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「不安症なわたし」卒業のための意図的な感謝


最近感謝することを習慣にしている。

なぜかというと、不安症な自分を根本的に治すため。

完全に意図的&戦略的。

そして「意図的」ということ自体、わたしは些細なことで感謝できない鈍感な体質であるということ。

まぁそんな話は置いておいて。

・一人で自活できるほど稼いでない不安
・一生独りのの不安
・人間関係の不安
・仕事の不安

地獄と思えた会社員時代から振り返ると、今の生活なんて贅沢すぎて当時のわたしにどつかれそうだし、

さびしくて死にそうだった海外1人生活(ワーホリ)時代から見たら、今は幸せすぎる環境にいるのだろう。

でも毎日毎日溢れ出して止まらない不安。

そう、わたしにとって不安に感じることは昔からデフォルト設定なのだ。
不幸体質あるいは悲劇のヒロインちゃん。

ということは、環境がどれだけ良くなろうと、今の不安が仮にすべてなくなろうとも、また次から次へと不安に感じることをわざわざ拾い上げて不安がっているのだろう。

本当はたくさん幸せが転がっているはずなのに。

いつからこんな性格になったのだろう。
すくなくとも小学校高学年のときにはすでに今の自分だった。

失敗したらどうしよう
怒られたらどうしよう
引かれたらどうしよう

そんな考えがわたしの意思決定や行動をすべて司った。

ポジティブな言葉が並べられた詩集
慰めてくれる心理本
気持ちを落ち着けてくれるエッセイ

不安な気持ちになるたびに、どうにかそれを消し去りたくて上記のようなものたちに頼りまくった。
有料・無料問わずヒーリング動画もたくさん見たし、カウンセラーのラジオを聞きながら寝る夜少なくなかった。
好きになる男性は傲慢すぎるくらいが不安を和らげてくれて、依存してしまうような心地よさがあった。

でも相変わらずわたしの生きづらさはなくならなかった。
改善するどころか、年齢を重ねてだんだん悪化してきたようにも思う。
そう、根本がかわずに何をしても無駄なのだ。

もう対処療法じゃなくて根本治療をしなきゃ、どうにもならないんだ。
そう思ってようやくこれまで見ないようにしていた、自分の心の弱い部分を改善していこうと心に決めた。

わたしを生きづらくさせているのは間違いなく自分だ。

「ある」ことよりも「ない」ことにばかり目がいって悲観的になる
自分が嫌いで認めたくない

わたしの根幹にも関わるくらい、幼少の頃から根深くのさばり続けたこの考え方を変えようと思った。

そうでなければ、たぶん一生幸せになれないと思うから。
幸せになれないというより、幸せに気づけない人生を送ることになるから。

具体的にやろうと決めたことは3つ
・毎晩アラームを設定して「自分を認める時間」を2秒作る
・不安な気持ちになったら感謝できることを無理やり出す
・自分の人生で大切なことを朝眺める

どの本にもどのwebサイトにもどの講演会も、解決方法はだいたい同じことを言ってるのだ。

それは、
「自分を好きになること」
である。

それは
・自分をねぎらうこと
・できない自分を責めないこと
・自分を粗末に扱わないこと
だったりする

まだ初めて1ヶ月も経たないけれど、気持ち的には幾分マシだ。

この先一生こうして半ば強制的に不安症と向き合っていかなきゃいけないのかもしれない。
けれど、自分を救ってあげられるのは自分しかいないのだということも薄々わかっている。

だったらもうあきらめて、向き合ってみよう。

弱い人間だと認めてみよう。

嫌い、嫌われることにokを出そう。

最近のわたしはそんな風に考えています。

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