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「頭の体操」他(通常号 第27号・2002年10月4日発行)

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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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-----------------------通常号 第27号・2002年10月 4日発行 ----
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☆今週は、低学年トラック
1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「りぼん」より
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★マンガを一緒に見よう

 テレビの功罪については、とやかくいわれてますが、今日は、子ども達の大好きな“マンガ”について考えてみます。

 マンガといっても、“巨人の星”から、“トムとジェリー”“フランダースの犬”“みなしごハッチ”“サザエさん”仮面もの、怪獣ものと、いろいろです。

 どれがいいとか、これはすすめたいとか、野暮はいいません。今日は、そんなことより、お子さんの大好きな“マンガ”を一度、一緒にご覧になって、こんな話し合いをしてみてはいかがでしょう、という提案です。

 ◎マンガって、どうやってつくるのだろう。
 ◎本のマンガとちがうところは、

 — 動くところ —
 — 声や音が聞こえるところ —
 — 一回きりなこと —

 ◎誰が、お話しをつくったのだろう
 ◎誰が、絵をかいているのだろう
 ◎誰が、声を入れてるのだろう
 ◎誰が、音楽や音をいれてるのだろう
 ◎誰が、映画のようにうつしているのだろう

 といった、漫画映画のできるまでのようすを、折にふれて教えていくこと。ただ瞬間的に「すじ」や「うごき」の面白さにのみ、とらわれた観方をしている現状を一歩進んだ観方にすることでしょう。

 また、もう一歩進めて、「ハッチ」の勇気や行動、ネロとパトラッシュの生き方や、その時代のその国のようすなど話し合ったり、その作品の底に流れるもの、根性とか、友情とか、夢とか、勧善懲悪とか。そうしたものを心の栄養として吸収していける(いくような)観方などできるようになれば、立派な学習とさえなります。

 さあ、おかあさんも一緒にマンガをみましょう。

(1975年10月6日)

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★漬物

 母は、好き嫌いをせずに何でも食べなさいと「けっして」言わなかった。それは、好き嫌いなどしていたら、三日も持たぬほどの時勢であったことももちろんだったけど——。母は漬物が好きでなかった。母は、今は買物公園となっている平和通り(当時は師団通)の五条で時計屋をやっていた大野という家の長女だった。母の母、つまり祖母は、母の漬物嫌いを治そうと、母の小学校時代、高女時代(庁立高女。今の旭川西高の前身)を通して、しばしば漬物だけの弁当を持たせた。母は、漬物をふたつきの机のすみに誰にも気付かれぬようによけて、ごはんだけをたべて帰宅した。たまりにたまった漬物は、教室中に臭気を放ち、やがて先生に知れることとなり、祖母に
通告。「タイヘンナ、サワギダ!」というところ。でも母は、き然として、“きらいなものはきらいです!”

 母は、「ジャンバルジャン」や「フランダースの犬」や啄木や藤村など、私の小さなころから話してくれた。本を買ってくれる余裕がなかったかわりに、話をたくさんしてくれた。テレビはもちろん、ラジオさえ、私が就職して二年目、先輩の先生のお世話でやっと買った程度の貧乏百姓。母の女学生時代、教員時代(当麻、比布、旭川)を通して得た、心の糧のかずかずを、私はその思春期ともいえる時期までに享受した。(いや、薫陶を得たというべきか。)

 漬物の時期になると、私は、母の言葉なき、父への抵抗を想い起こす。父は、(紙面不足で説明不足となるけど)漬物と味噌汁で育った。新潟からの開拓者の(愛別の)水呑百姓のこども。母は、旭川の目抜通の大店のムスメで庁立出、漬物ギライ。味噌汁はおいしく、いつも食卓にのったが、漬物は、父が“漬物は?”というまで、有っても出さない。重石をよけて、ヘビかなにかをつまむ気持で、大根を持ち上げ、そっぽをむいて、指を切っても大根の方を見ないようにして澤庵を出していた母。いやいや漬けて、いやいや出してくれる漬物が、うまかろうはずはない。私は、漬物だけはいつもヨソでごちそうになるものをおいしいと思って育った。それは、たったひとつの母への不満ではあるけど、大好きな母の為、父への抵抗としてか、私は漬物は私の手で材料を吟味し、私の手で漬けている——。

(1975年10月13日)

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★頭の体操

 今日は、ひとつ、おかあさんに中学時代に戻っていただいて、頭の体操といきましょう。

 次に、短歌を二首書きます。よく読み味わって、問いに答えて下さい。ちなみに、この問題は高校入試のテストの一部です。


  ☆次の歌を読み、親が子を想う歌にA、子が親を想う歌にBを( )の中に入れなさい。

( )ふと涙こぼれ落ちたり母上に
     すそからそっとふとんをたたかれ

( )父君よ今日はいかにと手をついて
     問ふ子を見れば死なれざりけり


 もうひとつ、国語は弱いが、算数ならというおかあさんに。

(http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20021004#zuhan)
(※発行者注…図を見るには、ここをクリックしてください)


  ☆上の図で、A点からB点に行くとき、太郎くんは大きな半円を、花子さんは小さな半円の方を、二人同時に、同じ速度で歩いていくと、どちらが先に着くでしょう。






<注>この問題は、小学三年程度です。ガンバレ! オカァーチャン!

(1975年10月18日)

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★「いい男だねー」

 友人のMは、かって六年間同僚であったというだけでなく、演劇の仲間であり、詩や児童文学論の敵であり、京都で三年もつづけて「へそ」を見せ合ってすごした仲。なおかつ、赤提燈の探訪者であることも必定。アイヌ文学で直木賞候補となった三好文夫氏の自稱内弟子気取りでいることや、落語に傾注し、落語のもつ文学性を追求し合って、口論を繰り返している、いわば私のポン友のひとり。

 どちらかというと、私は単純ですぐカっとなる単細胞。彼は“マア、マア、待て待て”といつもブレーキ役をしてくれる、そんな調子の彼なのだが——。

 あれは、いつごろだったろう。どちらからともなく二人の足並みがそろい、例によって赤提燈の「のれん」をわけたある夜のこと。

 “やあ、おれもヤキがまわったかなぁ”とため息。
 “どうした? 奥方と一戦やったのか”と聞くと、
 “それさ、……”としばらく目を閉じる。

いつも、“うちのワイフがねェ……”と「きかせる」彼のこと。まさかと思ったが——。

 昨夜、テレビの大岡越前を見ていた。彼は「黒」をチビチビ、奥方はソファでノンビリ。ムスコクンはもうスヤスヤ……。何の変哲もない平和な家庭の平凡なサマ。

 ドラマは大詰。

 裁きの場。「大岡越前守様おなりーぃ」てんで、「ふすま」が開いて、加藤剛ふんする越前守が、静かに出てくる——。その場面で彼の奥方様が、

 “ウーン! ホントにいい男だねぇー!”と声を潤ませて嘆息?したという。この時おそくかの時早く、Mの右手がうなりを生じて、奥方様の「いと」ふくぶくしき左頬にはじけたという——。そのごの二人のやりとりは想像するまでもない——

 彼の振った鉄拳は、奥方への無限の愛の「こぶし」であろうと私は理解してやりたいが、今はやり?のナントカピレンの人たちなら、何とおっしゃるだろうか。

(1975年10月25日)


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☆来週は、5年生トラック
1981年度北海道富良野市立鳥沼小5年学年通信「つながり」より

☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。

山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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 ◆編集後記「千鳥足」◆

 発行直前まで、最後の「★『いい男だねー』」は来月第1週に回そうと考えていました。ところが、11月第1週も長くなりそうなのです。考えて、計4編としました。非常に長くなりました。読む気が失せてしまうかもしれません。そういった方には、ぜひ、日本語文章の読み上げソフトの活用をお勧めします。私が使っているのは、愛機バイオにもともと入っていた読み上げソフトウエア「シンプルスピーチ」(http://www.vaio.sony.co.jp/software/VoiceStyle/k_mail.html )。時々、変な読み方をしますが、大意はつかめます。このメルマガの校正にも活用しています。


 さて、今回は、初めて図を掲載しました。「★頭の体操」の中ほどの図=メールマガジン版の読者の皆さんは、リンク先をクリックしてみてください。ウェブ版で読んでくださっている方は、掲載した図がそれです。山口“悟風”智がガリ版刷りの学年通信「りぼん」に載せたものを見て、私がパソコンのお絵かきソフトで描いてみました。

 実を言うと、「りぼん」に実際に載った図をデジカメで撮影して載せようかとも考えました。ただ、紙がわら半紙で、見にくい▽図の線が細い▽図そのものが単純なので、お絵かきソフトを使ってみようと考えた——という次第です。もともとの図も、手がきらしく、曲線を何度かなぞった跡があります。ガリ版は、直線なら描きやすいのですが、曲線をきれいに描くのは難しいようです。パソコンのお絵かきソフトに慣れている人ならば、こんな図は簡単に描けるのでしょうね。でも、私は普段、使う必要がないので、描き上げるまでちょっと試行錯誤しました。

 #答えが分かった方は、発行者( yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp )にメールでお送りください。#


 「★『いい男だねー』」には、そのまま読むと、分からない部分が多いと思います。父は生前、晩酌で酔った時に、この話を家族にしていたことがあります。「居眠りしていたMがな、ガバっーて飛び起きて、パシーンって、奥さんのほっぺた、たたいたんだとよ」「あのころ、ハンサムって、言葉もなかったからなぁ」などと言っていた記憶があります。

 TBS・毎日系の時代劇「大岡越前」は、製作会社のC.A.L(シー・エー・エル、https://www.cal-net.co.jp/ )のサイトを見ると、第1部は1970年3月からの放送だそうです。父が朋友M先生と同僚になった旭川市立向陵小学校に勤務していたのは72年3月までですから、M先生の「鉄拳」は、第1部(1970年3月16日〜9月21日)か、第2部(1971年5月17日〜11月22日)放送時のことでしょう。ただ、この放送時期は、関東地区のものでしょうから、北海道放送(HBC)での放送時期は、いくらか、ずれているかもしれません。
 この番組のすごいところは、「いい男」加藤剛さんが第1部から30年以上にわたって、ずっと主役の大岡越前守忠相の役を務めていることでしょう。また、制作会社のC.A.Lがすごいのは、「水戸黄門」「江戸を斬る」「木枯し紋次郎」なども、制作していることです。驚きました。

 次に、父とM先生が「京都で三年もつづけて『へそ』を見せ合ってすごした仲」というところ。2人とも教員採用後、京都にある佛教大学の通信教育を受け始め、夏休みにスクーリングで同じ宿に泊まったという意味だと解釈します。北海道学芸大旭川分校(現・北海道教育大旭川校)2年修了で教員になった父は、上級の教員免許を取るために通信教育を受けていたことがあります。遺品の辞書には、勤務校ではなく「京都佛教大学」の学校名を書いてあるものもあります。

 それから、「彼は『黒』をチビチビ」の部分。初めて時、私はウイスキーの「ジョニ黒」(ジョニーウォーカー黒ラベル)かなと考えました。しかし、「ジョニ」は、「黒」も「赤」も、70年代の北海道の公立学校教員には高価だったはず。となると、北海道で人気のあるニッカウヰスキー( http://www.nikka.com/ )の「ブラックニッカ」なのかな、と思っています。ニッカのキャンペーンページ(http://www.nikka.com/event/2002campaign/main.html )に載っている商品一覧に出ているブラックニッカのボトルの絵なら、うちでも見たことがあります。

 「ナントカピレン」とは、中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)のことでしょう。中ピ連は、薬事評論家の榎美沙子さんを中心に、72年に結成された団体です。ピンクのヘルメットをかぶって、女性解放運動をやっていましたのを、テレビなどで見た記憶があります。77年に日本女性党を結成し、参議院選挙に候補を出しましたが、惨敗。以降、マスメディアにも出なくなりました。


 「★母と漬物」に出てくる「母」は、父にとって「育ての母」です。第9号(2002年5月31日)の「千鳥足」をお読みください。ただ、今号の文中に1カ所誤りがあります。「新潟からの開拓者の(愛別の)水呑百姓」という部分は、正しくは「新潟からの(現在の旭川市永山地区の)屯田兵」です。祖父の一家が、永山に近い上川郡愛別町にも住んでいた時期があったそうですが、この記述は、正確さを欠きます。


 「★マンガを一緒に見よう」は、第23号(2002年9月6日発行)に掲載した「★すばらしい先生」と同様、発行前の読者募集時に公開したものです。今回、もう一度原典に当たって、手直しして掲載しました。この号を書きながら思ったのですが、ここで父が提唱している方法を、無意識のうちに私は、このメールマガジンでも採用していますね。分からないところを調べて、「千鳥足」を書いています。

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 「おことわり」 今号から第1週発行分の学年通信名を「りぼん」に修正します。今さらながら気づいたのですが、学年通信の名前がカタカナ「リボン」から、ひらがな「りぼん」に変わっていました。恥ずかしいことに、5月に! つまり、「おかあさんへの手紙」でいうと、創刊の2002年4月5日号は「リボン」でしたが、第5号・2002年5月3日発行以降の第1週発行分はすべて「りぼん」。失礼いたしました。

(発行者・山口一朗)

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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
        yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「JR宗谷本線・風連駅駅名標」ヨッシー宙船さん撮影。
旧風連町(現・名寄市風連町)にあるJRの駅です。この写真は「photoAChttps://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。

■「おことわり」

 ☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
 「★頭の体操」で紹介した算数の問題の図は、honya.co.jpのサイトでの「おかあさんへの手紙」掲載が終わったため、リンク先の図に飛べなくなりました。また、私から22年前にhonya.co.jpの編集者に送ったメールも見つかっておらず、この復刻版では載せることができませんでした。「おかあさんへの手紙」の原本も手元にないため、原本を再確認して、原図を複写できるようになったら、こちらの号を修正して載せるようにします。ご容赦ください。(編集者・悟風のムスコ)

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