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幼い日の思い出は昭和の香り

チリン、チリンとリンを鳴らしながら、でこぼこした道をリヤカーを引いて麦わら帽子のおじさんが売りに来ます。「アイスキャンディーいらんかねー、ヒンヤリ美味しいアイスキャンディー、いちごに、ミルクに、あずき、どれもうまいよー」とはるか下の通りをゆっくり、ゆっくり通っていきます。

あの頃食べたアイスキャンディーの味は忘れられません。暑い最中、おじさんが手ぬぐいで汗をふきふき渡してくれたキャンディーの味は、大人になっても私のDNAに刷り込まれています


今日は5月5日こどもの日なので、幼き頃の私の思い出を振り返ってみたいと思います。


私は昭和29年生まれの66歳。思い出はすべて昭和のノスタルジックな世界になります。


私の父は小学校の教員をしていたので、小学校に上がるまでは、山里の小学校の隣にあった教職員住宅で過ごしていました。その頃の記憶の糸を手繰ってみます。


当時は先生も子どももそして地域の人達も連帯感が強く本当に深い絆で結ばれていたように思います。地元で何か事があれば、地域の皆さんが協力して、まるでお祭りのようでした。小学校の運動会も地域全員参加でした。


教員住宅には3人の先生たちが住んでいました。毎日お風呂の時間になると明るい内から、担当の先生が下の川からバケツで水をくみ上げて、湯舟の準備です。もちろん薪で焚いていました。当番制でお風呂を焚くなんて、今からではとても考えられません

薪をくべる窯には時折、お芋や栗が入れられていました。焼きあがったらみんなで食べるのです。何とも微笑ましい時代でした。

すぐ下の川で水遊びをする時には、下着のまま入って、ご飯粒を餌に魚釣りを楽しんでいました。川の水は本当にきれいでした


私の父はよく教え子を自宅に呼んで、母の手作りドーナツやぜんざいをふるまっていました。私も、たくさんのお兄さんやお姉さんに遊んでもらってかわいがってもらっていました。近くの山でターザンごっこをするのが楽しみでした。


そして、忘れられないのは、教員住宅の先生の家に待望のテレビが来た時です。隣近所の子どもたちや地域の大人たちまで縁側に座りこんで、当時NHKで放送されていた「チロリン村とくるみの木」という人形劇をまるで街頭テレビのように見て終わったらみんな拍手をしていました

それが毎日の楽しみになりました。


何てほのぼのとしたいい時代だったんでしょう。私は本当に幸せな子供時代を過ごしたと思っています。



【毎日がバトル:山田家の女たち】

《あー、懐かしい、いろいろ思い出すねー》


ばあばが久しぶりに2階の書斎にまで上がってきて、パソコン画面をチェックしながらの会話です。


「あの頃はね、よそにテレビが無かったんよね、みんなで見て楽しかったわい、人と人のやさしさがあった時代よねー」


「お母さんも思い出した、懐かしの昭和の時代を・・・」


「お風呂の水くみなんか、ちいとも重く感じんかったわい、その頃は、教員住宅の奥さんと、その日の晩ごはんの献立は何にする言うて、近くにつくし採りに行ったりしよったわい」

「へー、そうじゃったん・・・」


「教員住宅の人はみんなええ人ばかりでね、ふかしパンをみんなで作って、みんなで分けて持って帰ってねー、楽しかったわい」


母は昔のことを昨日のことのように話し始めました。思い出は尽きないようで、次々に懐かしい話をしてくれました。母が喜んでくれて良かったです。


【ばあばの俳句】


 空青く新樹の風の私語を聞く


季語の新樹は若葉に覆われる初夏の木立のことです。

真っ青な初夏の空の下、瑞々しい樹々の緑を吹き渡る風にエネルギーを貰い、木々の力強いメッセージを聞いているそんな母の姿を詠みました。



自然の息吹を感じると本当にパワーが湧いてきますね。この時期は木々からの生き生きとしたメッセージを受け取りましょう。


▽この記事の中の「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」は毎日、音声配信しています。20時前後に発信している「フリートークでこんばんは」もお聞きいただければ嬉しいです。

今日もたくさんの記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。


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私のアルバムの中の写真から

また明日お会いしましょう。💗

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