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映画ゴダールの「イメージの本」をみて

 映画監督ジャン=リュック・ゴダールの作品「イメージの本」を見ました。見たというか、途中で寝てしまったので、すべてを見たわけではありません。ただ面白くないということではありません。時間をとってまた見たいです。

 この映画は画像の加工と編集と音楽と言葉が融合した映画です。ストーリーはありません。この映画を見てわからないと感じる人もいると思います。映像の断片がつなぎ合わされて全体が構成されています。膨大な時間がかかっていると思います。

 私が感じたのは、映画を作る時世界の現実というものを意識したときに感じる、敗北感というものをどう考えるかという問題のように感じました。例えば、この映画では法の問題を扱った部分があります。兵士が市民と対峙して、指揮官は市民の暴動を制圧するため、発砲を命じます。しかし兵士は撃たず、市民と抱擁を交わします。劇的な瞬間です。新たに法が作られた瞬間です。

 日常生活においても法は生きています。私はスーパーに買い物に行きます。今の時期はレジ係の人はサンタの帽子をかぶってレジ打ちを行っています。BGMとしてクリスマスソングが流れています。私は買い物かごをレジに置きます。するとレジ係の人は慣れた手つきでバーコードを読み取っていきます。レジ打ちが終わると、番号を指定され、番号のついた精算機の前で、会計をすまします。買った商品をリュックの中に詰め込むと自転車で家に帰ります。

 ここにはスーパーが持っていた商品の所有権が私に譲渡されるという契約が発生しています。所有権の問題は資本主義の根幹です。そしてまた所有権の問題はジョン・ロックの問題でもありました。

 買い物の一連のシークエンスとは、そうした過去と現在を反復するのです。そして今の現実が未来も続くと考える限りにおいて、現在もまた今の現在の形を保てます。

 この映画はそうした現実を、世界を、言葉と映画のイメージの混合で表現しようとしたのだと思います。それを美しいという言葉で表現していいかどうかはわからないところです。ただ世界と対峙したときに映画はどういう形であるべきなのかを、一つの形として実現していると思います。

 

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