映画を愛した男
◇◇ショートショート
健はいつも名画座の後ろから3番目の席で、映画を観ていました。
昭和の名監督、溝口健二や小津安次郎、黒澤明のフイルムを観るのが堪らなく好きでした。
映画を観ていると、その時代にタイムスリップして、まるで自分が同じ時間を生きているような気分になるのです。
健は映画館に入った時と出ていく時では別人でした。映画の主人公になりきって劇場から出てくるくらい、ストーリーにのめり込んでいたのです。
ある時は佐田啓次に、またある時は池部良にそして小林桂樹に、銀幕のスターになりきっている自分に驚くことが度々ありました。
健は、ボルサリーノハットが似合う、面長でスレンダーなやさ男です。
父親から譲り受けたキャメルカラーのトレンチコートを羽織ると、その格好の良さに誰もが振り返るくらいのいい男なのです。
「ギターを持った渡り鳥」の頃のちょっとやんちゃな小林旭に似たイケメンでした。
役者志望だった健は、映画のニューフェイスに何度も応募しましたが、一次審査はパスするものの、面接を受けにいくと、ことごとく落ちるのです。
残念ながら彼にはどうしても抜けない訛りがありました。それは少々の訓練ではどうしようもない癖の強い訛りでした。
審査会場で台詞を渡されて演じると、審査官から、いつも同じコメントを言われました。
「あなたが役者になるために越えなければいけない壁は高いよ、あなたの訛りは致命的かも知れない、いいルックスを持っているのに、とても残念だねー」
そんな言葉を何度も何度も浴びされて、健は断腸の思いで役者になることを諦めようとしていました。
彼は自分は映画を観て楽しむことしかできないんだと悟り、名画座に通い続けることにしたのです。
健は映画が始まると前のめりになって、どのシーンも見逃すまいと夢中になって観ていました。同じ映画を何十回も観るのです。役者の台詞も演技も頭に入っていました。
「健さん来てるねー、朝からずっと観てるよ」
「顔がすごいんだよ、映画が終わる頃には主役みたいな表情になってるからね」
「健さん、最近ちょっとおかしいよ、心ここにあらずって感じだよね」
名画座の支配人が健さんの異変を感じていた矢先に、健さんが、突然、名画座に来なくなりました。
あんなに足しげく通っていた健さんの姿が見えなくなって、支配人は思いっきり心配していました。
「健さんはどうしてるんだろう、映画が嫌いになったんだろうか、いやそんなはずはない、健さんが映画を嫌いになるわけがないよ」
支配人はそれだけは自信がありました。
それから暫くして、健さんが映画に関わる仕事を始めたと知らされた支配人はほっと胸を撫で下ろしました。
ある日、名画座に届いたばかりのフイルムを支配人がチェックしていた時、大きな声をあげました。
「健さん、あんたどうしてこんなとこにおるんぞな」
支配人は、フイルムの中に健さんの姿を見つけたのです。
主役と手話で話しているのです。
健さんは言葉を使わないで、演じていたのです。それはそれは美しく手話を使っていました。
「健さんは、やっと映画の中で生きる道が見つかったんだ」支配人は幸せな気持ちになりました。
それからです。健さんの名前を様々な映画で見るようになったのは。
スクリーンの中の健さんは相変わらず主役のようにいい男ですが、セリフは一言も発しません。
でも映画を愛した男は、スクリーンの中で生き生きと生きていました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《あんたもそんなストーリーを考えとおみ》
※92歳のばあばと娘の会話です。
「訛りがあっても、そのうち訛りが生きるストーリーを考えてくれるんじゃない、物語は創作じゃけんね」
「ほーじゃねー」
「あんたもそんなストーリーを考えとおみ」
人を生かす物語を書く。役者に魅力あれば可能性は大いにありですね。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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