30年“前”の限界集落から、30年“後”の限界集落を考える。
突然ですが質問です。
あなたはこれを見て、何を感じますか?
写真を上下に並べていますが、これね、ほぼ同じ場所なんです。
西都市内にある「寒川集落」という場所。
1989年3月、この寒川集落は集団離村により、400年の歴史に幕を下ろしました。
(※厳密にはその後もお住まいになられていた方はいらっしゃったそう)
いわゆる「廃村」というやつです。
それでは改めて問います。
あなたはこれを見て、何を感じますか?
悲しいですか?
寂しいですか?
虚しいですか?
悲しいですか?
寂しいですか?
虚しいですか?
正直、これを見て情緒的・感傷的になるのは、誰にでもできます。
でも、誰も動かない。動かないからこの現状があるのです。
集落を離れた人たちは、果たしてどんな想いで離村をしたのか?
その想いを想像できない人たちに消費させてしまっていいのか?
この寒川集落、僕も実際に足を運んだのですが、ビニール袋や空き缶などの真新しいゴミが放置された状態になっています。
どこの誰が捨てたのかはわかりませんが、想像は容易にできます。
あくまで“想像”なので、述べませんが。
本当にこのままでよいのか?
地域文化の編集者になる
こんな、いたたまれない気持ちになるのはもうこりごりです。
「そんなの、ビジネスにならないよ。」
「そんなの、放っておいても僕らには影響ない。」
「やろうとすると、色々大変よ。」
わかってます。
でも、こんな想いをするのはもうたくさん。
人口減少の一途をたどるこの日本。
30年も前の限界集落は、ありがたくもそんな日本の未来を示してくれているのかもしれません。
だからこそ、ここから学ぶものは多い。
限界集落でなくなりそうな地域があるのであれば、産業を創ったり、今ある文化を編集することで、後世へ繋げられるかもしれない。
万が一なくなった地域や文化があったとしても、編集し、旗を立てることで、しょうもない消費のされ方は回避され、尊厳が守られた状態で利活用されるキッカケが生まれるかもしれない。
僕は、この寒川集落のことを見ていると、そう感じざるを得ないのです。
一緒に30年後の地域文化のあり方を考えてみませんか?
きっと、一人ではなかなかできなかったことだからこそ、この状態で残ってしまっていると思うのです。
なので、僕には仲間が必要です。
美しい風景、生活、文化を“再編集”して、後世に残すためにも、僕の仲間になってくれませんか?
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