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私の始まりの時をnoteに記します。

小さい頃「あなたは将来は何になりたいの・・?」て聞かれた時に、皆さんはなんて答えていましたか?
この記事をご覧になっていらっしゃる方の年齢は様々だと思いますので、いろんなジャンルのお仕事が上がってくるんだろうと思います。
あなたの昔を、思い出してみてください。

私は、小学校の低学年の頃、お裁縫箱の刺繍のデザインになっていた舞妓さん姿がとてもしとやかで雅だったので「舞妓さんになりたい」って言っていました。

その後は、外交官、芸能人、キャビンアテンダント(当時はスチュアーデスでした)と、なりたいものは年齢とともに徐々に変わっていきました。

そして結局、私が選んだ職業は、テレビ局のアナウンサーでした。人前で話すことが苦手で、引っ込み思案の私が何故アナウンサーになったのか私の始まりの時をお話しします。


それは大学4回生を迎える春休みでした。

何気なく見ていたテレビから「一般の人から番組のアシスタントを募集します」という宣伝が流れてきたのです。

「これって、もしかしたら、私の就職のきっかけになるかも・・」と生まれて初めてビビッときて勘が働いた私は、すぐさま応募していました。

今から思えば物凄い行動力と決断力でした。

自信なんて何もなかったのに、ただ直観だけで行動したのです。この行動が私がアナウンサーになる始まりの時です。

応募してしばらくして、面接があるという知らせが届きました。その日、局には書類審査を通過したアシスタントの希望者が100人以上来ていました。

私は、生まれて初めて入ったスタジオで、カメラテストと面接を受けました。

すぐ前に座っている数人の審査員から様々な質問を受けました

何を答えたのかは一切覚えていませんが、何故か、ギンガムチェックのシャツにデニムのガウチョパンツとベストを合わせていたことは覚えています。

最終的にその中から、3人が選ばれ、私もその中の一人になっていました。
何故、私が選ばれたのかは分かりません。

おしゃべりの経験がなく、世間ずれしていない、「お隣のお嬢さん」的な雰囲気が良かったのかも知れません

それから私は、大学4年生の1年間、番組宣伝の告知や番組のリポーターとしてテレビ局の仕事をするようになりました。

右も左も分からない私を、局の皆さんは本当に優しく指導してくださいました。

私がアシスタントのアルバイトを始めた年の夏に、当時の制作の部長さんから「来年の採用試験があるんだけど、受けてみないか、必要な推薦状は書いてあげるから」と、入社試験を受けるように勧めていただきました。

それが今の私のキャリアにつながっています。私のアナウンサーになる始まりの時は、自宅でテレビを観ていて流れてきたアシスタントの募集告知に何故かビビット来たのがきっかけです。

入社して何十年も経って、局のキャッチフレーズが「ビビット」になった時は不思議な縁を感じました。

私が、心にビビッと響いたものにすぐさま反応するようになったのは、その出来事からです。自らの人生の選択の時には、本能が働くのかも知れませんね

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《話下手じゃったけど、目立ちたかったんよ》

「あんたのマスコミ人生は、ビビッとしたことからじゃったんじゃねー、自分の好きなもんに出会えてよかったねーあんたは、話すんは下手じゃったけど、目立ちたかったんよ

「そうかも知れんねー」

「お父さんも、自分の好きな事を何でもしたらええ言いよったよねー」

子どもの考えを尊重してくれとったねー

「私も、あんたが家で練習しよったんを思い出したわい」

皆さんが小さい頃になりたかったもの、思い出してみてください、これまでの人生を振り返ることができますよ

【ばあばの俳句】

むつまじき猫の親子や春麗

母は、春のうららかな日に、たまたま見かけた猫の親子の仲睦まじい様子を詠みました。子猫を見守るように、傍を離れない親猫の姿を見て、子供のことを見守ってきた、自分自身の姿を重ねたようです

子を思う親心は人も動物も変わらないようです。心温まる光景です。

▽この記事の中の「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」は毎日、音声配信しています。20時前後に発信している「フリートークでこんばんは」もお聞きいただければ嬉しいです

今日もたくさんの記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。


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私のアルバムの中の写真から

また明日お会いしましょう。💗

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