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ヒトは自分自身のやっていることを案外わかっていない

知的と思えるような行動をとるのは人間だけではありません。たったひとつの細胞からなる粘菌だって、迷路の最短経路を探し出したりします。こういった行動は、粘菌が置かれた環境のなかで生き抜くための、いわば原始的な知性のようなものだと考えられます。
中垣俊之著、ヤマケイ文庫『考える粘菌 生物の知の根源を探る』では、単細胞の粘菌を通して、そのような生物の知性の出自に迫っていきます(※本記事は同書籍の第1章「単細胞の情報処理」からの抜粋です)。

(以前の記事はこちらから)

生きものの情報処理

単細胞には脳がないのにどうやって情報処理をするのでしょうか? 問題を解く賢さはいったいどこにあるのでしょうか? 生きものの問題解決能力やその方法については、まだまだわからないことだらけです。

自分自身のことですら、よく考えてみるとわからなくなることがあります。読者の皆さんは友だちの顔を見て、「あっ、だれだれだ」とすぐわかりますが、どうやって顔の特徴を捉えているのか他人に説明できますか? 説明できないけれど、間違えることなくやれてしまいます。不思議な気がしませんか?

©︎StevePell / iStock

もしあなたが野球をやっているなら、飛んでくるフライを走っていってキャッチすることがあるでしょう。ボールが落ちてくるところが、どうしてわかるのでしょうか? こういうこともまだよくわかっていません。仕組みや方法はよくわからないけれど、生きものはさまざまなことを上手にこなしています。生きものの情報処理の仕組みは、謎だらけです。

情報処理の方法として、パソコンで実施しているように、集中管理的に行うやり方があります。パソコンの中には、CPU〔中央演算処理装置〕と呼ばれる中心的な処理ユニットがあって、それが全体を完全にコントロールしています。CPUはいわば司令官です。

司令官は全体の動向を監視していて、どうすべきか判断し、各人を動かします。ですから、各人は命令がくるまで動きません。また、動けません。司令官の能力を超えない限り、システムはうまく作動します。非常にきちんと作動します。しかし、想定外のことが起きたり、さまざまなことが同時に起きたりすると、司令官の判断と指令が追いつかず、システムは破綻してしまいます。

これを克服するにはどうすればよいか?

各人にも、もう少し自律性を持たせ、自発的な判断を行わせてはどうか、と考えたくなります。このような考えを突き詰めて、「司令官はなし、各人自律的に動くのみ」としたやり方を、集中管理方式に対して「自律分散方式」といいます。

いや待てよ、「各人が自律的に動くとなると、全体としての調整というか、調和や秩序は大丈夫ですか?」と不安になります。事実そのとおりで、システム全体が烏合の衆と化し、なんら機能を発揮できずに破綻する可能性も大です。

しかし不思議なことに、自然界では、自律分散的にうまく作動するシステムがたくさんあります。全体を見渡している司令官がいないようなシステム、そして各人が自律的に動いているシステム、それでも全体がうまく作動するシステムです。

©︎inusuke / iStock

水族館で、イワシの群れがダイナミックに形を変えながら泳ぐ様子を見たことがあるかもしれません。イワシの群れには決まったリーダーがいないのに、大きな魚に食べられる危険を少しでも回避できるように、うまく機能しています。一つの典型的な自律分散システムです。アリが行列をつくるのもまた別の一例です。このようなシステムから、自律分散性でうまく作動するシステム制御の方法を探り出そうという研究が活発になされています。

一般に、生物の情報処理は自律分散的です。「異議あり! 脳は中枢神経系ではありませんか?」といわれるかもしれませんが(それはそうなのですが)、脳自体の中には司令塔となるような中枢は(たぶん)ありません。むしろ、脳は同様な要素の並列回路(神経細胞のネットワーク)からなっていて、情報処理はそれら同質要素の相互作用に基づいています。そのような認識に立って、並列計算機としての脳が研究されています。

一方、脳や神経系を持たない原始的な生物ではどうでしょう? そのような生物では、身体運動そのものが何らかの形で情報処理の過程を担っていると考えるのがむしろ自然でしょう。目に見える形で現れる身体運動、特にアメーバでは原形質と呼ばれる粘った物質の運動を捉えると、そこには情報処理の過程も「もれなくついている」と期待できます。

今、あっさりと当たり前のように「身体運動が情報処理を担う」と述べました。じつは、これはたいへん大胆な見方です。脳や神経ではなくて、体が脳的な活動をするといっているわけですから。「体が考える!?」ということまで暗に主張しています。しかし、進化の歴史を振り返れば、神経系が現れたのはずいぶんと後になってからのことで、それまでの生きものはずっと神経なしに情報処理をしてきたのです。

意図的行動の特質

ここでヒトの知性について振り返っておきましょう。もともと知性という言葉は、ヒトを対象にしてつくられたものだと思われます。ヒトには意識、さらには高度な言語能力があります。これらを存分に使いこなしてロケットやスマートフォンなどの文明の利器をつくりあげてきました。

意識や高い言語能力は、ヒトがいるその場所そのときから自由に移動することを可能にします。移動といってももちろんバーチャルな意識世界での移動です。つまり、この先のことや遠く離れた場所の状況を見渡しながら、その中で自分がどうするのがよいかを選ぶことができます。いわば、自分の行動シミュレーションです。こういうことが高度にできるところが、ヒトの秀でた知ではないかと思います。ですから、意識や言語をぬきに知を考えることは馬鹿げているとさえ思えます。

その一方で、ヒトは自分自身のやっていることを案外わかっていないという逆の面もあります。たとえば、これまでにも述べてきた、ヒトの顔の認知や野球のフライボールの捕球動作などもそうです。また、脳科学の進歩とともに、「私という意識(awareness, consciousness)」の実に頼りない面が次々に明らかにされています。

私という意識にまつわる意外な話は、近年の認知科学では枚挙にいとまがないほど報告されています。デイヴィット・イーグルマンの『私の知らない脳』を読んで、たいへん驚きました。また、行動経済学では、人の行動がそれほど合理的でもなく、多様な認知バイアスに強く支配されていることを明らかにしています。ダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』という本を読んで、驚きました。自分のことはあまり信用しない方がいいかもしれないと思うようになりました。

自分のことは自分でよく把握していて、自分のことは自分で思いどおりに動かしている、という常識的感覚からすれば、なんとも薄気味悪いものです。しかしながら、よくよく考えてみれば、多くの情報処理は無意識にやっています。「私の意図や意識」などというものは、人間の精神活動全般からすれば、ほんの一部であって、水面上に顔を出す氷山の一角みたいなものだというわけです。そこで、意識や言語能力を前提としない情報処理のあり方というものを、生物種を広く見渡しながら考える必要があります。

このような考えから、この本では、意識や言語を必ずしも必要としない知の側面に注目します。そして、その根本を追求するためにこの本では粘菌(単細胞性の真核生物である原生生物の一種)にスポットをあてます。

単細胞の知性を研究するといっても、上記のような人間レベルの「知性」とは、大きなギャップがあります。私たちが目指したのは、そしてこれからも目指すのは、人間が人間らしいと思うような行動の芽生えを、単細胞に探すことです。

単細胞の知性の研究は、「私って何?」という素朴な疑問を出発点にして、進化の道筋をどんどん遡って、その源流をたどってみよう、という探検です。人の知性とはやはり大きなギャップがありますので、誤解の無いように細胞レベルで現れる知的なるものの原型、もしくは出発点のようなものを、原始的知性とか原生知能と呼ぶことにします。そしてひとまず、必ずしもヒトの行動との比較を必要としないという立場で、この原生知能を探究していきます。そして、最後の章で人の知性との比較を検討してみます。


単細胞の粘菌を通して、
生物の“知性”の根源に迫る!

内容紹介

生物が知的であるとは、どういうことでしょうか?

単細胞生物の粘菌は、脳も神経系もないにも関わらず、迷路の最短経路を探し出したり、人間社会の交通網にそっくりのネットワークを作り上げてしまいます。
「遭遇する状況がどんなにややこしくて困難であっても、未来に向かって生き抜いていけそうな行動がとれる」
知性をこんなふうに捉えてみると、単細胞の粘菌でさえも、その場のややこしさに応じた知的と思えるような行動をとるのです。

このようなすぐれた行動が、単細胞の粘菌からどのように生み出されるのか。私たち多細胞生物にもつながる「知的なるものの原型」を粘菌に探ります。

※本書は二〇一〇年五月に発刊されたPHP サイエンス・ワールド新書『粘菌 その驚くべき知性』を加筆修正のうえ、文庫化したものです。

著者紹介

中垣 俊之(なかがき・としゆき)
1963年愛知県生まれ。北海道大学電子科学研究所教授。
粘菌をはじめ、単細胞生物の知性を研究する。
北海道大学薬学研究科修士課程修了後、製薬企業勤務を経て、名古屋大学人間情報学研究科博士課程修了。
理化学研究所基礎科学特別研究員、北海道大学電子科学研究所准教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部教授を経て2013年より現職。
2017〜2020年北海道大学電子科学研究所所長。
2008年、2010年にイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』(文春新書)、『かしこい単細胞 粘菌 』( たくさんのふしぎ傑作集) など。


目次

まえがき

第1章 単細胞の情報処理

細胞と核とゲノム
細胞のモノとココロ?
単細胞の動物行動学

生きものの情報処理
意図的行動の特質
細胞は生命活動の原点
ヒトが単細胞になるとき

第2章 粘菌とはどんな生きもの?

ライフサイクル
収縮リズム
味覚
嗅覚・視覚・触覚ほか
発育をうながす環境
モデル生物としての粘菌

第3章 粘菌が迷路を解く

ちょっとした困惑──餌があっちとこっちに
最短経路の生理的意義
短い経路を選ぶ──迷路でも?
適応ネットワークモデル
付録──粘菌解法の数理モデル
行動の多様性
粘菌解法の生物らしさ
粘菌が解いたといってよいか?

第4章 危険度を最小にする粘菌の解法

危険度が非一様な空間での経路探索
危険度最小化経路
海水浴場のライフセーバーの問題とスネルの法則
粘菌の解法──適応ネットワークモデル再び
付録──モデルのもう少し具体的な説明
粘菌解法の応用──カーナビゲーションシステム
組み合わせ数の爆発の恐ろしさ
フィザルムソルバーの特質その1──大雑把さ
フィザルムソルバーの特質その2──渋滞への適応性
粘菌の適応ネットワーク形成のアルゴリズム

第5章 両立が難しい目的をバランスさせる粘菌の能力

シュタイナー経路
ネットワーキングのバラエティ
三つの指標
粘菌ネットの多目的最適性
粘菌の多目的最適化手法──適応モデル三たび
モデルのシミュレーション
関東圏の鉄道網を粘菌に設計させたら
地形のバリエーションを取り込む
粘菌とJRの不思議な類似性
シュタイナー問題への応用
適応ダイナミクスの共通性

第6章 時間記憶のからくり

周期的環境変動を予測することを示した実験
周期性の想起──実験その2
時間記憶能の生理的意義
時間記憶のからくり──共振
粘菌の多重周期性
一連振り子モデル
位相同期モデル
位相同期モデルのからくり
「エジプトはナイルの賜物である」

第7章 迷い、選択、個性

粘菌の逡巡行動を示す実験
ハムレットの逡巡
逡巡行動のからくり
先端部の雪だるま式発展
マッチ棒の延焼モデル
迷いとパチンコ

第8章 粘菌の知性、ヒトの知性

生物と物理
意識と無意識
高度な言語能力のなせる技
考えずに考える粘菌
知は環境の鏡
原生知能の行動力学方程式
細胞の不思議──微細藻類にみる旋回遊泳と多細胞性
多細胞生物へと受け継がれる単細胞の行動能力

あとがき
参考文献


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