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私とジェンダー

私は反省しなければいけない。大学生まではガチガチのモラル人間だった。世の中の当たり前が全ての尺度だった。悪気わるぎなく人を差別や区別していたかも知れない。一般的な世の中の分別のままに、見た目で「あの人はおかしい」「普通じゃない」「女らしくするのがあたり前なのに男っぽすぎる」「同性に恋愛感情を持つなんて変」など、少数派の人たちを偏見の眼差しで見ていたと思う。

しかし社会に出て、様々な人たちと出会い、就職したテレビ局での取材を通じて世間にはいろいろな人たちがいるけれど、少数だから声を出せなかったり、差別されていることが理不尽だと思っていても、我慢して生きている人たちがいることを知ったのだ。

SDGs の提唱によって、持続可能な社会のためにどんな取り組みが必要なのかが理解されはじめ、ジェンダーの平等についても考えることが多くなった今、私は改めて思う。SDGsを多くの人に知ってもらうための活動と共に一人一人が自分の思いを人に伝えることが大切だと。

誰かに教えられることによって自分が無知だったと分かるのだ。だからこそ、親が子供に、教師が子供たちにしっかり伝える必要があると思う。

私は日々発信しているSNSで折に触れてジェンダーに関して伝えている。

最近書き始めたショートショートでもジェンダーをモチーフに書いている。小さな一歩であっても一人一人のSDGsへのアプローチが人々の心に浸透するんだと思う。

国や社会がSDGsの大切さをアピールするのと同時に、私たちが毎日ゴミの分別を懸命にして、資源の有効活用のために努力をしているように、ジェンダーに関しても、家族や身近な集団の中で、ゆっくり浸透させて社会を動かすことが大切だと思う。

ジェンダーによる差別や区別がない平等な社会が、どれだけ多くの人が生きやすい環境なのかを教え伝えることが必要だと思うから。

我が家の94歳の母は、私がこうしてエッセイに書くことでジェンダーの平等の大切さを認識している。「みんな男性だから女性だからとか、肌の色や宗教の違いで差別や区別されることを望んでないわいね、私も大分分かってきたわい、あんたのお陰よ、SDGsは身近な所から始めたら分かりやすいわい」その言葉を聞いて私のSDGsへのアプローチが母にも伝わっていると思った。
より生きやすい未来のために、小さなことから伝える努力が必要だと思う。




 

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