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祖父を想う

時折、誰かを想うことがある。
私はふと祖父の事を想った。
「おじいちゃん亡くなったのは何歳だったんだろう」
仏壇の位牌で祖父が亡くなった年齢を確かめた。祖父が亡くなったのは私が中学2年生の時だった。
それは昭和44年の春だった。67歳だった。
今の私よりも若くして亡くなっている。

今日は祖父の事を書いてみたいと思う。
祖父は人を大切にする人だった。それも権力や資金力のない人を大事にする人だった。私の父も同じ価値観の人だった
父が小学校の教員をしていた時は、優秀な子どもよりもむしろ出来の悪い子の方を気にかけていた。父が判官びいきだったところも祖父譲りの気がする。

祖父は料理が上手でお酒が好きだった。宴会などがあると気持ちよく酔っぱらって帰ってきた。私や妹に美味しい中華料理を食べさせてくれた。祖父が作った大学芋はとっても美味しかった。
四角い顔で、顎が張っていた。いつも短髪で眉毛が濃くほっそりとした痩せぎすの人だった。

積極的に話すタイプではなかったけれど、人付き合いは悪くなかった。

祖父は私よりもむしろ妹を可愛がっていた。幼い妹は、祖父の部屋でよく話をしていた。
病気でお酒が飲めなくなってからはよく駄菓子を食べていた。妹にお小遣いを渡して、近くのよろず屋で、お菓子を買ってこさせて、二人で食べていた。

妹に祖父の思い出を聞いてみた。
祖父の部屋には火鉢があって良く二人でインスタントラーメンを作って食べていたらしい。妹は祖父が作ったレンコンの甘辛煮の味が忘れられないそうだ。
亡くなったのが日曜日だったと覚えていた。自分の好きな歌番組があった日だったらしい。
おじいちゃんと過ごした日々が本当に楽しかったとメールが来た。

私は「じいちゃん」と呼んでいた。一徹な性格で時折怖い所もあったが、私は小さい頃から叱られたことはなかった。

おじいちゃんは今どこにいるんだろう。
おじいちゃんは幸せだったんだろうか。
今になって私はそんなことを思っている。
祖父の事を思い出して、こうして書くことができて良かった。


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