所はかの有名な上野恩賜公園です。
目の前には東京都恩賜上野動物公園(上野動物園の本名はこんな名前だったんですね)が建ち、ちょっと歩けば国立科学博物館や、このシリーズでも度々取り上げさせてもらった東京国立博物館も。
あとは個人的に交流の深い、東京藝術大学もご近所さん。数え切れないくらい門を潜っておりますので、思い出深い場所ですね。
そんな上野恩賜公園にそびえる東京都美術館にて開催中の展覧会『Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる』を、今回は犬牽の目線で見ていきましょう。
○『Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる』
本展覧会の特徴は、参加しているアーティストの経歴にあります。
例えば木こりの東勝吉(1908‐2007)は引退後の83歳から水彩画に没頭、99歳に亡くなるまで100点余りの見事な風景画を残しています。
プラハ生まれのズビニェク・セカル(1923‐1998)は反ナチス運動の末に強制収容所へ、それを経て後年は彫刻作家として活動するようになりました。
ジョナス・メカス(1922‐2019)はリトアニア生まれですが難民キャンプを転々とし、ニューヨークに亡命後は中古の16ミリカメラを使用しながら撮影を開始します。
(外観を撮るのをすっかり忘れていました・・・こちらはポスター☝)
他にも参加しているアーティストたちの経歴は、一般的な美術教育を受けて成ったというコースからは逸脱しています。
だからこそ、彼らの作品には予想外な表現方法とダイレクトな人生/アーティスト自身が浮かび上がってくるのでしょう。
そんな展覧会の中から今回取り上げるのは、還暦を過ぎてから活動を始めた増山たづ子(1917‐2006)の写真作品たち。
増山氏は自身が住む岐阜県徳山村が将来ダムに沈むことを知ると、テープレコーダーやカメラを使って自然や動物や人々の生活を記録していきました。
そして現在、徳山村はダムの底に沈み増山氏の写真でしか見ることはできません。
それは、そこに収められている犬と人の関係性も同様です。
○徳山村の犬たち
展示されている写真の中には、チラホラと犬の姿を見かけます。
そのほとんどに、リードが付いていません。
村の中をノーリードで、首輪もなく。
雪の中で、眠っている猛者も。
首輪を付けている犬も、リードはなく。
私はこの写真たちを拝見させていただいた時に、とても懐かしい思いが込み上がってきました。
そこに写された犬の姿に、江戸時代の〝町犬・里犬・村の犬〟を思い出したからです。
町犬・里犬・村の犬と個々名称は異なりますが、その実態はどれも同じ。現代の地域猫のように、人々から食べ物や寝床を提供されつつ自由に往来に生きた犬たちのことを指します。
歌川広重の浮世絵にも度々登場しますので、皆さんも一度は目にしたことがあるかと思います。ちなみにエッセイ・シリーズでも取り上げていますので、お時間がある時にでも。
でも、実際に見たことがあるという方はほとんどいないかと。海外(主に東南アジア)ではいまだに闊歩する彼らに遭遇することはありますが、国内となるとめっきりその姿は見ません。
野良犬や野犬はあるという方はいるかもしれませんが、実は町犬とはまったくの別物になります。野良犬や野犬は人間との袂を分かった存在であるため、主に自然地帯に棲み自ら狩りをすることで食べ物を得ます。
一方の町犬たちは漢字からもわかるように、人間の生活圏の中で暮らします。即ち、人間と友好的な関係を築き生活を行っていたことを示します。食べ物を人間側から提供される形で生きていくのですから。
だからといって狩猟能力が落ちることはないことは、江戸幕府に仕えるドッグトレーナー/〝犬牽〟が彼らの中から〝鷹狩〟にて獲物である雉や鶉を追う〝鷹犬〟候補を迎え入れていたことからもわかりますね。
犬牽はそんな町犬として生きた半生を大事にし、迎え入れてからも変わらず自由な生活ができるように対策を心掛けていました。犬がしたいことを無視することなく実行し、野外も好きなだけ犬の意思のままに闊歩。そして犬としての本能が矯正されることのないドッグトレーニングが行われていたのです。
しかし、そんな町犬たちとの関係性も明治に入れば狂犬病対策の名の下に、その概念ごと徐々に姿を消していきました。
かの有名な民俗学者・柳田国男(明治8年(1875)‐ 昭和37年(1962)は著書の中で、こんな言葉を残しています。
「薬師堂の床下は、村の犬が仔を産む場所で、腕白大将の私が見に行くと、いやでもその匂いを嗅ぐことになった。そのころ犬は家で飼わず村で飼っていたので、仔が出来る時はすぐに判った。」頁.28
現代では、もう戻って来ない風景。
実際、当時の徳山村の犬たちも誰かの犬という認識で暮らしていたと思います。
しかし、ノーリードで闊歩するその姿にはスンッと町犬たちのニオイが立ち昇ってくるのです。
隣り合う野性として、その権利を尊重していた時代の香りが。
江戸時代の町犬たちを資料を通じて見てきた私にとって、彼らは当時の香りを感じる懐かしき存在だったのでしょう。
〇最後に
現代を生きる犬牽としてリードは付いていてもその先は町犬と同じであってほしい、そう思いながら日々犬と向き合っています。
今回の展示では町犬たちのニオイと懐かしさを感じることができ、また一層気合を入れることができました。
何より増山氏の活動が、写真が、こうして当時の、それまでの脈々と連なる空気をパッキングしてくれたことの尊さを感じています。
江戸時代の犬牽が伝書を残したように、後世に今を伝えることの大切さを嚙み締める今日この頃ですね。私も、そうでありたいものです。
ではまた、どこかの美術館・博物館で。
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