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「遠足」他(第9号・2002年5月31日発行)

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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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------------------------------- 第9号・2002年 5月31日発行 ----
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☆今週は、低学年トラック
 1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「リボン」より
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★遠足

 真夏のような好天に恵まれ、春の遠足は、放牧の牛を見たり、三軒に一台は購入されたという田植機による田植を見学したり、おかあさんの心づくしのお弁当を腹一杯食べたりで楽しい一日でした。

 一年、二年、三年と緑町公園は、この日子どもたちの歓声が溢れてました。

 一時すぎに、農協のところで解散。三々五々、散っていきました。私が校舎に着いたとき、一年生が恰度、サヨーナラと散るところでした。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ムスメが一年生です。スリップ一枚になって脱いだ上衣をブラブラさせながら、グランドを横切っていく姿を見ながら——

 「タダイマー。オカアサン、アノネ、○○チャンガネ……」と話しかける相手は、この子にはいない。
 「タダイマー」と入っても、閉めきった部屋のむせかえるような、こもった空気が、この子の疲れたであろう体をくるんでしまうだけ——。

 母親がいない。いないと知っている。父は今、自分がそばを通っているのに“おとうさんはお仕事だし”とあきらめ切ってふりむきもしない。

 職員室の窓から、玄関のドアをあけて入っていったムスメを見とどける。バタンととじたドアは、でも、もう開かない。

 五分、七分と辛抱したけど、私はついに家に走った。“オカエリ、オモシロカッタ”

 せめてひとことで声をかけてやろう。

 “このチョコね、二年生のおねえちゃんにもらったの”と渡してやろう。でも、ムスメは茶の間に座ぶとんを二枚しいて、スリップのま丶、もうねむってしまっていた——。いつも、おかあさんのいない農家の子や、つとめに出ている家の子に比べればと自分にい丶きかせて、戻ったのでした。

(1975年5月30日)

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★体育教諭は元虚弱児

 私は、虚弱児というか未熟児というか、ひとりで歩けるようになったのは四才の時です。普通のお子さんは、誕生前後にヨチヨチ始まるのですから、オクレテルーといったところです。

 母は、私を生み落して、ロッカーもなかったのでしょう。キリストのように馬小屋に置き去り。私は牛乳やめん羊の乳までのんで育ったそうです。ギョロ目のところと声がわるいのは、そのせいらしいのです。

 そんな私でしたから、学校に入っても弱虫の泣き虫。運動会などというヤバンなことをなぜ、みんなワァワァとよろこぶのだろうと幼ない心はユガミ通しでした。

 ところが、中学生になったころから、牛や山羊やめん羊の乳の効果が出て来たのか。田植や稲刈、はだか馬にのりまわしたこと(ホントですよ。私は高校時代、馬術クラブをつくって、帯広畜産大学まで行ったことがあるのですぞ)など、自然の空気をタップリ吸って育ったせいか、グンと逞しくなりました。

 中体連の砲丸投の選手にえらばれ、いきなり優勝。イザリだった私は体育を専攻し、陸上競技では一応、全道二位、三位と入賞する程になったのです。百米のベストは十一秒四です。

 自己宣伝をするつもりでなく、お子さんの中で走るのがきらいな、不得意な子がたくさんいるはず。そんなお子さんへの励ましの材料とでもなればと思い、恥をしのんでおたよりしました。不一。

(1975年6月13日)

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★オマタセシマシタ!! A先生 着任す。

 昭和26年、裁判官(判事)をお父さんとして倶知安町に生まれる。以後 小学校を苫小牧市、中学を帯広市、高校を函館市、大学は釧路市と、それぞれ優秀な成績で卒業。趣味は?と聞くとギター、テニス、それとパチンコという。文字通り「ギターを抱いた渡り鳥」のAくんなのです。

 現在、2年1組の副担任として 朝の会、給食指導、終わりの会、清掃指導、それに音楽、図工、算数、体育と授業もボツボツというインターン生活。

 運動会終了後、23日から一週間、新任教師研修会に参加。帰校後、三組に編成替をして、どの組かの正式担任となる予定です。専攻は化学。理科の学習が充実されそうです。今まで私にぶらさがっていた美少女連。ほとんどAファンに変心? Kチャンいわく“先生もこのごろ、もてなくなったネェー”と中年の悲哀をなぐさめてくれてます。

(1975年6月13日)

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☆来週は、5年生トラック
 1981年度北海道富良野市立鳥沼小5年学年通信「つながり」より

☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。

山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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 ◆編集後記「千鳥足」◆

 「★遠足」。ちょっと分かりにくい部分がありますね。母がいない家に妹が帰ったという意味のことが書いてあります。うちの母は、いわゆる「産休先生」や風連町の児童館職員として働いたり、車の免許を取りに行ったり、「出たがり」の性格をしていました。60歳代半ばになった現在も、公的・私的な役職をいろいろと持っていて、あちこちへ、動き回っています。ただ、「★遠足」が書かれたころ、どこかで仕事をしていたのか、単に出かけていたのか、という記憶はありません。

 父の当時の勤務先・風連中央小学校とわが家との距離は、第4号の「風連と富良野」で書いたように、100メートルでした。学校の職員室の窓からは、グラウンドを挟んで教員住宅が見えました。当時1年生だった妹が遠足を終えて自宅に戻る時、2年生の担任だった父は、その様子を心配しながらずっと見ていたのでしょう。

 「★体育教諭は元虚弱児」には、間違いがあります。細かい事情は省きますが、父は「キリストのように馬小屋に置き去り」にされた訳ではありません。正確には、父が生まれて間もなく、産みの母(祖母)が、ある事情でその夫(祖父)らと一緒に住むことが出来なくなって、家を出たのです。

 父は、高校生になるまで、育ての親を実母だと信じていました。実母に初めて会ったのは、40歳を過ぎてからです。

 祖母(父の実母)は存命で、父が晩年、入院中には何度も見舞いに来ていました。亡くなる時にも病室に来ていました。ただ、父が生まれてから亡くなるまでの63年7カ月の間、父にも、祖母にも、いろんな思いが交錯したことでしょう。このコラムを書いた時には、父はまだ祖母に会っていなかったはず。恨みやつらみはあっただろうし、他人の目に触れる学年通信に載せても、仕方ない状況だったのかなと、私は思っています。

 もう1点、「高校時代、馬術クラブをつくって、帯広畜産大学まで行った」というのは、大会でもあったのでしょうか。当時、父がつけていた日記が見つかっているので、読み返したら、分かるかもしれません。が、現時点では、ここもやや意味不明です。ただ、はだか馬を乗りこなしていたというのは、本当らしいです。亡くなる前年(1997年)の句に、こういう作品があります。

 日高路や少年の日の冷し馬     悟風


 「★オマタセシマシタ!! A先生 着任す。」で分かりますように、2年生は6月末から3クラスになりました。学年通信をまとめた冊子に、添付してあった名簿を見ると、児童計91人。(第5号の編集後記「千鳥足」をご参照下さい)

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 ところで、「元虚弱児」で、運動会が嫌いだった父ですが、成人後は体育教員になりました。その後は「スポーツ大好き」が変わることはなく、亡くなる直前の98年サッカー・ワールドカップ(フランス大会)もテレビ観戦していたのは、第7号に書いたとおりです。

 今日(31日)は、日韓共催大会の開幕日。前回大会で開催国優勝したフランスと、セネガルによる開幕戦が午後8時半(日本時間、韓国時間とも)に始まります。ソウルに取材に行っている友人もいます。私もこの大会が終わるまで連日、大阪でW杯紙面を作ることになっています。

(発行者・山口一朗)

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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
        yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「JR宗谷本線・風連駅駅名標」ヨッシー宙船さん撮影。
旧風連町(現・名寄市風連町)にあるJRの駅です。この写真は「photoAChttps://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。

■「おことわり」

 ☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。ただし、原典では「A先生(くん)」「Kちゃん」は固有名詞が入っていましたが、この復刻版ではイニシャルとしました。(編集者・悟風のムスコ)


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