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自分を認めるための学び

ふと思ったことをシェアする。

子どもは本能的に注目行動をとることがある。

大人が困ることをすると子どもは怒られる。
怒られたら自分に注目が集まる。
そうなると相手をしてもらえているとか
自分は注目されている大切な存在であるとか
愛されているということが実感することができる。

子どもにとって
自分は関心を持てもらえない存在
と感じることは
命の危機を感じるほどの恐怖だったりする。

自分の力だけでは生活を送れない。
衣食住が確保できない。
食べられない=生きられないと思うから。

子どもはとにかく大人に見ていてほしいのだ。

注目されることが気持ちよくて
よくない(怒られる)行いをくり返す。

これは周りにいる困った子どもの話ではなく
過去の自分の話だ。

こうやって言語化すると
怒られるようなことばかりしていた
自分を認めることができる。

「なんで言われたとおりにできないの」
「また失敗した(また忘れ物した)」
「何度言えばわかるの」
「いい加減にしなさい」

自分にこう言わなくて済む。

絶対に認めたくなかった
自分では気づいてなかった

見てほしい気持ちも
かまってほしい気持ちも
わかってほしい気持ちも
愛してほしい気持ちも

別にいいじゃないか。

生存本能が正常に機能していた証拠なのだ。


ふと思った話に戻す。
(また脱線してた)

「見てほしい」という欲求が
心の奥深くにあるから
異様に人の目を気にするのかな?

と、ふと思った。

「見てほしい」と同時に
「見られるのが怖い」という気持ちもあるのだ。

見られることは
監視されるとか見張られるという表現が
なぜかしっくり来る。

わたしは
注目行動をくり返していたけど
同時に注目されるのが怖い。

自分でもどっちやねーんと
ツッコミたくなるが
こういった両極端をもつのが人間。

興味深くて、おもしろい〜。

NEO心理学
ACカウンセラー 山下 あいこでした。


ありがとうございます。
満席となりました。
※今回、追加募集はありません。

8月の満月🌕️🫣

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